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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
199/505

第198衝 押張の鑑連

 鑑連はそっくり返ったまま歩み、陣内の隅に置かれた桶を取った。すると、無言で小野甥に水を差し出す。礼をして柄杓を受け取った小野甥だが、備中の記憶によると、多々良の川から汲んだその水はちょっと古く温いものであった。それを忍耐力で飲み干す小野甥の傍に、桶がどっしりと置かれた。


「美味いか」

「いえ、酷い味です」

「ワシと貴様のこんなやりとり、もう何度目かな」

「私による祖国愛の発揚なら」

「貴様のお節介が、だ」

「数えてはおりません」

「備中」

「はっ?あの、いえ、ええと……四度目……?」


 小さな沈黙の後、鑑連は表情を緩めた。つられて備中もそうしたが、小野甥は変わらない。小休止らしいものが終わる。


「吉岡ジジイの頭の中では、この謀略で安芸勢を撤退に追い込むということだろうが、ワシがいなけれ」

「戸次様、雲州で騒ぎがあった程度で、安芸勢が下がるとお考えですか」


 今日何度目かの、小野甥による鑑連発言おっ被せが決まった。鑑連はその内容が意外だった様子で、


「なんだと?」

「所詮が狂い咲き。雲州の反乱勢が、毛利元就に太刀打ちできるはずがない」

「では何のための謀」

「きっと吉岡様は他にも手をお考えでしょうが、それは別の話です。当座、戸次様にも前線の諸将にも関わりがない、と吉岡様はお考えなのでしょう」

「関わりがないはずがなかろうが」

「吉岡様がそう判断されたのだろう、ということです」

「ワシは雲州の件すら貴様から聞いたのだが」

「その役割を私に期待しているかもしれない吉岡様のお計らいがあったのかもしれませんね」


 推論の繰り返しを堂々と披露する小野甥。若武者はこの会談で初めて温かみのある表情を示したように備中には見えた。


「貴様、あの妖怪と面識があるのか。それでは」

「それはさておき雲州の乱により安芸勢も動揺はするはず。戸次様がお望みの事態を創出できるのではありませんか?」


 何度目の発言封じだろうか。それでいて、鑑連は激発していない。備中その手腕に聞き惚れる。


 鑑連、少し考えて、


「この話を知っているイヌどもが動かないとすれば?」


 だが、小野甥は冷たく、


「それは戸次様の問題です」


 プイと横を向く。私は知りません、という風だ。さすがの鑑連もこれには一瞬で悪鬼面になり、腰の獲物を再び握る。驚いた備中が間に入る


「と、殿!」

「しかし、そうでしょう」

「お、小野様。もう少し折り目正しいお発言を……その」

「事情を知っている諸将方でも、戸次様が信頼を置くに足る方はいる、と私は考えます」

「そ、それはど、ど、どの方でしょうか」

「見ていればワカる筈ですとも」

「クックックッ」


 悪鬼面のまま嗤う鑑連の体から、恐怖が拡散される。備中は全身から嫌な汗を流し始めたが、小野甥は怯まない様子だ。


「そのような謀略があることを、あの毛利元就が把握していない筈がない」

「同感です。だからこそ、雲州の一件だけでは安芸勢は撤退しないのです」

「吉岡の二の手があると?それとて」

「戸次様。毛利元就と言えども」


 さらなるおっ被せ。この会話の主導権、今は鑑連には無い。


「この世の事象全てを承知している訳ではありますまい」

「吐け。堕ちた名ばかり老中筆頭吉岡妖怪ジジイが弔問客の訪問を前に何を企んでいるかを」

「私はそこまで知らされておりません。本当のことにございます。しかし、必ずもう一手あります。言い換えれば無ければならないのです。でなければ戦略として成立しない」

「義鎮と吉岡しか知らないと?」

「戸次様。宗麟様と吉岡様について、少々甘く見過ぎていた、とお考えには?」

「貴様」


 悪鬼面が朱に染まった。これは雷の予兆だ。


「国家大友の家督と老中筆頭です。この国の名目一番と実質一番です。戸次様はそのどちらでもない。その意味を、十分にお考え下さい。おっと」


 小野甥は極めて自然に柄杓を振り、鑑連の懐に多々良の水を撒いた。見れば鑑連の手が懐に伸びていた。鑑連の小筒は封じられた。


「二度、撃たれるのは御免被る次第にて」


 濡らされた鑑連。動きを止めたが悪鬼面は解除されない。沈黙が流れる。


「戸次様、ぜひ吉岡様に歩み寄り下さい。これは下位にある者の責務です」


 誰よりも自分が一番、と確信している鑑連だ。この発言を容認できるはずがない。怒りに正気を失ったか、その後、一言も発しない。


「現在、この戦線は膠着中。我ら大友方が優勢でも、決定打が無い。何かが無ければ戸次様のお立場が揺らぎます」


 鑑連はまだ無言だ。


「故に吉岡様の企画にご同意されるべきです。そしてそれは恥ではないはず」


 無言どころか所作もないため、音無である。


 悪鬼と説諭の狭間にあって、備中は考える。ここまでの直言をする者、それも若者は貴重であるはず、鑑連もそう思ってくれていれば。無論、その片鱗も時に見えるのだ。


 さらに続く説諭の中、ようやく鑑連が口を開いた。


「大将たる者、勝っている時には一か八かの作戦などしないものだ。それよりも演出で功績をさらっていく。故に妬まれ、嫌われる。ワシのような英雄の宿命だ。そうだな、備中」

「えっ?……は!ははっ!」


 慌てて平伏した備中に視線を向け、微笑む小野甥。


「ワシと貴様の考え、正否を論ずるのは時間の無駄だ。何故なら、ワシが確信していることは、ジジイの策が何であれそれはワシに向けられたものである、というものだからだ」


 静かに、視線を合わせずに小野甥は呟く。


「大したご自信ですね」

「これまでもそうだった。知らんのか?かつて肥後にあって、ワシに替えて小原遠江を用いたのは誰か、吉岡ジジイだ。ワシはその小原の始末を持ちかけ、その為に高橋を用いたのは誰か、ジジイである。その仕返しに、秋月討伐にかこつけてワシが仕組んだ佐伯紀伊守討伐に協力させられたのは?吉岡ジジイだよ」


 かくも饒舌な鑑連は珍しい。まるで南蛮の僧侶がやる悔悛自白の儀式にようだが、告白者がその行いを良し、としている点が違うなあ、と備中はぼんやり頷く。


「ワシらの関係は相互相生といった甘さとは無関係だ。それは常に容赦ない競争であり実践躬行、時に相乗便乗、不義理嘘偽りも躊躇しない。協力協働以外はなんでもあり、信義無用の修羅道なのさ。貴様の敬愛する大友家督も、この程度のことは百も承知と思うがね、クックックッ!」

「故に」

「おい、おいおいおい!貴様」


 威嚇とともにその悪鬼面を小野甥に急接近させる鑑連。


「だから成果が上がらないとでも言うのか!」

「はっきり申」

「なるほど。では貴様の指摘、大友家督と老中筆頭の罪であるということだ」


 ん?鑑連は強引に話をすり替えたか、と備中、眉をひそめた。が、鑑連は満足気に常の顔に戻して曰く、


「貴様が、国家大友首脳に対して苛立ちを感じていること、しかとワカった。だが、競って来たからこそ今日の日があるとも言える。競ったからこそ、門司を守りきれたとワシが言えば、それを誰が否定できる?」

「その被害もまた甚」

「否定する者あれば殺す。おい、その桶の水、全部飲み干せ」

「ええと、はい」


 一転、発言を被せられ始めた小野甥。桶ごと抱えて臭い水を飲み始める。鑑連を前に一歩も引くつもりもないのだろう。一滴も水を零さない小野甥の姿を、鑑連は眺めながら曰く、


「さっきは本気で貴様の頭をブチ抜くつもりだったがな。その判断と度胸は認めてやる。だから」


 小野甥が水を飲み干し桶を置いた刹那、恐怖の悪鬼面を示された。


「諦めろ」


 小野甥の目が光った。余裕にではなく、動揺に。小野甥の動揺を、備中は初めて目にした。


「ワシは吉岡と協力はしない。ヤツにもそのつもりはない。田原民部の考えは知らん。これがこの国の真の姿だ」

「いいえ、私は」

「貴様の理想はイヌどもに食わせてやれ。毒にも薬にもならないだろうがね、クックックッ!」

「戸次様、どうか今一度話をお聞」

「これよりワシは前線の様子を見なければならん。危険な場所だ。残念ながら、義鎮公の御使者をお連れするには時期尚早。今は高良山あるいは豊後へ戻られると良い」

「私をこの戦場へ連れてきたのは戸次様ですが」

「備中、義鎮公のご近習たる小野鎮幸殿はお帰りだ」

「わざわざ義鎮公へ要望を上げてそれを通させ、私にここが持ち場だ、と指示したのは戸次様、貴公です」

「お見送りをせよ」


 有無を許さぬ鑑連と抗議する小野甥、二人の間で哀れ森下備中はおろおろするしかないのであった。

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