第182衝 堅忍の鑑連
「敵将も白旗が早かった気がするな」
「うん、そうね。もうちょっと粘れば援軍が来たかも知れないのに。くっくっくっ、佐嘉の連中なんてこの程度のものだな」
「……悪趣味なヤツめ。それ殿の物真似だろ」
戸次の陣で鑑連を待つ内田と備中。どうやら戸次家の者どもは、鑑連の影響を受けすぎていて、大友家督への尊敬の念が低いようである、と備中自嘲する。
「これで佐嘉城を攻めは万全になったね」
備中は懐から戯れに描いた地図を出す。
「お前、地図描くの好きだよな。どれ」
☆
山山山山山山脊振の山山山山山山山山山山
川 勢福寺城
川
川川川川川 川川
川 川
川 川
川 佐嘉城 川
川
川 湿地帯
☆
「落書きだなこりゃ」
「でも、由布様の斥候衆らに聞いた限りではこんな感じだよ」
「城の南は湿地帯なのか」
「西と東から挟み撃ち、北に逃げてきたところをとっ捕まえる、という流れかな」
「そうだろうな。今回は兵数が多いし」
と、そこに鑑連が戻ってきた。
「殿、お帰りなさいませ」
「内田、義鎮めは」
間を置いて、嗤って曰く、
「クックックッ、ワシに対して橋爪を寄越したきりで会いもしなかったよ」
「そ、それは……」
「橋爪は困惑したろうよ。だが、ワシは困惑しない。常に平常心だ」
不機嫌さを示している鑑連だが、愉快を感じているようでもいた。備中発言する。
「殿」
「なんだ」
「以後、義鎮公が苦境に陥った場合、殿はお会いして差し上げるべき……です……はい」
話の途中から備中の目を見据え、ニヤリとした鑑連。
「貴様は義鎮が苦境に陥ると思っているのか」
「い、いえ、それはともかく、まだ城を一つ陥しただけで、油断は禁物かと」
「ところが、この城を落とした事で、周辺の土豪らがこぞって挨拶にきている。兵を連れてな」
「え!」
「なにも驚くことはあるまい。勝利者に首をたれる。武者とはすべからく」
備中が予想の外れに言葉を失っていると、内田が一歩前に出て発言する。
「敵城主は軍門に下ったとのことですね」
「どうも臼杵が義鎮に助命服属の仲介をしたらしいな。城主の地位はそのまま、佐嘉攻略にも加わることになった」
「で、では臼杵様のなさりようが、周辺土豪の好漢を得たのですね」
「備中、それを受け入れたのは義鎮公だぞ」
内田の指摘に、確かにそうだ、と感じた備中。この場合、部下の功績は主君の功績でもある。が、鑑連の功績は義鎮公の功績にはならないこともあるのではないか、と妙な気持ちになる備中、鑑連の機嫌を伺う。さほど頭に血が上っていない様子だが、それが不思議である。
ふと、備中は名案を思いついた。
「殿、恐れながら申し上げます」
「ん」
「佐嘉勢頭領に降伏を促してはいかがでしょうか、殿の人脈で。上手く行けば、殿も満足の行く結果になるかもしれません」
「人脈か」
ちょっと考えた鑑連。
「ワカった。増吟を使うのだな」
えっ、よくワカりましたね、凄いです、と声には出さず、目で頷いて返す備中が頭に思い描いたことは、増吟から問註所御前の前夫から佐嘉勢頭領への人脈に活を入れることであった。
「良い案だ。やれ」
「はっ!」
「増吟は付いてきていたな。呼んでこい」
即決の鑑連に感激の備中、すぐに増吟を連れてくる。この両者は秘密を共有しているが、いやそのためか、共に笑顔で曰く、
「忙しいかね」
「いえ、この城の戦いではさほど人死にが無かったので。残念ながら出番無しです」
「だが、雑兵に暴行された民百姓どもがいる。命落とした者もいるだろう」
「いやあ、貧乏は懲り懲りです。拙僧は豊かなお武家の近くにいますよ」
その不道徳な会話ぶりに顔をしかめる内田だが、備中はだんだん慣れてきていた。鑑連はなぜかこの破戒僧に良い待遇を与えている。きっとウマが合うからなのだろうが。鑑連、仕事の概要を伝えて曰く、
「というわけで、筑後海津城へ行け」
「はい」
歯切れよく快諾する増吟。この辺りの度胸の良さが、鑑連の気に入っているのかもしれない。
「奥方様の前夫殿は、離縁の復讐がいつ飛んでくるか、戸次様を死ぬほど恐れています。必ずや、戸次様の指示に従うでしょう。ただ、いくらか銀が必要です」
ほら来た、と心の中で舌打ちをする備中だが、鑑連は笑った。嗤ったのではなく笑ったのだ。曰く、
「必要だと思う量、持っていけ」
であった。驚きの備中が、増吟めは増銀に名を改めよ、と独り言ちていると、破戒僧が近づいてきて、
「いやあ、森下様のお陰で、拙僧も今は幸せです。高貴な方から命を受けるとは僧侶冥利に尽きますな!」
と好意を寄せてくる始末である。以前増吟からの案件告白時に心臓が止まりかけたことを忘れていない備中、乾いた愛想笑いを返すだけであった。
増吟が出発した後、一人になった鑑連に、奥向きのことは本当に現状のままで良いのか、伝えたくて仕方がない備中だが、今回増吟を使う案を出してしまった己の立場を考えてグッと我慢することにした。
それからすぐに、鑑連は隊へ号令をかける。
「勢福城がこちら側についた以上、後背に心配はない。クックックッ、確かに後背にはな」
不敵な嗤いに幹部連はみな不気味を感じる。
「よってこのまま嘉瀬川まで進む。川が見えてきたら左折。後は真っ直ぐ佐嘉城まで進むだけだ。疾さ重視で進むぞ」
「はっ!」
増吟を使った工作を知る備中は、鑑連の意図を理解できた。敵が自分を伝手に降伏することを狙っているのである。また、そこまでの事情を知らない幹部でも、鑑連の指示はいつでも明確であり、不安はない様子であった。
進軍開始前、朽網殿がやってきた。義鎮公の意を伝えるためであり、曰く、
「戸次様には全軍の後背を押さえて頂きたい、と宗麟様よりのご連絡です」
つまり先行せず隊を下げろ、という指示だ。戸次隊に期待していないのか、後背に敵の情報でもあるのか、どちらかの意図だろうが、鑑連は静かに朽網殿へ問い返す。
「敵襲の情報でもあったかね」
対して使者は居容正しく、
「宗麟様のお願いにございます」
と述べるのみ。この朽網殿が戸次家に使者として来るのは初めてのことだ。何せ、かつての義父の弟なのだから、極力接触しないように互いに努めていたはずで、周囲もそれを知っている。当然義鎮公もそうだが、知っていてこの人物を送ってきたのだ。その意図は明白ではないか。鑑連も、常よりも尊大に見えてしまうくらいだ。
「では戦略の為ということか」
「はっ」
義父の一族を誅滅するのに功があったのは、他の誰でもない、鑑連である。鑑連が家督を継ぐ前の義鎮公と吉岡へ、その一族に罪あり滅ぼすこと肝要と述べたためである。
朽網殿が真相を承知しているかは鑑連も誰も知らない。が、義鎮公について言えば鑑連に対してこれ以上の悪意はあるまい。警戒は必要だ、というのが備中の結論であった。
「承知した」
「感謝いたします」
「なに。城を落とした吉弘臼杵の両隊は士気高く、勝利に一番近いかもしれんからな」
「はい。それでは失礼します」
要件が済むと、朽網はすぐに退出した。少しでも早く退出したがっているように、側からは見えた。
幹部連はみな心配そうに鑑連を見る。当の本人は気にしてはいない様子であるが、前線に出られないのだ。この戦いでの功一等は絶望的なものにならざるをえないだろう。鑑連にとって指を咥えているだけの戦役になりかねない、と主人の忍耐を慮る備中であった。それがいつまで保つのだろうか、と。