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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
196/505

第195衝 乗雲の鑑連

 作戦を伝えられた田原武士は本当か、という顔をする。


「本隊の前進に合わせて一斉に射撃を?」

「はい」

「大将立案の作戦?」

「は、はい」

「本隊が前に出るのか……危険なのでは?」

「危険を冒して渡河するのだということです」

「身分を逸脱して前線にしゃしゃり出れば、他の連中が反発するかもしれない」

「如法寺様はいかがでしょうか」

「……」

「……」

「いや、今の苦しい状況では本隊も戦う必要があるだろう。なら、反発はしないか」


 そう言って、腕組みした田原武士。しばらく唸り考えた後、なにかが腑に落ちたのか、目に力を宿して曰く、


「確かに意表を突くことにはなる。やはり戸次様は猛将……さらに狡猾だな。隣の臼杵隊が攻め込まれている今、敵の一部は隙だらけとも言える」

「しゅ、主人の狙いはそこのようです」

「ワカった」

「あ、ありがとうございます」

「いつ仕掛ける」

「合図します」

「所々で霧が張っている。少しでも刻がズレれば、失敗するのではないか」

「本隊はもう動き始めます。わ、私が合図を、します」

「もう動き出すのか、どうやら問答無用だったようだな」


 そう笑った田原武士、備中を改めて見直し、


「ん?ワカるのか」

「と、殿の気配なら確実に」


 顔を見合わせた二人。共に苦笑した。


「そりゃ凄いな。よし、では隊を前進させる。行こう!」

「はい!」

「その間、臼杵隊は孤立するが、その奮闘に期待するしかないな」



 多々良川前。


「ここは特に霧が濃いですね」

「……川の向こうに敵がいる」

「ワカりますか」

「おいおい、耳をすまさなくても、鎧袖が擦れる音が聞こえないか」

「た、確かに」

「備中殿、本当に大丈夫か?」


 そんな様で鑑連の気配を感じ取れるか、ということだろう。だが、それについては確実に自信がある備中。


「我らが敵に気がついたということは、敵も同じだぞ」

「……お、お任せください」


 目を瞑る備中。少し薄く目を開くと、霧の川が見えるだけだ。


「……殿」


 だが、主人がどこを動いているか、不思議と確信を持って言えるのである。過ぎ去りし折檻の日々が脳裏を疾る。


「……主人……鑑連……悪鬼……面」


 浮かんだ雑念に、また小さな視界に戻った備中。思えばこの時のために、自分は鑑連の辛く厳しい折檻に耐えてきたのかもしれない。この奇妙な符合に、備中は天道の徴を見た。


「奇妙ではあるが、符合を感じる」


 改めて視界を断つ。石宗など居なくても良い。天への敬虔に想いを致し、耳を済ますのである。


「……」


 静寂が辺りを支配している。刹那、体毛が逆立つのを、備中は的確に感じ取った。


「今です、如法寺様。今、主人鑑連が川を渡り始めました」

「撃て!」


 田原武士の命令直後、轟音が連続して鳴り響く。川の向こうで悲鳴や叫び声が飛び交っている。田原武士の悲鳴のような絶叫が疾る。


「続けて、撃て!」


 それが銃撃音の重なりが空気を震わせた最大であった。火薬のシビれる匂いが備中の鼻を突き、貧弱な文系武士ですら、戦場の空気に酔いしれそうになる。銃撃が止んだ。


「備中殿!我らは当座の攻撃力を使い果たした。戦場を離脱する!」

「ありがとうございます!本陣に内田隊が待機しています!その背後で物資の補給を行なってください!その後、臼杵隊の再援護を!」

「承知した!では!」


 田原武士は部隊に号令をかけた。時を移さず、田原隊は撤退して行った。彼らが追撃を受けないことを天に祈り、備中は走り出す。馬はいない。銃声に驚いて逃げ出したのだろう、気がつけばいなくなっていた。



 本隊に追いつくため、走りに走った備中。他の武士より軽装だが基礎体力が低いため、息が続かない。それでも戸次隊の最後尾に付くことができた。


「や、やった!上手く行った!」


 見れば戸次隊は川を越えつつある。自分の功績はなかなかのものではないか、と胸が熱くなる。隊は敵の激しい妨害にあっているようだが、こんな時、自分が主人鑑連の側にいて、なにがしかの役に立たねばならない。そう確信した備中は恐る恐る川に侵入する。さほど深くない。それにこちら側が押しているようだ。文系武士はあっさり川を越えた。


 耳に聞き慣れた声が遠く聞こえる雷鳴のごとく聞こえてくる。


「勝機は拙速を貴ぶのだ!」


 間違いなく鑑連のそれである。備中は方角を変え、走り出す。正面から矢玉が飛ぶ気配を感じるが恐怖はない。鑑連の気配を完璧に感じ取り田原隊を動かした功績を早く認めてもらいたかった。


「かかれ、武者は死ぬまで修羅!」


 声と気配はするが姿が見えない鑑連の言葉。近づくにつれ、撃剣の音、絶叫、悲鳴の度合いが増していく。最前線は間近なのだろうが、そこに鑑連はいるのか。


「そうだ貴様良くやった!文字通り、敵のしかばねを乗り越えて進め!」


 鑑連はなにやら兵を褒めているようだった。主人は自分の功績にどんな言葉で報いてくれるだろうか。


「今、ワシの立つ場は常に最前線!ワシに功績を奪われて、貴様ら若造ども恥ずかしくないのか!走れ!走って敵を倒せ!」


 見えた。口角泡を飛ばし、最前線で兵を激励する鑑連がいた。山崩れになぎ倒された木々のように、敵兵が倒れている。


「敵は門司の山で勝ったことのある相手だ!」


 隊全体の指揮統率は由布が行なっているのだろう。鑑連は最前線の戦闘を、自ら指揮していた。そしてそれこそがその人格的圧の最大活用であるのかもしれない。


「貴様腰抜けたか!いいか、槍はこうやって突き出すのだ」


 その叱責とともに、見るからに押されていた一兵の長槍を奪い取った鑑連、電光石火の突き出しを繰り出し、敵を追い散らす。自ら前線を幾歩も進めた。


「見てたな!今のようにやるのだ!行け!」


 得物を返された兵は鑑連に尻を蹴飛ばされ、最前線へ進んでいった。


 主人鑑連の凄まじい指揮姿に声をかけることもできない備中。ふと気がつけば隊の見知った顔があちこちにいる。どうやら本隊は全員渡河を果たしたようであった。


 一際耳に入る大声が聞こえた。


「あそこに敵将小早川の本陣がある!」

「毛利元就の息子だ!殺せ!」

「首を討てば恩賞を欲しいままにできる!」


 戸次隊はさらに前進をする。敵中突破という言葉が似つかわしい戦いぶりに、ことが落ち着くまで鑑連の近く、無言で待機しているべし、と備中は浅はかな自己顕示を押さえることにした。



 周囲から敵の姿が消えた後、鑑連が備中を呼んだ。


「おい」

「はっ!備中戻りました」


 鑑連は上機嫌でも不機嫌でもない。が、取るべき姿勢としては正解だったようだ。


「ここの地名はなんだ」

「はっ?はっ!ええと、な、名子のはずです!」

「長尾だな。見ろ。左右に丘がある。川もあるから橋頭堡としてはおあつらえ向きだ。今より我らが本陣はここだ。立花山の包囲などいつでもできる!」

「御意!」

「その旨を、各隊に伝えてこい。できる限り、敵にも聞こえるように大声でだ」

「て、敵にもですか」

「ワシがここにいると知れば追い出しにかかるしかない。そうすれば他の隊も渡河しやすくなるだろうが」


 勝利に溺れている様子もなく、冷静な主人の頭脳に、心から感服した備中。それは久しぶりのことでもあった気がした。

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