第204衝 煢然の鑑連
先に出た小野甥の発言をふと思い出した備中、鑑連と小野甥の間に割り込んだ。
「し、失礼いたします。小野様、先ほどの時間がない、というのはどのような」
「グッ!」
小野甥は備中へ微笑みとともに回答する。
「そうそう、それが本題でして。重要なことです」
「ググっ!」
息を呑む備中に、奇妙に唸り続ける鑑連。
「これから安芸勢は、撤退を開始します」
「撤退。撤退ですか!」
「グッ?」
「ええ、します」
そろそろ半年に及ぼうとしている戦線の膠着が終わる。誰が聞いても喜ばしい。
「安芸勢はその名の通り安芸が本貫地。今、西の周防と北の出雲で火の手が上がっているのです。これを放置すれば他の不満勢力の跳梁跋扈を許すことになります。毛利元就と言えども、兵力があればこそ収拾も可のはず」
「な、なるほど……筑前に構っていられない、ということですか……そ、それはつ、つまり追撃の」
「グッグッ!」
「そうです。安芸勢を追撃するにはこの機をおいて他にありません」
鑑連を見ると、唸りながらも話は理解できているようだった。備中、質問を続ける。
「彼らはすぐに去るでしょうか」
「グググっ」
「近いうちに必ず」
「重要人物は海路で逃げるやも……」
「可能な限り網を張るべきでしょう。宗像郡では薦野殿が活動中のはず。彼を動かし、撤退の妨害をさせ足止めし、そこを襲うのです」
「ググググググググッ」
鑑連の唸り声が実に耳障りである。仲間外れの衝撃でこのまま呆けるのではないか、と不安になる備中に、小野甥は語る。
「安芸勢が引き始めたらすぐに行動を起こさねばならないでしょう。よって、多々良川を渡り切った部隊だけで追撃をするのです。今、立花山の東側に戸次様、西側に吉弘様ご嫡男。時を移さず広い西側で合流し、後続が川を渡って城を包囲する。大友方の陣は情報の錯綜や意地の張り合いで混沌としていますから、簡単な様で難しいでしょう。戸次様が号令をかけるしかありますまい」
はっきりというなあ、と備中が感心していると、鑑連が無言になっていた。唸ってはいない。
「殿……?うわっ」
下から鑑連の顔を覗き込む備中は、腰を抜かした。いつの間にか、いつもの悪鬼面に戻っていたからである。
「貴様は誰の回し者だ」
疑心暗鬼の鑑連。
「戸次様、そういうのもう止めましょう」
「黙れ。疑心暗鬼と化しているのはワシ以外の連中だ」
言い切った鑑連に呆れ、しかし心中その鉄の精神力に拍手する備中。このお方は誰に嫌われても構わないのだ。
「追撃が成功しても、それは宗麟様や吉岡様の功績になると、お考えですか」
「事実そうだろうが」
「まあそうです」
言いも言ったり、これも言い切った小野甥の姿が備中の目には眩しい。
「ワシの面目丸潰れだ」
「そこまではなりません。戸次様は多々良川で敵の侵攻を抑えきり、反撃に成功しています。吉岡様の謀略も、戸次様の迅速な軍事行動が無ければありえない話です」
「その薄汚い口を虚言で飾るな貴様!」
さらに激昂する鑑連。目が真っ赤に充血している。
「次の老中の面子を見れば、義鎮の真意は明らかではないか」
「確かに、宗麟様は戸次様を除けるおつもりのようですが、これは戸次様に花道を開く、ということ」
「ふざけるな!」
屈辱に耐えかねたのか、鋭い前蹴りを放った鑑連。蹴りの犠牲となった備品が飛んでいき、跳ね返って備中の頭に落ちた。
頭をさすりながら備中も考える。この戦役が無事に終わったとして、主人鑑連は次いで老中引退の圧力と戦う羽目になるだろう、と。
「戸次の家督など隠居しても構わん!その為、今の地位に専念できたのだ!だが!」
いきなり回転した鑑連は小野甥と強烈に衝突、凄まじい音が陣を揺るがした。備中、目をこすり見れば、小野甥は鑑連の胴回し回転蹴りを防御し受け止めていた。
「戸次様」
静かで迫力のこもった、腹底の声を響かせる小野甥。鑑連に対峙して曰く、
「戸次様。この私がここに来ているということの意味をお考え頂きたい。私はまだ、貴方様を見放してはいない」
「貴様!」
「国家大友にとって、貴方様にはまだ利用価値がある。そして、貴方様が目指す野心の道は、国家大友の利益に反していないはずです」
「うぬ!」
「確かに宗麟様は貴方様を外したがっている。大友家督の権威に従う姿勢を見せない貴方様のことが気に食わないからです。しかし、そのために国家大友が軍事指導力を喪失することを懸念する者は多い」
「ワシに代わる者などいるか!」
「田原民部様も、それを懸念するお一人で」
「あの成り上がり者め!」
「その通りです。宗麟様の信頼大きい田原民部様は、その権威が固くない。戸次様が国家大友を追放されずに済むのは、田原民部様が宗麟様へ密かに執りなしているからです」
「よくもそのような戯言を!」
「貴方様が引き続き国家大友の重臣でいたいと望まれるのなら、田原民部様に活路を見出すべきです」
「そこな下郎は吉弘と誼を持て、という。貴様は田原民部か。貴様ら何様のつもりだ!」
この流れでなぜか自分まで叱られてしまい愕然とする備中。が、小野甥は怯まない。
「戸次様が独りぼっちに見えるからでしょう。御注進の内容も自然とそうなる……」
「孤りが怖くて戦ができるか!」
「この国の戦は伝統的に多勢が無勢を圧するものです」
「ほうそうか」
若者の反論に耐えかねた鑑連。遂に愛刀千鳥を抜く。またか、と思いつつも小野甥がどのような技でこの危機を切り抜けるのか、そちらに関心が向いてしまう備中。武士の技として伝説的な白刃取りか、あるいは無刀取りか。小野甥ならなんでもやれそうな印象だ。
愛刀千鳥が抜かれんとしたまさにその刹那、急報を告げる武者が転がり込んでくる。
「申し上げます!」
由布配下の端っこい斥候だった。
「安芸勢、動き始めました!いくつかの部隊が前進していますが、後方の陣は荷片付けを済ませている様子!まさか撤退するつもりでは!?」
「戸次様、今は動きましょう」
「クソ!その命、預けておくぞ。追撃だ!」




