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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
193/505

第192衝 軽詆の鑑連

 天が雨を含む季節に入った筑前。立花山城を守る大友勢は公式に降伏した。それでも守備兵らはみな、生きて城を退出する、安芸の頭領の人道を享受する。鑑連は無感動に口を開く。


「恥知らずどもが来たぞ」


 肩を落として多々良川を渡る一団が見える。視力の良さが自慢の備中、目を凝らして曰く、


「ご近習衆の……津留原様、臼杵様、田北様、確認できました。本当に皆、生きてお戻りのようです」

「当然だろ。あのクズどもには殺す価値すら無い。それよりも安芸勢を見ろ。あの恥知らずどもに罵声一つ浴びせなかった。大した統率力だな」

「……はっ」


 鑑連が他者を称えるとは、これも戦場の奇瑞であろうか。罵声を浴びせれば、理性を失いつつも士気が高まることもある。敵はそれを避けたのかもしれない。


 多々良川の左岸に展開する大友方の大将は主人鑑連である。公式に。その言によると、股肱の直臣吉弘の発病と南北から攻められることへの恐れにより混乱を来した義鎮公から言質を取るのは容易だったとのこと。


「加えて殿との約束を守り佐嘉勢が動かない今、義鎮公はそれを後悔しているのかもしれないな」


 備中は独り言ちたつもりだったが、鑑連には聞こえていたらしいその想像に対し、振り返って曰く、


「背後に隠れる者こそ、前線のことに口を出したがるものだ。あれは六韜など読んだこともあるまい。肥後でも、門司でもそうだったが、もう邪魔立てはさせん」


 主人のその言葉から、強い意志を感じた備中、腰に下げた短刀を再確認する。もし、この戦争に負ければ、鑑連は失脚する。同時に国家大友も沈没する。いかな文系武士でも、戦いに臨むにあたり気を引き締めざるを得ないのであった。



 命長らえた敗残兵たちが、梅雨の空というのに陽に照らされて戸次の陣の前を通りかかる。隠れる場所など与えないと言わんばかりの天の采配に恐れ入る備中。彼らはちらちらと鑑連を見ているようでもあるが、彼らの向かう先は臼杵の陣の様子。恥じ入る内の一人は、臼杵弟のそのまた弟でもある。


 陣の外に出て愛刀千鳥を片手に仁王立ちする鑑連は、決して彼らに目を合わせない。


「……」


 その威姿たるや凄まじい。敗残兵たちの顔は屈辱に沈んでいる。城を守れなかったこと、敵に許されたこと、そして義鎮公の近習衆でもある彼らは主君との摩擦ばかりの戸次鑑連の前に、無様な姿を晒す事態に耐えきれない様子であった。だからか近づいても来ない。


「……」


 鑑連は何も言わない。手を差し伸べることも、叱咤することもない。彼らが視界にいても認識することを忌避している様子だ。


 これが罰だ、と備中は理解した。ではどの咎への罰だろう。城を守れなかったことでは無く、敵に命を奪われなかったことでも無い。すぐ近くまで救援に来ている大将の自分に何事も計らなかったことへの、軍における不文律を破ったことへの罰だ。全将兵の視線が彼らに注がれ続ける。


「せめて一言、連絡してくれていれば……」


 また独り言ちた備中の言葉が耳に入ったらしい鑑連は、小さく鼻を鳴らした。



 敗残兵たちが去った。霧が現れ、沈黙が訪れる。見えぬ先で鴨の鳴き声や鷺の気配のみを感じていると、五感が冴え渡るようだった。鑑連を見ると、今まさに号令を下さんとしていた。


 鑑連が指揮杖を振るうと、背後で武士たちの雄叫びが轟いた。一箇所から連動して、無数の場所からの雄叫びは凄まじい声量だ。それだけ、今回主人鑑連が率いる将兵の数は多い。備中の予想では大変な戦いになるはずだった。


 轟が最高潮に達するや、武者たちは霧の先へと飛び込んでいく。怒号や叫び声、水を打つ音、肉を打つ音が盛んになるや、伝令が次々と報告に飛び込んでくる。


「吉弘隊より申し上げます!下流に近い我が隊、川沿いで敵勢と戦闘状態に入りました」

「鎮信の親父はまだ寝込んでいるな」

「よ、容易には立ち上がれないご様子ですが嫡子鎮信が懸命に指揮を!」

「クックックッ、当然だな。ワシとの契約を破ればどうなるか、よく承知しているのだろう。戻って伝えろ。後退は禁止、兵が足りなければ再度伝令を出せ、それ以外は好きにしろとな」

「はい!」


 足をもつらせながらも、吉弘隊の伝令は戻っていった。入れ替わりで戸次武者がやってきた。


「臼杵隊より伝令です。正面に敵の姿無く、渡河の好機ゆえ前進する、以上です」

「備中、この差だ。ワカるな」

「は、はい」


 老中臼杵弟は鑑連の指揮命令を仰ぐつもりはないのだろう。この重大な戦場で意地を張り続けるなど、備中ですらどうかと思う。


 だが、鑑連自身にに心配はないはずだ。豊後からの援軍全ての到着前に戦端を開いた主人鑑連だったが、それは今も続々と到着している。予備兵力をいつでも投入できる強みがある。よって備中もまだ、安心の中に浸っていられる。


 小野甥からの連絡兵が来た。


「申し上げます!援軍到着です!田原隊、木付隊、利光隊、清田隊、以上です!」

「田原隊の装備は鉄砲か?」

「はい!如法寺様指揮の隊です!」


 その名は、門司撤退の時分、豊前の戦場で備中によくしてくれた田原武士のものだ。


「ワシの右隣で戦闘準備を整えろと伝えろ。他の援軍は、まとめてワシの背後で待機だ」

「た、待機、でしょうか」

「待機だ」

「はっ!」


 小野甥の使者が出て行った後、鑑連は吐き捨てて曰く、


「今更到着の連中だが、田原隊以外は、使い物にならん。平和が成った豊後で惰眠を貪るだけが能の連中だからな」

「ぎょ、御意!」


 彼らとて日頃から武芸を磨いていると大声で主張しているが、戦場の作法は疎かになっている、そういう考えもあるのだろう。


「といっても、田原民部の管轄になって、堕落してないといいがな……そうだ。役立たず連中と宝満山城を抑えている志賀と斎藤を入れ替えよう」


 鑑連にしては珍しく、喜色豊かな独り言だった。よほどの名案なのだろう。


「備中、手配してこい」

「お、恐れながら、せっかく到着の彼らに道を引き返せと言うことになりますが……」

「構わん。連中も本当はそれが嬉しいのかもしれん」

「は、はっ」


 何となく嫌な仕事の手配に走る備中。現在の布陣を想像しながら進む。


 今、大友方は西から順に、吉弘隊、朽網隊、橋爪隊、戸次隊、臼杵隊が展開し、川沿いで戦っている。およそ一万の兵がいるのだろうか。安芸勢よりも少ないはずだが、後背で兵を入れ替える猶予など持って良いのだろうか。


 備中、高台に走り戦場を俯瞰する。吉弘隊と、その吉弘家の影響を強く受ける朽網隊、橋爪隊は鑑連の指示を受け、その目論見通りに動いているようにも見える。安芸勢の大軍という大恐慌を前に、一部の例外はあっても、大友方は結束を強めているのかもしれない。


 鑑連の見通しも、備中のその考えも正しかった。豊後からの援軍は鑑連の指示に一切の不満を述べる事なく、宝満山城の陣へ移っていった。そして、数日後には、多々良川の戦線に、筑後勢を率いる斎藤隊、肥後勢を率いる志賀隊が加わった。


「クックックッ!」


 高笑いの鑑連である。恐らく、現在の鑑連にとってこれ以上ない布陣の構築に至ったのだ。豊後勢最強最良の布陣ではないにせよ。備中は主人が握ったこの成果が、なるべく長く続くことを天に祈願するのであった。

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