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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
188/505

第187衝 瞬止の鑑連

 備中の甲高い声が場違いに一閃したのち、鑑連は黙っていた。黙って、備中へ詳細を求めることなく、しばらく考えていた。


 他の家臣から見ても、鑑連は即決の人である。主人の数少ない美徳の一つとして、備中もそれを認めていた。この時も決定は速かった。


「備中、増吟を呼べ」

「は。はい」

「鎮信」

「はっ!」


 顔を上げた吉弘倅の目はギラギラ光っていた。追い詰められたその姿は痛々しい。


「ワシは慈悲深いことにお前の親父の健康と命を救ってやることにした。父を思う子の心に評価すべき点があると判断したからだが、よってこれは、お前に対する貸しになる。鑑理ではない。鎮信、お前だ。このことを決して忘れるな」

「は、はっ」


 些かの動揺はあるが、返事をする吉弘倅。これでこの人物も鑑連の恐怖に囚われつづけるのだろう、と備中は心の中で八幡大菩薩の名を唱えた。鑑連の言葉が続く。


「以後、ワシの言葉は父の言葉と思え。ワシのために働くのだ。また、ワシの命令と親父の命令が相反する時、お前はワシの命令に服さねばならん」

「……」

「鎮信、当然だよな?」

「……父が無事に肥前より脱出できるのであれば」

「愚問だ。ワシにかかればなんてことはない。おい、備中。増吟を早く……おっと来ていたか」


 怪僧はすでに陣の入り口に控えていた。その神出鬼没にびっくりする備中。


「戸次様が拙僧を呼ぶ声が、聞こえましたもので」

「早速だが時間が惜しい。すぐに単身佐嘉城へ入り、先方へ和睦に応じろ、と伝えて来い。絶対に説得するのだ」

「海津城城主を通さずとも良いのですね」

「そうだ。むしろその方がやりやすかろう」

「かしこまりました。ご心配には及びません。必ずや、佐嘉勢の頭領は応じます。それどころか飛びつくでしょう」

「安芸勢が門司に到達してしまってはそれもワカらん。さあ、行け」

「吉報をお待ちください」


 増吟の背中を見る吉弘倅の頭には色々な疑問が沸き起こっているようだ。


「あの僧は……」

「この辺りに縁を持つ者だ」

「お、驚きました」

「?」

「戸次様の人脈に」

「クックックッ、約束した以上、お前もその一脈にならねばならん。早速だが良いかね」

「はっ」


 吉弘倅、意を決したように深呼吸をして、返事をした。戸次党の一員としての自分を受け容れたのか、それとも面従腹背か、鑑連の評価が気になる幹部連一同である。


「これより安芸勢の来襲があるだろうが、その際に戸次隊に属し最前線で戦うのだ。ワシの指揮命令系統に服してな。無論、そなたの兵を引き連れていなければ意味がないがな」

「……はっ」

「喜べ、武勲を立てさせてやる」


 弱者を上から見下ろす鑑連の顔は満足感に歪み、暗黒魔導を照らすが如くであった。



 翌日。


 陣中の鑑連は増吟の戻りを待ちつつ、幹部連を見渡している。


 由布を見てなにやら満足げに頷いた。この右腕を頼もしく思っているのだろう。次いで内田を見た。少し微笑み、やはり満足気だ。この勝気な近習筆頭をまあ大切に思っているのだろう。そして備中を見る段になったが、備中は気にしない。この流れであればどうせ無視されるのが毎度のオチなのだから。


 だがこの日はそうではなかった。鑑連が自分を見て、満足気に頷いているではないか。ついに己の忠節が主人の心に届いたのだろうか。胸から感情が溢れ出そうになる備中。だがしかし、賢明にも感情を踏み抑えた。主人鑑連に対して甘い考えは禁物である。何か、あるに違いないのだ。ここは聞いてみるしかない。


「……殿、いかがなさいましたか」

「黙れ」

「はっ」


 叱られたが鑑連は笑顔。原因は不明ながらも機嫌は良いようなので、もう放っておいてもいい気になる。


 陣に沈黙が広がる。ふと放置した鑑連を見ると、悪鬼面になっており、驚いて立ち上がってしまう備中。ギロと鑑連が睨んでくる。


「貴様、何か無礼なことを考えたか」


 何故かバレていた。取り繕う備中。


「め、めっそうも」

「ふん、それより吉弘の件。忘れるなよ」

「はっ!?」

「おい、今のは同意か質問か、どっちだ?」

「……ははっ」

「そうかそうか。吉弘一門がワシのためにならなければ、貴様が責任を取り潔く切腹するということで良いのだな。正直言ってワシはそこまで求めてはいないのだが、貴様がそこまでいうのであれば、それも良いだろうとは思う。忠節の程を示せよ」

「……」


 言葉も無い備中。どうやら自身の忠節の程は届いていたようだが、改編されていたようだ。由布と内田が同情の視線を向けていた。こんな時、小野甥ならば輝く機知をもって助けてくれたのかな、と思いながら着座する備中であった。



 そこに増吟ではなく使者が来た。身に付けている徴から筑前・薦野勢の使者であると知れる。


「申し上げます!主人薦野増時より、大至急、戸次様に直接申し上げよ、とのことで参上いたしました」

「そうか、安芸勢が来たようだな」

「はい!」


 驚いて鑑連を見つめる幹部連である。鑑連の先見の明は確かな信頼があるようだ。満足げにそれら視線を堪能しつつ、鑑連は曰く、


「敵は門司に入り、豊前筑前の城を攻めているのだろうが、これより駆けつける、と薦野へは伝えよ。それまでは堅守籠城し、城からは出るな、とな」

「い、いえ!敵は麻生、宗像の地を抜け、すでに立花山城まで到達しております!」

「なに!」

「その数余りにも多く、少なく見積もっても一万余は!」


 これには驚いた様子の鑑連だった。どうやら安芸勢の棟梁、毛利元就は主人鑑連の想像の上を行ったようである。長年国家大友を翻弄しつづけるその人物像について、流石に興味が湧いてくる。


「ナメた真似を!増吟はまだ戻らんか!」

「し、しくじっていなければそろそろかと」


 鑑連の怒号が走る。機嫌が悪くなってきたということは、一部目論見が外れたのは間違いないのだろう。どうやら主人鑑連が当面の敵と認識しているのは安芸勢のみのようだ。そうこうしているうちに、怪僧増吟、微笑みを浮かべて帰陣する。どうやら良い結果が出たようだ。


「ぞ、増吟殿、戻りました」

「首尾は」


 出発前後と打って変わった鑑連の機嫌の悪さに目を瞬かせて、戻った増吟報告する。


「佐嘉の頭領は物分かりが良く、和睦を受け入れました」

「そうか」


 幹部連、感嘆の声を上げる。和睦を受け入れる、ということはこの戦役は終わりということだ。増吟はその社交性によって、大いに功績を残したと言える。


「増吟、安芸勢が立花山まで到達した。佐嘉勢は安芸勢の動きを察知しているか」


 その指摘に驚いた様子の増吟だが、姿勢を正して明言する


「いいえ」

「確かか」

「はい」


 頷いた増吟の対応に満足を得た様子の鑑連。立ち上がって曰く、


「よし、ではこれより義鎮の陣へ行く。安芸勢を追い払うためにもこの和睦、絶対にまとめ上げねばならん」


 確かに、安芸勢来襲がバレれば、背後から攻められ、挟み撃ちになる恐れすらある。そうなれば、鑑連の名誉もろとも命をも失うかもしれない。


「備中、鎮信の元へ行き、すぐに義鎮の陣へ来いと伝えてこい。ワシは先に行っている」

「はっ」

「また、佐嘉勢と和睦が成ったとしても、一切の油断は禁物だともな」

「……はっ」


 身分高い武士へ自分のような下郎がそんなことを言わねばならないとは、心苦しい。備中は鑑連と共に陣を出た。備中は北へ、鑑連は北東へ。鑑連は別れ際に、


「おい、絶対に鎮信にそう伝えるのだぞ。後で確認するからな」


と念を押してくる。信頼されていない己をふと恥じ入り、


「か、かしこまりました」


と口約束してしまう自分の不甲斐なさに嘆息する森下備中であった。

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