第199衝 陽炎の鑑連
鑑連が戦場へ出た後、小野甥の見送りをする備中、遺憾の意を伝える。
「その、何と申し上げれば良いか……」
「なに、私の力が足りなかっただけです」
爽やかさを取り戻したようなその表情に、備中はホッとする。
「殿は……」
備中は頼りなく呟く。
「殿は今回、ようやく戦場の全権を強固に握りました。よって行けるところまで行くおつもりのようです」
同感です、と頷いた小野甥も悲しげに呟く。
「戸次様は孤独な方ですね。自分が助けを求めないからか、苦境にある人をさほど助けようとしない」
「まあ、それが性に合っているのかも……」
苦笑する備中に、小野甥は真剣な表情で曰く、
「備中殿、覚えておいてください。吉岡様は何かの方策を張り巡らせているはずです。戸次様の言う通り、吉岡様も戸次様を意識してはいるでしょうが、戸次様が絶対に理解していないことが一つあります」
「そ、それは」
「吉岡様の家名存続にかける情熱。確信を持って言えます」
「しかしそれは誰もが……」
「戸次家の家督は既に、甥御様が継承されていると聞きます。戸次様に嫡男が居ないからでしょうが」
備中は筑後・問本城にいる問註所御前を思う。その腹から生まれてくる子が男であった場合、鑑連は戸次家督をどう処するのだろう。
「戸次様には家名存続の執念がない。これは他の諸将と大きく異なります」
「わ、私にはなんとも」
とはいえ改めて考えるまでもなく、小野甥の言う通りなのだ。戸次名字に固執しない、そこに鑑連の特質があるという分析は、長年主人に仕える備中には、大いに同感であった。であれば仮に男子が生まれたとしても、鑑連は戸次家督の相続者を変えたりはしないかもしれない。
「では備中殿、吉岡様の二の手が判明したら、必ずお知らせします。それまでどうぞご無事で」
「と、ところで吉岡様とは親しいのですか」
備中が質問に小野甥は満面の笑顔で答える。
「いいえ」
びっくりして声も出ない備中へ爽やか声が曰く、
「吉岡様は、宗麟様の近習衆を余りお好きではないようですね」
「で、では二の手について……調査する、ということですか」
「私が確信している仮説が正しければ、すぐに答えにたどり着くでしょう」
それでは、と小野甥は爽やかに去っていった。
「敵の攻撃は相変わらず少ない。専守の陣だ」
「しかし、臼杵隊を狙い始めている気配だ」
「こちら側の最右翼が一番弱いと、百も承知なのだろう」
陣を練り歩き武士の士気を確かめる備中。次いで、別の会話。
「戸次様が田原隊に兵装再編成を命じたそうな」
「鉄砲で敵の堅さを打ち破るおつもりか」
「あるいは宗麟様が佐伯の水軍を再編集したのに倣ったのかな」
まだまだやる気のある会話が飛び交っている。しかし、武士たちは武士たちで多くの噂や情報を仕入れているものだ。
「荷台が運んできた食料を買ってきたよ」
「我らの背後もまた堅いようだな」
「水もある。この炎天下に我慢すれば、ここもそう悪くはないな」
戸次隊渡河時の大勝以来、戦果には遠ざかっているが、最低限の福利厚生は備わっている。大将鑑連はそれを頼みに、強攻策を連発するつもりのようだった。
立花山を臨む鑑連と由布。備中、その傍らに音も無く侍る。
「やはりこの山、燃やしてみるか」
「……今の季節ならばあるいは」
「やってみてくれ」
「……はっ」
「あと」
「……は」
由布を前にやや身じろぐような鑑連。こんな仕草もするものか、と頷く備中の姿を認めると、露骨に鼻を鳴らして、意を決したように曰く、
「雲州の情勢はどうか」
「……情報は二つです。反乱勢が優勢というもの、これは吉川隊の兵から。反する反乱勢が撃退されたというものは、備後勢の隊からです」
「そうか」
「……どちらが真実か不明です。旗色不鮮明の博多の衆を締め上げることも、今はできません」
「確かなことはそれが錯綜した情報、ということだ。思ったよりも統率が利いていない。どうか」
「……そのように見えます」
「それだけで毛利元就が筑前の戦局をガキどもに預けているとワカる。確実だ」
「……敵の本隊を強襲する好機と言えます」
「だが、最左翼にいる鎮信がしかと動かねば上手くいかん。チッ、安東を筑後に残すべきではなかったかな」
鑑連と由布の顔を照らす夏の日差しが眩しい。ふと、光の先を見ると、地に陽炎が昇っている。
「あ……」
しかし、認めたのは自分のみのようだった。これは戦場で見る奇瑞だろうか。天道の徴を感じた備中、気がつけば言葉が口を割って出ていた。
「こ、好機です」
「なにがだ」
「あ、あの……」
「向こうへ行ってろ」
「い、いえ!提案が!」
「貴様がこの戦場で役に立つことがあると思っているのか?」
「そ、その……」
「大したことなければ頭を吹き飛ばす。そのつもりで言え」
「……ひっく」
恐怖でしゃっくりが出てしまう備中。不機嫌一杯、もう何度目かの恫喝だが、相変わらず慣れない。そしてこんな時、助け舟を出す勇気を発揮するのはいつも由布だ。
「……備中、吉弘隊のことか?」
「は、はい」
さすがの由布。勘が良い。
「では殿に申し上げてみることだ」
「恐れながら……」
鼻息を鳴らす鑑連も多少は興味を持った様子。天の恵みを信じて、備中は語る。
「よ、吉弘様は、誠に失礼ながら、その、勝利から名声を得ることが少なかったと存じますが」
「倅はそれよりマシ、ということだろうが」
「そ、そうでしゅ」
「ワシもそう思う。倅は親父より積極的な用兵をする。が、それでも吉川隊の相手は厳しかろうが」
「……吉川は山陰を制圧した猛将だ」
「そ、それは、偉大な父親の影響下で、と言えませんか」
「む」
「……」
良い感触だ。備中、勇気を絞り出す。
「と、殿のお考えでは安芸の頭領の統率力が弱まっております。あるいはこれは、毛利殿がこの世を去る予兆かもしれません」
「貴様の妄想力は大したものだ。で」
「あ、安芸勢は公式に後継者が定まっているとのこと。ですが安芸は毛利殿一代で築き上げたもの。後に残された者たちは、内乱に手をかけるかもしれません」
「……吉川隊と小早川隊の連携は、どちらかが主導権を握る、というものだ。我らが小早川隊を破り渡河に成功したこと、それ以後のことも、これを証明している」
「冷静沈着振りで名声を得た弟小早川。勇猛さで名声を得た兄吉川。弟から戦線の大将の地位に代わった兄だが、守備的な陣に終始している」
「ご、ご本人は、相当イライラしているのでは……」
「……なるほど」
「下郎には下郎の道があるものだ」
備中を見てそう言った鑑連。酷い言葉だが照れ隠しであって欲しいと願った備中、その通りだとすぐに理解する。鑑連の戦術が決まったのだ。
「まず山城に火を放つ。大抵にな。それから速やかに仕掛けるぞ」
「……はっ」
鑑連と由布の主従はその会話だけで一から十まで考えを共にすることができる。二人のその関係に感心していると、備中の肩に手を置いて由布は労ってくれた。
由布が退出すると、鑑連からの命令が飛ぶ。
「備中、吉弘倅に伝えろ。立花山に火を放った後、強烈な攻撃を吉川隊へ仕掛けるとな」
「はっ!」
身支度を開始する鑑連。愛刀千鳥を軽く振るう。
「……」
次いで、小筒の銃身を凝視する鑑連。
「……」
「何をしている。早く行けよ」
「つ、続きをぜひ」
「なんだって?」
「で、ご伝言の続き……です」
「それだけでいい」
「え!」
「これだけ伝えればワカるだろ」
「し、しかし……」
吉弘の嫡男は由布ではないのだ。それで良いのだろうか、とまごつく備中。
「これでワカらなければ、使えない親父と同格ということだ。だが、貴様によるとそうではないのだろう」
「わ、私だけでなく、恐れながら、小野様がおっしゃっていた殿が信頼を置くに値する人物とは、吉弘様ご嫡男のこと……では……と」
「なら尚更それだけ伝えれば十分だろうが」
「た、確かに……」
「蹴飛ばすぞ!とっとと行け!」
「は、ははっ!」




