第170衝 己衛の鑑連
筑後国、筑後川左岸の寺。
主人鑑連の独立独歩を死守するため、その再婚相手を探し求めて渡河した備中。単身、筑後で活動を行っている。こんな時、寺々を回るのは常套手段である。
「それで、お侍はなぜこの筑後で探しているの」
「この国は……」
筑後は伝統的土豪らの権益を隣国国家大友が承認することで秩序を維持する国である。この体制に入り五十年近くが過ぎ安定しており、何をするにしても角が立たない。鑑連が領主を務める土地も点在し、やってみれば実に活動しやすい国であった。
とはいえ、極秘任務である。速さも求められるため、困難を極めていた。身分を隠して信頼の置ける要人を訪ねて回っている備中に、家柄も申し分ない良家の娘がおいそれと現れるはずもないのかもしれない。そんなことを考えながら、言葉を濁して、食いついてきた坊主と会話を交わす備中。
「……筑後は美人が多いので」
「わはははっ!」
ごますり侍相手に爆笑した坊主は破顔して曰く、
「同感……ではないけん。おかめばっかばい。まあ、豊後よりいくらかはマシだとは、拙僧も心よりそう思うがね」
どこの国でもそう思っているものだ、と苦笑する備中。
「お侍のご主人が誰かは知らんが、格好の相手がおるよ」
「えっ、本当に?」
「もちろん。拙僧しか知らぬ案件で、その女は離縁して今は独り身だ。でも出産経験はある。身分の良い女で」
離縁の事実については気にならないでもないが、鑑連も離婚経験があり、釣り合いがよさそうである。さらに出産経験があるのなら、鑑連に子を恵むこともあるやもしれん。
「お坊様、ぜひ紹介してくださいよ」
「おたくのご主人は誰なの。教えてよ」
訝し気な表情の坊主は素性不明の相手に強気に出てくる。すると、気が弱い備中はもう駄目である。
「そ、それはまだ言えません。ですが、身分確かな人物です」
「本当かなあ」
「それはもう、八幡大菩薩に誓って。あ、大日如来様の方がいいですか」
「あんた、どうせ大友家の家来の家来のそのまた家来なのだろう。隠すことないし、隠すほどでもないでしょ」
侮る坊主を論破できないのがもどかしい。
「いやまあ、戦争激しい、こんな時ですから」
「そうですかね。まあいい。紹介してあげましょ」
「やった!」
「ただし」
「な、なんです」
「うふふ、これですよ」
坊主は指を擦って金銭を要求してくる。
急ぎの時だ仕方ない。嫁探しのため、と鑑連から珍しく支給された銀を提示する。
「それで、どちらの御令嬢ですか」
「銀なら拙僧の手一掴みが相場です」
「そ、そんなに。ま、まずは令嬢の素性を……」
「銀一掴み」
「……」
「まからないよ」
「ま、いいか……はい、どうぞ」
「どれどれ」
銀詰めの袋に手を突っ込んだ坊主は、蛙のような手で銀を大量に掬い上げて行く。それを改め、満足した様子だ。
「ふむ……いいでしょう。その御令嬢は筑後国生葉郡(現うきは市)は有力者の娘です。これから行きませんか」
「生葉郡?随分田舎ですね」
「嫌なら結構、でも銀は返さないよ」
「わ、ワカりました。急ぎましょう」
道中自己紹介をし合う二人。その坊主は増吟と名乗り、備中からさらに銀を巻きあげようと思考ばかりしている様子。備中は備中で、どうせ鑑連の資金だから、と鷹揚に投げ打って見せる。すると、坊主は備中へ好意を寄せて、色々と話をしてくれる。
「拙僧は肥前の嘉瀬という地の住職だが、肥前は実に良い所。守護や探題を始め権威の力が及ばないから混沌を極めていて、場所場所で力に溢れているというワケです。節操はあちこちで説法を説いて、良い生活をしています。儀式のように抗争もあるから、葬式も盛んです。そんな拙僧が何故筑後に居たか、ですって?実はその女性……その令夫人を令嬢として送り届けた帰りなのです」
「離縁した、とのことでしたね。子供はいるというのに」
備中は、主人鑑連が離縁した事について、入田の方が鑑連に嫡男を与えなかったことも大きい理由だったと考えている。
「離縁された、というのが正解なんです。令嬢の実家は大友家のために戦っていたのですが……」
「えっ、そうなんですか」
それであれば高橋や秋月の戦場で面識があるかもしれない、と驚く備中に、笑って答える坊主。
「そりゃまあ、でなければ大友的な森下様に紹介しませんよ」
「なるほど」
「しかし令嬢の嫁ぎ先が反対勢力側についたので、離縁追放の憂き目にあったのです。哀れですなあ」
備中は入田の方の寂しげな後ろ姿を思い出していた。元奥方は元気でいてくれているだろうか。嫁ぎ先から離縁されることほど不名誉なことは、今の時代ないだろう。入田の方と件の令嬢を重ねてしまう備中。
「ではきっと、ご令嬢は恨んでいるのでしょうね」
「そうですな」
不意に無言になる備中と坊主。だが、おしゃべりな坊主はそんな空気を気にせずに、大いに喋り出すのであった。備中、その雑音を煩わしく思うも、出会った翌日には生葉郡の当地に着く。
筑後国、長岩城。
「このお城は……問註所様の」
「おっ、さすがは国家大友の武士。そうです。ご令嬢とは問註所家の姫御です」
思わぬ大人物にびっくりする備中。緊張で動悸が激しくなってきた。
「ち、筑後の大物の一人じゃないですか!」
「言っておきますが、先方が断りを入れた場合でも、手数料は返還されません」
備中、改めて目の前の喋くり坊主を見直した。中々名のある高僧なのかもしれない。
「ご家老に会います」
「えっ!いきなり会ってくれますか」
「森下様は銀をたくさんお持ちのようだから……無論、必要経費はそちら持ちですよね」
お喋り坊主のやり方に苦笑する備中だが、時間は何事にも代え難いはず。二つ返事で承知する。どうやら備中が成り上がり武士の家来だと判断したらしいこの坊主は上機嫌に、口と舌を動かしまくる。
「いやあ、武士はいいですな!戦場の働き如何で銀を沢山得ることができる。さらにその銀で良縁を求めることもできる。あんたが何処の家のご家来かは聞きませんが、先方との面談、頑張ってくださいよ。あ、上手く縁談が取りまとまれば、私が諸事手続きしますからね。成功報酬も期待しています」