第190衝 狐疑の鑑連
「降伏しただと!」
「はっ、はひっ!」
鑑連怒髪天を衝く、とはまさにこのこと。久々の鉄扇を鼻先に突きつけられた備中。キツイ詰問が開始される。
「なぜ降伏したのだ!」
「よ、よくワカりません、はい!」
「クズどもめ!」
鑑連、立花山の三名の近習の名を吐き捨て、引き続ける。
「なぜここの大将であるワシが知らんのだ!」
「た、た、た、立花山城は義鎮公の許可を得て、こここ降伏をするのだ、とのことです!はい!」
「青二才が!」
そういえば鑑連が義鎮公から敬称を省くようになったのはいつだったか、などとふと思う備中。かなり昔であるのは確かだ。
「義鎮はなぜワシに知らせんのだ!」
「う、うううう臼杵様はご存知とのことでした!」
「おのれ」
悪寒を確信する程に空気が冷えた。持ち替えた愛刀千鳥を手に、陣を飛び出そうとする鑑連。刹那、その腕にしがみつき引き摺られながらも間一髪で留める備中。
「と、殿!いけません!」
「臼杵めも宝満山で秋月の者を無言で斬り捨てたではないか!ワシだって!」
「あ、相手はご老中です!」
「黙れ!離せ!」
「と、殿!」
「軍規は糾さねばならん!」
「お、小野様!」
修羅場の中、備中は小野甥に救いの眼差しで訴える。さり気なく自分の忠義を気で伝えながら。爽やか武士はどことなく他人ごとな風であったが、やはり爽やかに曰く、
「朗報もあります」
「な、なんだと」
鑑連のカッと見開かれた眼球がギョロりと蠢動する。
「本国豊後より、増援隊が向かっているとのことです。その数なんと、一万余」
「おお、すごい!」
憤怒鎮火のため、大声を張上げる備中と落ち着きを取り戻した鑑連。
「ほう」
「それが全て殿の指揮下に!」
「そんな予備兵力があったかな」
「田原民部様が号令を掛けているそうです。余裕がある家も無い家も、次々に兵を送り出しています」
腰を下ろす鑑連。備中はようやくホッと一息を吐くことができた。
「根廻しの成果がでたか」
「はい」
「田原民部にそんな人望があったとは、驚きだがな」
「あったということなのでしょう」
「た、田原民部様は、殿のお力をお認めのはずです」
備中の発言に、小野甥も頷き返してくれた。
「付け加えれば、目下国家大友は久々の危機の中にあります。敵が深く攻めて来たということなら、天文三年の大内家との決戦以来。立ち上がろうとしているのしょう」
「惰眠から覚めたということか。で、ここには誰が向かっている」
「まず田原常陸様」
「おお!これは心強い」
ギロリと備中を睨む鑑連。黙れ、との声無き声が聞こえた備中、それに従う。
「また血縁的にも大友宗家に近い中小の武士団が向かっています。ただ、豊前を守る田北隊は安芸勢に与する勢力と田川郡で戦になっている、とのことで、田北家は弟君の刑部殿のみこちらへ寄越されたとのことです」
「弟君……あ、あの方か」
数年前の豊前松山城での出来事を思い出し、不愉快になる備中。ふと、別の懸念が脳裏に浮かぶ。
「そ、それほど兵を繰り出して、本国豊後の守りは良いのでしょうか」
「田原民部様が国東と佐伯の水軍衆を再編成し海岸線の防衛に挑ませているとのことです。田原民部様はなかなかの策士ですね」
それを聞いた鑑連、せせら嗤い、
「再編成?田原常陸から取り上げただけだろうが、クックックッ!」
「……」
「クックックッ!」
「佐伯の水軍?」
「クックッ……」
「佐伯の水軍ですって?」
「はい」
「クッ」
鑑連の嗤いが止まった。虎の尾を踏んだ気持ちだが、佐伯というその単語、備中にとって聞き逃すことなどできるはずがない。他方、佐伯嫌いな鑑連の追求が始まる。
「おい、佐伯に水軍衆などもうおらんぞ」
「それがいるようです」
「いるはずが無い。頭領の紀伊守はワシが追放したのだ」
「ですが」
「ワシが追放してやったのだ!海を越えて!伊予へ!」
「十年以上前のことだ。貴様は知らんかな」
「いえ、存じております」
明らかに動揺を深めている鑑連だ。妙にそわそわしており、その様子に小野甥も少々戸惑っている。
「えー、佐賀関にその佐伯紀伊守様が入られたとのことです。すでに安芸勢の海からの来襲に備えていると……」
「どういう事だ!」
鑑連の怒声が一閃した。陣幕内がビリビリと妙な音を立てている。が、小野甥は気圧されるということのない武者だ。
「恐らく、国家大友への復帰が許されたのではないかと」
「誰が許したのだ!ワシは許しておらん!」
「義鎮公しかおりませんな」
「十年前に謀反の罪で追放された男が!何故!どうして!戻れるのだ!」
「例えば、紀伊守が詫状を提出したとして、それに義鎮公が判を押したのでしょう」
「……」
「……」
「誰の手引きだ」
「戸次様それは」
「永遠の青二才一人でできる判断では無い。誰だ!妖怪ジジイか!」
「えー」
「貴様、知っていることは全て話せ!」
「しかし」
「隠蔽は為にならんぞ。国家大友にとってもだ!」
「それは」
「戦略上の資料としてだ!これは命令だぞ!」
「……」
「下郎、吐け!」
嵐のような問い殴り。常軌を逸した鑑連の態度を前に、小野甥は口を開かんとしていた。悪い予感しかしない備中、ただひたすらに耳を塞ぎたい気分のなか、小野甥の若く涼しげな口元を注視していた。