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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
186/505

第185衝 加勢の鑑連

「備中殿、戸次殿のご厚意に感謝する」

「……」

「佐嘉勢は私の首を狙って、こちら側に出てきたようだ」

「……」

「私がこの様であることが、敵に知られたと見える」

「……」


 細い息の下、かすれた声を絞り出す吉弘の姿から、備中が想像したのは死の一文字である。顔から赤みが失せ、目は光を失っている。


 驚いて息をすることを忘れていた備中、息苦しさとともにすぐ片膝をつき、顔を下げ諸々を詫びる。


「こ、このような時に申し訳ありません!」

「こちらは助けられたのだ。詫びなど無用だよ」


 謙虚な姿勢すら、死を前にした人特有の遜恭に見えてしまう。思えば吉弘は長く義鎮公の手足として働き、その負担は尋常でなかったに違いない。鑑連ほど吉弘を悪し様に思わない備中、国家大友の権勢はこのような個人の犠牲によって支えられてきたのかもしれない、との感慨を得る。


 陣の外で大歓声が上がった。そして吉弘武士が入ってきて、心の底から安心したような声で報告する。


「申し上げます!敵勢、引き始めました!」

「そうか」


 備中を見た吉弘は、


「今回は戸次殿に助けて頂いた。損害をすぐに調べて報告してくれ」


 吉弘武士が元気よく出て行くと、吉弘と備中の二人だけが陣に残る。


「お、恐れながら」

「うん」

「……く、くく、くす、くくく」

「?」


 妙な声が漏れてしまう備中。医師の見立ては、などと尋ねるのは無礼すぎるだろうか、と躊躇っていると、


「あ……ああ。医師だな。どこが悪いかはワカらんそうだ」

「は、ははっ!」


 意を汲んでくれた。備中はいつものことを思う。自分とこの人物の相性は悪くない、と。


 目の前には、今の大友家で最高に忠義厚い武士がいる。それが病に蝕まれている。ふと、病の陰から主人の如き気配を感じる備中。弾かれたように、言葉が口から現れ出た。


「申し上げます。我が主人鑑連を見るに、その心は肥前の戦場にはありません」

「……肥前には無い」


 吉弘と備中が戸次鑑連について話し合うのは何度目かになる。よって、唐突でもなんでもなく、この話題が出たことは必然であった。


「ならば、戸次殿の心が向かう先は安芸勢しかない」

「はい」

「だが博多からの連絡では、先の戦い以来、安芸勢の動きに目立ったものはないというが」


 先の戦い、筑前動乱の内、つまり立花の乱は、城への一番乗りを果たした吉弘にとって大いなる名誉とはなっていない。立花鑑載を討ったのも、その後の敵の反撃を打ち破ったのも、戸次鑑連その人なのだから。


 だからこそ安心があると言うのだろうか。それならば、吉弘鑑理という人物の戦略眼は主人鑑連の言う通り、大したものではないのだろうが。備中今一度踏み込んでみる。


「主人鑑連が得た情報によれば、佐嘉勢は安芸勢と確実に繋がっています。我らをできる限り佐嘉に引きつけて、その間に安芸勢が大挙進出すれば、その侵略は容易になります」

「……」

「……」

「つまり、佐嘉勢はこの地で時間稼ぎをしているということか?」

「はい」

「……それはどうだろうか」

「せ、勢福寺城でも敵増援はありませんでした。時間稼ぎのために、城一つ見捨てたのでしょう」

「だが、今、佐嘉勢は私を攻めた」

「吉弘様が仰る通り、ご容態のことが漏れ伝わったためかもしれませんが、功に逸ったということもあり得ます。そう思えば、佐嘉勢の頭領も、軽はずみな行為をしたものです」

「軽はずみとはどう言う意味か」

「国家大伴の重鎮である吉弘様を襲い、仮に討てたとしたら、義鎮公ご自身は本国へ引き揚げざるを得ないでしょう。そうすれば安芸勢との盟約がフイになります」

「あるいは佐嘉勢は安芸勢と繋がっていないのではないか。そう考えるのが自然なことでは?」

「そ、それはありえないことです」

「……」

「と、しゅ、主人鑑連は考えているはずです」


 腕を組んでしばらく考える吉弘。長くは無いが、幾らか時間が流れた頃、この方は鑑連に比べて熟考型の思考をしている、と備中しみじみと感じた。だがそれが良い結果に繋がるかは甚だ疑問だ。吉弘は思索の世界に棲む博士ではなく、修羅の領域で生き死にする武士なのだから。この人には前線は向いていないのかも、という結論を備中は得た。


 吉弘が顔を上げた。きっと自分はそんな顔をしていたから、思考が相手に伝わってしまったかも、と申し訳なさで胸が一杯になる備中。病身なのに戦場にいるということは、真に命を賭けているということでもあるのだから。


「今の意見は、戸次殿がそなたへ伝えたものか」

「あ、あの、その」

「……」

「いえ。い、いいえ」

「なるほど」


 一笑に付されることを覚悟した備中だが、意外なことに、それが吉弘の腑に落ちる一押しになったようであった。吉弘はさらに続けて曰く、


「口ほどにものを言うのはその挙措全てだからな。戸次殿の知恵袋であるそなたがそう言うのなら、そうなのかもしれない」


 自分は戸次鑑連の知恵袋と呼ばれているのか、と備中が密かに虚栄心を満たしていると、案内された内田が入ってきた。


「吉弘様、申し上げます。佐嘉勢は城内へ引き揚げ、当座の戦闘は終了しました」

「戸次隊の助太刀、誠に感謝する」


 吉弘の素直な言葉を前に、内田は平伏して頭を下げた。


「畏れ多いことにございます。加えてのことですが、主人鑑連、戸次隊の全兵をこちらへ移動いたしております。場所はここ多布施の南、長瀬です」

「承知した。心強いことだ」

「はっ!それでは失礼いたします」


 そして備中に目で退出を促す内田は、どうやら碌に吉弘の様子を見ていない。ニブチンめ、と備中思わず一拍加える。


「あ!さ、左衛門……殿」


 呼ばれた内田はやや気取って、無言で振り返る。他家を前にはお行儀良くせねばなるまい。


「佐嘉勢の頭領との白兵戦どうだった?」


 しまった。素が出た。呆れ顔の内田だが、幸いにも吉弘がか細い声でも食いついてくれる。


「おお、内田殿は佐嘉勢の頭領とやりあったのか」

「あ……はっ」

「手強い相手であったかな」

「体格天晴れな人物でした。が、幾らか槍を交わした後、側近どもが妨害に入ったため、命のやりとりを行うまでには……」

「そうか、惜しかった。佐嘉勢本隊は結束が固いというからな。戦場で討ち取るのは難しいのかもしれん。だが戸次隊と内田殿の武勇、宗麟様の耳に必ず入れるようにしよう」

「あ、ありがたき幸せ」


 出世大好きな内田としては幸運を手にした思いだろう、と武勇とは無縁の備中は意地悪く思う……思いつつ、鑑連の思考に影響されているのかな、とも。



「いやあ、備中。吉弘様は良い御仁だったな!」


 すっかり浮かれ果てた内田は吉弘の顔色の悪さにも気がつかなかったようだった。


「殿は余り良く人を評さないが、実際に会って見ないとワカらんな!」

「吉弘様は……」

「うんうん」


 吉弘との時間を思い出す備中。


「より大いなる忠誠のため、どんなことでもするお方なのだと思う」

「そうだな。そうだよな」


 幸いなことに、鑑連の真意と思われるところを伝えることができた。これが主人鑑連だけでなく、国家大友にも良い影響となれば、と願いつつも、備中は己の不遜に苦笑する。


 一方の内田は、義鎮公の耳に自分の勇敢さが伝わることを期待して、全くの上の空であった。

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