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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
151/505

第150衝 錯乱の鑑連

 鑑連、平伏する備中の前に仁王立ちとなり、雷神の如き迫力で凝視する。


「立花殿と親交があった森下備中殿の意見をとりあえず聞いておこうか」

「えっ!」

「貴様の意見だよ。立花は裏切者となった。そして貴様はその立花と情報のやりとりを行うこともあった。一度や二度ではない。何も気がつかなかったか」

「え……?いや……あの、その……」


 備中の記憶によると、立花殿が心に危機を抱いている可能性について主人へ報告していたはずであった。それを有り得ない、と退けたのは鑑連自身に他ならないはずであった。備中が混乱していると、


「戸次様。私も立花様の使者と情報を取り交わすことがありましたが、今回の事を全く把握できませんでした。吉弘様や臼杵様も同様でしょう」


と小野甥が別の角度から擁護してくれた。感謝感涙モノの森下備中だが、改めて主人が理不尽に絶句する。先の報告は忘れ去られているというより、無かった事にされているのかもしれない。主人は下郎に対して絶対無謬でなければならないと、鑑連が考えている節は無くもないのだ。


「これは当家の家来の問題だ。部外者は口を閉ざしていれば良い」

「……」


 こうまで言われてしまえばさすがの小野甥も発言できなくなる。鑑連は手を緩めるどころか、吊るし上げをさらに強める。それは如何にも理不尽が極まるものであったが、とりあえず謝罪をすると決めた備中。


「どうした備中。ワシが質問しているのだ」

「も、も、申し訳あり、ありません。全く以って、何も知らず」

「何故だ」

「はっ?」

「質問に答えろ。いつもの貴様の得意技、貧相な返事を今しろと、ワシは言ったか?」

「あ、あの……」


 しかし鑑連自身だって、立花殿と連絡を交わし合っていた。ということは、それなのに立花殿の異変に気がつかなかった一人に、鑑連も連なるということだった。それは棚上げか。そして、なぜか、あるいはだからこそなのか鑑連は容赦をしてくれない。備中は神仏に祈りながら赦しを乞い続ける。


「も、申し訳ありま」

「いいから答えろ。何故、把握できなかった」

「……」

「貴様、耳が無いのか。何故、把握、できなかったか、と、聞いて、いるんだ」

「お、おおお、おお許しを」

「次同じ質問をワシにさせたら、斬る」

「ひぇっ」


 喉が凍りついたように痺れて声が出ない備中。こんな事は初めてではない気がするが、毎度必ず場も間も凍りつく。例外は無く、由布も安東も、そして小野甥も誰も動けない。戸次叔父や戸次弟が生存していても同じだろう。沈黙が続いた後、鑑連は大仰に他の幹部連を見やって曰く、


「やれやれ。森下備中殿はおだんまりのようだ。残念だが諸君、ワシの問いにお下郎がお答えになるまで、誰もこの広間から出ることはできん」


 さらなる圧迫を掛けられた備中。さすがに表情が固まり、心では恐怖と屈辱の涙で嵐が起きていた。今回はちょっと異常だ。遂に心が折れ、誇りを泥水に浸さんが如き言葉を発するしかない。


「わた、わたくし」

「おお、口を開く気になったか」


 備中を向いた鑑連。


「いいぞ、言え。言ってみろ」

「わ、わたくしが愚かな為」

「なんだって?聞こえない」

「お、愚かな為!あ……は、把握できなかったのでございます……」

「ふーん」


 備中の声が消え入りそうになる。鑑連の備中の間には容赦ない主従関係が存在する。このような嫌がらせも時に起こり得るのだ、と諦めるしかなかった。だが、鑑連はまだ備中を許す気になっていない。続けて詰問する。


「貴様が無能力であるためか」

「左様にございます……」


 自分の誇りが虫ケラのように扱われ、諦めと絶望で心に無の風が吹く備中。自分の涙に映った自分の顔は、悲しい笑みを浮かべていた。


「皆もそう思うのか?」

「……」

「……」


 発言を禁じられた小野甥を除き、少なくとも由布や安東は備中が主人のために行ってきた献身と貢献を承知しているから、同意はしない。否定もできないが。


「……クックックッ」

「……」

「クックックッ!」


 ああ、主人が笑ってくれた。その笑声は明らかなほど嘲りに満ちていた。自分は塵芥以下なのだ。それで許しを得る事ができる。いや、遂にそれを得たか、と思った備中が無残な顔を上げた瞬間、悪鬼鑑連は愛刀千鳥を抜き、それを備中の頸に寸分違いもなく寄せてみせた。


「ひっ」

「違うな」


 鑑連は怒気のこもらぬ声で続ける。


「貴様が立花を特別扱いして、公平な視点を欠いていたからではないか」

「……」

「貴様は立花の家来にでもなったつもりでいたのではないか」

「……あ」

「臼杵の連中が悪意に翻弄されたからとて、過剰な同情を寄せていたからではないか?」

「……そ、その……それは」


 言葉から直接的な怒りは感じられないが、それだけに鑑連が激怒している事が広間の全員に伝わった。だからこそ、誰も容易には止められない。そして主人の指摘は、主人が備中からの報告を意図していたかはともかく無かったことにしている事を傍に寄せれば、備中にとって図星であった。急に罪悪感で胸が一杯になる。


「そ、その通りでございます」

「貴様はワシに偽りを述べたということになる」

「も、も、申し訳なく」

「腹を切るか?」

「ひっ!」

「腹だよ」


 そう言うと、鑑連は千鳥を備中の頸に寄せたまま、右手で己が左脇腹を叩き、握った拳を左から右へ動かした。


「ううう……んぉ、ぉえっ」


 その仕草だけで、臓腑が体外へ落ちた気がした森下備中。思わず嘔吐してしまう。鑑連は備中の心の問題を問うているが、そうであってもそこまでの事案ではないはず。これはもう八つ当たりである事、明白であったが、備中の恐怖は本物で、内臓の痙攣は続く。


「ワシがその頸を刎ねるまでもないか、ん?」

「んぉぉぉぉおええっ」


 さらに戻してしまう備中。広間に胃液臭ただようが、備中は頭のどこかで、臭う食物を食べていなくてよかった、と考えていた。そんな備中の背後に立ち、愛刀千鳥を軽く空で振った鑑連は残酷な笑みを浮かべて続ける。


「二心を持ってワシに仕えた罪は重い」

「はっ……ひっ……はひっ」

「思えば初めてではないよな。最初は佐伯紀伊守、ついで田原常陸、そして今は立花だ」

「うううっ」


 完全な二心ではありませんと言い訳したかったが、言及あった三将らの美徳に憧れていたのは事実で有り、今の備中の精神状態では図星を突かれたも同然となった。


「三度もワシを裏切っていたか」

「ど、どうか。どうかお、お許しください」


 備中が見上げた鑑連の顔は紙のように白くなっていた。やはり、怒りが頂点に達しているようだが、不思議と雷圧を感じない。鑑連は懐から小筒を取り出し、備中の頭を筒先でコツンと小突く。


「ひいいっ」

「こんな下郎を斬ればワシの千鳥が汚れる。これで頭を吹き飛ばしてやるか」


 コツン、コツンと音が鳴り、


「ひっ、ひっ」


と悲鳴が起こる。何をどうしているのか不明だが、鑑連が点火をする態勢をとったのがワカった。


「裏切者よ、ここで消えてみるか……!」

「い、い、い」


 涙と汗と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっていた備中。火縄の点火を皮膚で確認した。本当にどうやっているのだろう、と余命僅かの脳のどこかで静かに思いつつ、小筒の穴に向かって、魂の熱き叫びが飛び出す。


「い、いや、いやだー!」


 悪鬼面が極まった。鑑連の悪鬼面は狂喜乱侮の体。備中の悲鳴の後、僅かな間の後、破裂音が轟いた。



 弾丸は備中の頬を抜け、床を破壊した。運命の瞬間、小野甥がたまらず鑑連の小筒を横に叩いたため、弾道が反れ、外れたのだった。


「戸次様」

「……」


 鑑連は歪みきった悪鬼面のままだ。小野甥、悪鬼に語りかける。


「戸次様」

「なんだ」

「気はお済みになりましたか?」

「そうだな」


 いつもの口調で小筒を懐にしまった鑑連。小野甥の顔を見もせずに一言、


「気は済んだ」


 そう言い放って、広間から去っていった。雷鳴が遠くに消えていくようだ。



 森下備中は自分の頭が撃ち抜かれたなかった奇跡を、鑑連が完全に去った後に、ようやく自覚できた。小野甥が近づき、優しく肩をさすってくれると、備中、涙と嗚咽が溢れてくる。


「ううううっ」

「い、いくらなんでも……い、今のは酷すぎる!」


 備中を助ける行動を取れなかった安東が、横を向いて言葉を吐き捨てる。憤りに耐えきれず、立ち上がろうとするが、そんな安東の膝を、由布が押さえた。


「で、ですが由布殿」

「……我らとて……いや、我らが居なければ、この戦線は崩壊する。我らとは安東であり、小野殿であり、備中でもある。我らが居てこそ、殿はその力を発揮できる」

「このような仕打ちも含めて、ですか」

「……」


 無言で頷く由布。


「……殿とて万能ではない。迷いや後悔と無縁であるはずもなく、その苦しみを吐き出せる相手がいるだけ……」


 それが森下備中だというのか。何とか衝動を抑えた安東は、


「備中、助ける事もできずすまなかった」


と詫びて、広間を去っていった。由布は嗚咽を続ける備中に手拭いを渡し、


「……ここの始末はやっておく。もう下がって休め」


と退出を促した。小野甥に支えられながら、それに従う備中。申し訳ない気持ちで心が押しつぶされそうであった。



 その夜、現か悪夢か、形容しがたい悲惨に苦しんだ備中だが、不思議と鑑連への忠誠心が心の片隅から消えていないことを自覚した。あれほどの事をされたのに、と自分自身でも驚いていた。良く躾けられてここまで至ったり、と自身の心の在り容を見るも、その惨めさを自嘲する気力は無い。ようやく訪れた平穏に感謝し、備中は童のように丸まって眠った。

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