第202衝 吟味の鑑連
鑑連は父になった。が、筑前の戦線が片付かぬ内に、赤子の顔を見ることはできない。
女児誕生について、戦闘中だというのに、諸将が祝いの使者を送ってくる。鑑連はその場で感情をむき出しに応対する。
最初にやって来た橋爪殿の使者へは、
「真っ先にお言葉を頂き、心より礼を申し上げる。橋爪殿が戦場でもこれくらい疾ければ、ワシはすでに我が子の顔を見ることができただろうがな」
絶句する一同。次いで田原隊より非公式ながら祝いの言葉があった。対して鑑連は、
「感謝する。ところで、今のそなたは田原民部殿、田原常陸介殿、どちらの代理人かね?」
困った田原武士が何かを言葉にしようとすると、
「二番目に祝辞を頂いたのだ。ワシからそなたへ返礼だ。すなわち、沈黙は金。どうだ、為になったろう」
一同またもや絶句するのであった。次いで、最も遠い場所に陣を張る吉弘嫡男は、わざわざ自ら祝辞を述べにやって来た。すると鑑連はこれを叱り飛ばす。
「鎮信貴様!貴様はワシがワシの代理として左翼に配した兵だろうが!ワシがいつ、持ち場を離れて本陣に来いと言ったか!」
それでも祝辞を述べようとする吉弘嫡男へ、
「なんだ、貴様の幼い息子にワシの姫を、という話か?クックックッ、気の早いことだ。それよりも、ワシの右隣にいる男に、ワシを祝う気があるのかどうか聞いてこい。あれは貴様の舅だろう」
負けん気の強い吉弘嫡男、さすがに言い返す。
「臼杵様は戸次様にとっても、義理の叔父上ではありませんか」
「そうとも、だからなんだ?」
「義理とは言え叔父甥のご関係ならば……」
「鎮信。ワシとの約束、よもや忘れてはいないだろうな」
「……」
「おい、ワシが冗談を言うとでも思っているのか」
「……い、いえ」
「ワシは貴様の親父の命の恩人だ。忘れるなよ」
誰もが例外なく絶句する中、顔面蒼白で陣を去る吉弘嫡男。満面の笑みの鑑連、
「備中」
「……ぎっ」
「クックックッ、なんだそりゃ」
「ぎっ、ひっ、いっ、し、失礼しました」
「臼杵と朽網、どちらが先に来るか。当ててみろ」
「……そ、それは」
どちらも戸次家とは因縁がある。が、甲乙つけ難いということはない。朽網殿の方が、鑑連を恨んでいるのではないか、と備中には思える。真剣に悩む備中を鼻で嗤った鑑連は、
「今日の貴様は運が良い。今の問い、無回答が正解だ。どちらも度し難い連中だからな!クックックッ!」
戦局の膠着を忘れているのではないか、という程の上機嫌だったが、その日で終わった。臼杵弟も朽網殿も使者を寄越さなかったが、にわかに安芸勢との小競り合いが強まったこともあり、この件について誰もが口の端に乗せることすら無くなったのだ。
思えばその人物は素質の面で、主人鑑連と対極にあるのではないか。季節が夏から秋に移った頃、急報が飛び込んできた。
「殿、朽網隊よりお使者が……」
「朽網か。渡河に成功したか?」
「い、いえ、まだのはずです」
「ふん、無能力の言い訳にでも来たか」
「あ、あの、誾千代様ご誕生への祝辞ではないかと……」
「ん?ああ、そうか」
心底関心が無さそうな主人鑑連である。使者としてやってきたその朽網武士は、位高い人物であった。
「朽網殿にはお変わりは無いかね」
旧入田の一族への敵意を隠さない鑑連、いきなり嫌味を飛ばす。が、使者は武士らしく表情を変えずに曰く、
「本日は主人より戸次様へ情報を伝えるべし、とのことで罷り越しました」
備中顔を見る鑑連。一切の祝辞を述べることなく、情報提供とは、それほど重大なものなのか。祝辞と思っていた鑑連は少し機嫌を害した口調で曰く、
「時間が無い。簡潔に述べ、自陣へ戻られるように」
「はっ。豊後から出発した一隊が、周防山口に突入いたしました。以上です。では……」
「何!」
「……」
「えっ!」
「失礼して……」
思わず鑑連の顔を見る備中。カッと見開かれた目が恐ろしげであったが、使者を留めろ、というその断固たる命令を備中は正確に読み取った。下郎飛びをして曰く、
「お、お使者。し、しばらく!しばらく!」
「?」
「ししっ、しししし」
「はぁ」
「し、しし仔細をぜひに」
「しかし戸次様は戻られよと……」
「いや、仔細を!ぜひ仔細を!」
主人のために外聞をかなぐり捨てた甲斐はあった。朽網武士は再び鑑連に向きなおる。
「どういうことだ。誰の命令で、誰がいつ周防へ向かったのか。豊後のどこにそんな兵力がある。寡兵であれば死ににいくようなものだし、この戦線でも人手が足らない今、兵を出し惜しんでいたということだ。何よりこのワシはそのような作戦について、何一つ知らない。敵陣地へ攻め込むとなればここにも影響を及ぼさずにはいられない。この件を朽網殿は誰から聞いたのか。また他に知っているものは誰だ。またその周防攻めによって究極何を目指しているのか。正確また嘘偽りなく答えるように」
鑑連にしては実に長い口上である。見ればその手が細かく痙攣している。我慢さえしなければ、愛刀千鳥を手に大暴れしたいのだろう。だが、目の前の朽網武士には、悪意はない様子だ。困惑して目を泳がせる。
「な、何から申し上げれば良いのか……」
鑑連はすく、と立ち上がる。刹那、怒雷が破裂した。
「全てからだ!知っていることを全て吐け!」
余りの圧力に、朽網武士はひっくり返る。鑑連の容赦ない取調が開始された。
だが、備中にはこの件が誰の主導によるものなのか、小野甥のお陰で目処が付いていた。そういえば、小野甥からの連絡がまだない。情報収集に苦労しているのか。それとも探しているという二の手の次でもあるのだろうか。
相手は鑑連が妖怪と呼ぶ人物だ。そして、備中自身もその異様さを目で見てきている。
鑑連が鉄扇をビッと突きつけながら悲鳴をあげる朽網武士を詰問する様を見ながら、備中はへえ、と妙な安堵を覚えていた。大友方の人材の豊かさはなかなかどうして、捨てたものではない、と。




