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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
154/505

第153衝 征伐の鑑連

 筑後に春が来た。つまり筑前の冬も明け、戦争の季節がやってきたということだ。


「天文十八年、湯に沈められる。同年、頭を踏まれる……」


 鑑連率いる軍勢は勢力を養い、整え、筑後の地を立ち、一路筑前へ向かう。目指すは立花山城である。その軍団は、危機を脱した鑑連渾身の作品で、この戦いで彼の一生は決まるとも言えた。


「同年、弾丸股くぐりをされる。同年、衣服で生首を包まされる……」


 森下備中はその隊にはおらず、筑後の拠点で療養中であった。例の会議の後に正気を失ったためで、療養地にて一心不乱に確かならぬ事について筆を走らせている。


「天文十九年、踏まれる。同年、尻を蹴飛ばさる……」


 備中の心的治療をしてくれた小野甥も、戦場へ向かうしかない。悲しむべき事に備中は放置されていた。


「同年、戦場で過大な命を受ける。同年、提言への返礼に、露骨な無視を受ける……」


 記憶の襞をめくって見れば、鑑連から受けた非道な仕打ちの数々。よくもこんな家に二十年近く仕えてきたものだ。人生を無駄にしてしまった、ついに鑑連を見限る決心がついた森下備中。鬼気迫る表情で訣別状を作成する。


「天文二十二年、血文字で岩の上に報告書を書かされる、無論指を斬られたうえ。弘治二年、寄合において自分だけ諮問から外された……」


 訣別の証を残し、遂に出奔するつもりでいたのである。どこへ?立花山城へである。主人鑑連への恨みを晴らすため、という理由もあるが、立派な武士の下で働き、華々しく死ぬ事で自分の美名を残し、主人に復讐をするつもりでいたためだ。


「弘治三年、書状を投げつけられる……」


 そう言えば、この時今は亡き戸次弟も蹴り飛ばされていたなあ、と思い出した備中。苦笑してそれも書き加える。


「同年、弟君を足蹴にする……と」


 立花殿は立派な武士、きっと自分を受け入れてくれるに違いない。


「永禄二年、立花様への悪口を強制される。同年、田北隊の活躍に安堵した我ら家来衆を恫喝した……」


 記すほどに暗然たる気分になる備中。鑑連には酷い振る舞いばかりである。よくこれで部下達がついていったものだと呆れてしまう。かく言う自分もその一人だが、なぜここまでついてこれたのだろうか。ふと考えてしまう。


「二十年近く……か」


 ただ付き従っていただけなのだろうか。自身の青春を捧げた相手である。きっと何か、良いところもあったはずなのだ。


「うーん、うーん……くっ」


 だが筆が止まってしまう。良い思い出もあったはずなのに、思い出せない。書けないのである。試しに恨み言を思い出して見れば、


「……永禄四年、痺れた足を柄でしばかれる……ほら」


 すんなりと筆が進むのだから笑ってしまう。心の奥底にへばり付いた怨念は容易ならざる濃度でへばり付いている。


比無安居也

我無安心也


 もう随分前の事なのに、あの時に苦しみの中で見た掛け軸の文字を思い出す。その意味を戸次叔父か内田に聞いたのだったか。足るを知るように、という有難い金言だったはず。ふと、自分がいるあばら屋の中を見渡す。何か文字はないだろうか。やはり掛け軸がかかっており、それには、


苛政猛於虎也


とあった。鑑連が掛けさせたものだろうか。これなら文系武士だが漢文に通じているとは言えない備中にも、その意味するところがワカる。つまり、厳しい税金や軍役は虎よりも恐ろしい、ということだろう。


「……」


 虎という箇所を、伯耆、と書き直す備中。これが正しいのか。


「苛政、を書き直した方が面白いのかな。いや、でも……」


 鑑連こそ虎より恐ろしいのか、苛政よりはマシなのか。


「伯耆……苛政……虎……」


 主人鑑連は恐ろしい。備中が心の健康を損ねてしまった事からも、それは明らかである。だが、経済的には充足を得ている。これもまた明らかだ。それは、常勝将軍鑑連に付き従い、勝利の恩恵すなわち俸給を得ているためだ。他家の近習連中がどれほど貰っているかはワカらないが、自分は恵まれている方なのだとはおぼろげに思えてくる。


「……」


 鑑連が何のために戦場に出るのか。無論自分の野心のためだが、家臣達はその見返りは得ている。鑑連が自分に対し、時に非道な行為を行う事も俸給の中に含まれているのだろうか。立花殿の元へ行って、今と同じ収入が得られる可能性は少ないのではないか。謀反前ならいざ知らず、博多の町だって鑑連と立花殿、どちらに着くかは明らかではないか。


「……あっ」


 それに故郷に残した家族がいる。自分が謀反勢に与したら、家族はどうなる。迫害され、村八分になり、最悪追放されるに決まっていた。


「……」


 離縁され、豊後を去って行く旧鑑連正妻の入田の方の寂しげな後ろ姿を思い出した備中。妻子をそのような苦境に追い込んで良いものか。息子も既に成人を迎えたとは言え、母を養う力はないだろう。


「私さえ……」


 そう、自分さえ耐えていれば、他の人々は笑顔でいられるのではないか。


 非道な主人である鑑連を本当に裏切る。これより包囲されようとしている立花山城へ先行し、城に入ればそれは完了する。だが、本当にそれで良いのか。


 これまで先に去っていった人達の事を思う。頭を吹き飛ばされ即死しただろう隊長小野、臆病なのに戦い切り兄鑑連の前で死んでいった戸次弟、鑑連を逃がすため従容としてしんがりを務め、武士の生き様を見せた戸次叔父。やはり鑑連の為に犠牲となった隊長十時。


 鑑連がこなした数多くの悪行もこれらの人々の死を救う役には立たなかった。よって、これから戦う立花殿はまず強敵になる。であれば、由布や安東、小野甥もこれらの死の後に続くかもしれない。


「死……死か……」


 武士の中には名誉のためなら平気で死を選ぶ者が少なくないが、自分なら御免被りたいとそれを退ける備中。しかし、内田とともに門司城に臨んだ時、吉弘隊のため声を張り上げた時、そんな備中自身、己の生を投げ打っていたのだ。


 幹部連の仲間達がなぜ死んでいったか。これまで仕えた鑑連を見捨てる事は、彼らが何の為に死んでいったのか、見届ける事をも捨てる事になるのかもしれない。


 森下備中の眼に力が蘇ってきた。とりあえず鑑連は良い。仲間だ。自分にはかけがえのない仲間達がいるではないか。生死を共にした仲間への情熱を思い出せばこそ、四肢に力も宿ってくるというもの。


「永禄二年、怒りに任せて軍配をへし折った……よし」


 備中はそこまで書き上げた閻魔帳を胸に仕舞うと、急ぎ立花山城へ向けて出立した。悪鬼に等しく仕える身として、その生き様をしかと眼に焼き付ける為に。

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