第186衝 嘲嗤の鑑連
「由布も内田もよくやってくれた」
「ははっ!」
「……はっ」
吉弘隊支援の後、内田隊は戸次本隊に合流した。よって、吉弘の陣と隣り合わせで陣取りをしている。
「佐嘉城包囲陣を崩さぬために、義鎮も臼杵も迅速な動きができん……義鎮め、ワシを遊撃の位置なんぞに置くから、こうなるのだ。クックックッ!」
自分が不在の間の軍事作戦の成功にご満悦である。
「それにしても吉弘め、情けないヤツだ」
笑顔の鑑連へ、内田が嬉しそうに語りかける。
「殿、私めは佐嘉勢の頭領に対して槍を」
「クックックッ!備中、吉弘の顔色が悪かったらしいが」
「あ……その……はい」
素通りされて笑顔が固まった内田を放置して、鑑連は続ける。
「佐嘉勢の攻撃の契機もそれにあると、ヤツ本人は言っていたらしいな」
「はい……」
妬みの視線をじっとり感じつつも、すでに報告済みの本件について、備中は気掛かりなことを鑑連へ尋ねる。
「義鎮公はご存知なのでしょうか」
「おい、内田」
「は、はいっ!」
内田は喜びの声を上げる。
「吉弘は病に侵されていると思うか」
そんな話に興味はない、とでも言うように内田曰く、
「いえ、格別には」
「つまり、義鎮は気がついていないだろう」
「な、なるほど」
実に説得力がある。
「しかし、敵は気がついている、とは吉弘様のご意見です」
「この数に包囲されているのだ。佐嘉勢だって一歩踏み間違えれば即破滅。命がけで情報を収集しているのだろうよ」
ふと、方言がキツかった女間者の悲劇的な最期を思い出した備中。前後左右を振り返ると、鑑連が嗤った。
「何用か」
「い、いえ。また間者でもいるのではと……」
「貴様ではないわ。後ろを良く見ろ」
「え?」
そこには男が立ってた。仰天した備中。
「間……!」
「ちょうどそなたの親父の話をしていた」
鑑連の言葉にさらに驚きつつ、良く見れば、それは吉弘の倅であった。何やら深刻な表情で立ち尽くしている。
「戸次様」
「勝手にこんなところまで来られては困るのだがな。で、何用かね」
片膝ついた吉弘倅。苦しげに曰く、
「父が病に倒れました」
「ほう」
その話題をしていたので、幹部連には動揺ではなく沈黙が広がる。
「先般、当家の者共が世話をしてやったはずなのだがな」
「その後のことにございます」
「近年、具合が良くないのか」
「立花山城の戦い以後、熱が下がらない日が続いていました」
「あまり聞かんが、流行病か?」
「いいえ」
「義鎮には伝えたか」
「はい、先程家老を遣わして。今、私が陣を離れるわけにもいかず」
「ここにきているではないか」
「父の命令です。戸次様には私から直接伝えろ、と」
「ふむ」
「それに、隣接して陣取りをして頂きました。心強いことだ、とも」
どうやら吉弘の嫡男は今の鑑連に対して悪い印象は持っていない様子だ。
「で、吉弘殿にせよ、倅殿にせよ、ワシにどうしてほしい」
吉弘倅平伏して曰く、
「お願いにございます。我が父を無事に筑後まで返す良い案を頂きたく存じます」
息子は真剣に父親の健康を案じている様子が伝わってきて、感動的ですらある。備中の考えでは、鑑連の心はこのような親子物を受け入れる余地はあるはずだった。
「良い案といってもな。一日も早く佐嘉勢を降伏させるしかないのでは」
「あるいは、佐嘉勢との和睦を」
ドキリとする備中。
「和睦。佐嘉勢討伐は大友家督の意志だぞ。無理ではないかな」
「父によると、安芸勢来襲の危機が迫っており、戸次様もそれに同意なさるはずだと」
「む」
勘の良い鑑連、備中をぎろりと睨んだ。備中はすかさず視線を下げて、目を合わせないと決意する。鼻を粉、と鳴らす鑑連。
「博多からの情報では安芸勢の動きはないらしい。これは義鎮からの話だがな」
「私も存じておりますが、博多の衆が密かに安芸勢と通じているということもあるのではないでしょうか」
さらにドキリとする森下備中。
「大胆な想定だな。何故そう思う」
「立花様を殺したことについて、博多の者共は怨みを持っているかもしれません」
「何故そう思う。商人どもは武士の死すら金に変えてしまうものだが」
「気骨のある商人もいるものです」
「具体的な根拠を聞いている」
「博多の衆は、立花様を深く敬愛していたと、良く耳にします」
「立花を討ったのはワシだ」
「存じておりますとも」
「では博多の衆は皆ワシの敵かね?」
「戸次様はそれを確かめねばならないはず。そしてそれが明らかになるのは、安芸勢が来た時のみでは?」
それは強い口調だった。吉弘の倅はなかなか度胸があるようだが、真剣でもあった。
「どうかお願いにございます。我が父は宗麟様より格別なる待遇を頂いておりますが、そのため父は無理を厭いません。佐嘉勢だけでなく安芸勢とまで戦うことになれば、心労にて命失ってしまうかもしれません。私は子として、それだけは防がねばなりません」
「備中」
「はっ?はっ!」
吉弘倅の嘆願が終わるや息を吐かせずに備中の名を呼んだ鑑連。その声は強い調子である。
「吉弘と誼を持て、とは貴様の持論だったな」
「……」
「おい」
「は、ははっ」
吉弘倅から期待に満ちた視線を感じる備中。
「佐嘉勢への連絡線構築を進言したのも貴様だ」
吉弘倅の視線は、いよいよ光明を見るが如くを帯びている。
「だから貴様が選べ。このワシがこれ以上吉弘家のために骨を折る必要があるのかどうか」
絶句する備中だが、他の幹部連も等しく絶句している。そのような重大な判断を、一家臣に委ねるというのか。さらに、由布のような軍の重鎮でもなく、内田のような近習筆頭でもない。下郎と呼び頭に小筒を発射するような扱いをする部下に対して、である。
冗談でしょ、という顔で鑑連をみる備中だが、主人の目は真剣そのものであった。
「よく考えて選べ。この結果、ワシに不利益があれば、ワカっているな?」
つまり、ただではおかない、ということか。吉弘倅が何か深刻な事態になってしまった、と蒼白となった様子を見て、鑑連はニヤリと嗤う。弱者の意志を嘲弄する、残酷な波動をビリビリと感じる森下備中。
「貴様が選択肢を選ぶまで、ワシはここを一切動かな」
「佐嘉勢との和睦交渉を行うべきです!」
鑑連が毎度の脅迫をみなまで言う前に、備中は絶叫し、衝動に衝かれた己が声の響きに、むしろ驚いたのだった。