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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
202/505

第201衝 説文の鑑連

「敵吉川勢、僅かに後退しました!」


 鑑連が取った大将自らの積極戦法は、吉弘隊を渡河させる結果に結びついた。


「これで二つの隊が川を越えたな」

「戦局の優勢は確定したぞ。あとは攻城戦、または決戦か」

「でも橋爪隊、朽網隊、臼杵隊が渡河に成功していない。決戦どころか包囲に持っていけるかな」


 武士たちは実際の戦場を見て、耳にした噂を材料に未来を予測する。それは意外にも真実を捉えているものだ。事実、鑑連がどれだけ事態をかき乱しても、敵はまるで前進しないことには変わりない。背後の宝満山城も動かない。


「高橋勢、依然動きなし!」

「ならば佐嘉勢はどうだ」

「我らとの約束を守り、動きはありません!」

「ちっ、ちっ」


 苛つく鑑連。舌撃を放たない日は無い。敵の余りの動きの無さが鑑連を焦らす。そのため、軍議は強硬意見の連発となる。


「いっそ、城を夜襲するか」

「……城には安芸勢の内でも特に勇敢な将兵が入っている様子です。夜襲対策に違いありません」

「クックックッ、こちらには匹敵する勇将が我らの隊の他いないというのに。なら侍大将どもを暗殺していくか」

「……」


 無論、明るい戦果、味方の奮闘もあった。


「先ほどより吉弘隊が敵の背後に回りました!」

「鎮信め。親父より断然使えるな。で、ヤツは何を攻めている」

「浜に停泊中の宗像水軍の陣を焼き払っております!」

「備中」

「はっ!」

「先の戦いで鎮信は一皮剥けたようだ」

「は、はい!」


 その戦いは備中の助言を鑑連が容れてくれた事に端を発している。備中も誇らしくなるが、成功は次なる成功を呼ばざるを得ない。


「ワシの命令下に切磋したこともあるが、武士にあるまじき貴様の考えが敵の意表を突くことも、またあるのかもな。今はどうだ」

「えっ?」

「……備中、戦場について感じたことを、殿にお伝えしてみるのだ」

「い、いえ。特には」

「……無いか。しかし、先の提言は振るっていた」

「あ、あの時はき、奇瑞が見えまして……」

「……今は?」

「も、申し訳ありません」

「ど下郎が!下がれ!」

「ひっ!」


 呆然とする備中。が、鑑連の身になってみれば、当たり散らしたくもなる。この戦線、決定打がまるでない。安芸勢の背後、陸の補給線で単身踏ん張る薦野隊も、戦況を覆さんと略奪放火等焦土作戦を戦っているが、数が少なすぎ、戦果には結びつかない。


「田川郡に展開している田北隊に、安芸勢の背後攻撃を命じてみるか」


 鑑連、苦渋の戦略を捻り出すも、


「……義鎮公から任地防衛に専心せよ、との指示が出ているようです」

「それでも使者を出す」


 膠着から進まない現象はすなわち、鑑連の限界を露呈しているのではないか、との考えに備中は至った。が、そんなことは鑑連だって承知しているのではないか。知っていてどうすることもできない。


 戸次鑑連は才能ある武将だが政治力を持たない上に性格上の欠陥もある。苦しむ主人の姿を、見守るしかない備中であった。



 その日、筑後問本城より使者がやってきた。鑑連再婚問題で備中の後任となっていた武士が寄越したその使者がどんな報を持って来たか、備中ハラハラすることしきり。


 陣中に鑑連がやって来た。落ち着いた様子で腰をかけると、開口一番。


「ご苦労、生まれたか」

「はい」

「これはワシの勘だが、女児ではないか」

「……はっ、仰せの通りにございます」

「クックックッ、そうだろうと思ったよ」

「……?」


 一同鑑連の言うことを理解できないが、備中には何となく主人の言わんとしていることが判った。増吟はこれまで散々女をたらしこんできたに違いないのだから。


「おめでとうございます!」


 戸次家臣一同平伏し、母子ともに無事健康、という報に鑑連へ喜びの意を捧げる。備中は男子でなかったことで緊張の糸が解れたが、事情に通じていない幹部たちにとってそれは完全なる慶事ではない。故に、どこかその声に余所余所しさがないでもない。


 もっとも、当人たる鑑連は一切を気に留めない様子で、


「うん。名前だが既に決まっている。誾千代、とする」

「ぎんちよ、様ですか」

「ああ」


 背筋がぞくりとした備中。ぎんちよ、とは漢字でどう書くのだろうか。もしや増吟殿の吟でしょうか、とはとてもでないが聞けない。だが、そんな名前をつけてしまって良いのか。備中の悩乱を悟った鑑連、呆れ顔で曰く、


「和說して諍うなり。言に従い門を聲とす、だ」

「?」


 備中を筆頭に首を捻らんとする無学な諸将を置いて、寡黙なはずの由布が答える。


「……言という字が、門をかたちづくる、ということですね」

「そうだ。備中、由布の解説をしかと聞いていたか?書いて皆に示せ」

「はっ?はっ!」


 急な振りに緊張しながら筆を持つ備中、手が震えて仕方がない。しかし、由布の言葉なら深読みは不要のはずだ。ええいままよ、と筆を進める。


「誾」


 鑑連は頷いて、


「まあいいだろう」

「こ、こういう字があるのですね」

「漢の書物に曰く、だ。備中、貴様は武道がからっきしなのだから、せめて一度は読んでおけ。皆も覚えておくように」

「ははっ!誾千代様ご誕生、一同お喜び申し上げます!」


 戸次鑑連の娘誾千代の名前に、居並ぶ幹部たちが一斉に頭を下げた。


 備中は再度主人鑑連の表情を覗いてみる。戦局は膠着しているというのに満足気であり、その喜びは真実のようだ。考えてみれば初めて父親になったのだ。血が繋がっていなくても、縁では繋がっているのだから、その喜びに偽りはないのだろう。が、備中はさらに、


「姫は政略の道具となる」


という不埒な考えが脳裏に浮かんで仕方がない。鑑連との付き合いも二十年を超える森下備中。主人がその手のことを念頭に置いていないはずがない、と確信はしていた。

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