第148衝 発信の鑑連
筑後で年を越す事が決まった戸次隊。備中は鑑連の口述を受けて書に認める仕事に勤しんでいた。
「……安芸勢の来襲に備え、兵糧等を然るべき分量を確認し、誤りなく管理するように、恐々謹言」
「……兵糧……管理……恐々謹言……はい。殿、ご覧ください」
「後だ。続きを行くぞ。次は山下城主の蒲池だ」
「はっ、ははっ」
「間違えたら承知せんぞ、柳川の蒲池ではないからな」
「はっ、山下城の蒲池殿……はい」
来るべき安芸勢の襲来に備えた体制を整えるべく、筑後の城主らに命令文を多発する鑑連。
「……武事鍛練の評判目覚ましく、有事にはその才覚を如何なく発揮されたし……」
「その才覚を……発揮……恐々……謹言……」
「次は今山城主三池だ」
「はっ」
鑑連が吉弘と和解した、という噂は噂として筑後を中心に広まっていった。すると、鑑連の仕事は劇的にやり易くなったようで、日々ご機嫌である。機嫌が良くなれば余裕も生まれ、発想の幅も広がる。秋月勢に敗れて以来、日々明るい材料に恵まれている鑑連の悪運に感謝しながら、備中、筆を滑らせる。
「出来上がりました」
「次は……そうだ。豊前松山城へも文書を送るぞ」
「はっ、はっ?」
「城主の名は」
「は、ははっ……あの、その……杉殿です」
「ほほう、忘れていなかったか。では始める」
武威張った鑑連だが父親の教育の賜物で学もあり、すらすら文章を作り口から発していく。しかも呼吸が速くなったり遅くなったり大変自分勝手であるため、備中はこの右筆の仕事がさほど得意ではなかったりする。何より重労働で、文系武士の備中には大きな負担であった。
「……目下、海を越えた伊予では大友の親類である土佐勢が隈なく制圧する勢いであり、安芸勢が豊前へ出てくる可能性は低いとは言え、異心の持主へ油断なく候……」
「土佐勢……安芸勢……候……」
腕に力を込めながら備中は思う。鑑連は一箇所に留まっているワケではないが、文書を乱発するゆとり余裕は得たということだ。状況は間違いなく鑑連側に傾いている。ふと、手首の血管がドクドク脈打った。
「では次。立花だ」
「と、殿」
「ほほう、休憩をご所望かね?駄目だ、まだ早い」
「い、いえ、そうではなく、あの」
「なんだ」
「すでに立花様へは二日前に書状を送っておりますが……」
「黙れ、続きだ」
「はひっ」
問答無用であるから致し方なく筆を取る備中。
「……秋月勢逼塞し、高橋勢もはや道無し……」
「逼塞……袋……小路……」
誰が意図したワケでもないのだろうが、立花山城は筑前安定の要になっている。鑑連の立花殿への評価は今や揺るがないものとなっていた。だからこそ、書をせっせと書き送る配慮なのだろう。この文書を立花殿が読む事を思えば、備中の心も晴れやかにはなる。腕が引きつってきた。
「恐々謹言……そう言えば、志摩郡に行った臼杵勢の様子にその後の変化はあったか?」
「い、いえ!戦闘続行中との吉弘様からの情報提供が最後です」
「臼杵にも安芸勢への注意を促しておくか」
「っつ……し、しかし言わずもがなの気が致しますが……」
「ほほう」
しまった。手首が痛み、熱を持ってきた備中、集中力を欠いたため、うっかり反論してしまう。
「備中、臼杵のいる前線へ行きたければ送ってやる」
「えっ!?はっ、い、いえ!書きます」
「……原田勢は宗像、秋月と誼深く、連携に注意すること忘れべからざること……」
「……べからざりし……」
吉弘とは和解した、と言ってよい鑑連だが、まだ臼杵弟とは正式な会談を行なっていないし、鑑連自身がそのために動くつもりも無いようであった。また小野甥の活躍に期待したいところ、と状況のさらなる改善を願いつつ、備中は痛む手を働かせる。
「おお、思い出した」
「はっ」
「高橋勢から離反した筑前の連中への書状、少し早いが用意しておこう」
「はっ……」
「……勲功への褒賞、大友家督からの沙汰を待つように……」
「沙汰を……待て……」
小野甥は筑前筑後を走り回っているようで、中々鑑連へ挨拶に来ない。基本的な路線がしっかりしていれば、来るには及ばないということだろうか。戸次家幹部連の陣容が薄くなった以上、備中は小野甥が鑑連に助言を行う事が一番良いことであると考えていた。強気傲岸一本槍の主人鑑連とて、筑前筑後を取り巻く全ての事象を把握しているワケではないからだ。
備中ようやく筆を置き、休憩に入ろうとした折に吉弘の使者が書状を持ってやってきた。
「クックックッ、途切れなく報告をしてきよる。健気なものだなあおい、備中よ」
「……はっ」
その健気な人物に一撃を放った人物の言葉とは思えない、と主人鑑連の人格に恐れ慄く森下備中。書状を読む鑑連の反応を待つ。
「肥前の佐嘉勢が原田討伐を買って出た」
「おお、力強い共同軍となりますね」
「どうかな。吉弘によると、臼杵の返事を待たずして原田勢に襲いかかっているという」
「随分と速い対応、結構なのでは……」
「マヌケ。佐嘉勢に野心ありということだ」
一瞬、思考のために固まった鑑連だが、すぐに命令を発する。
「南肥前の有馬、大村へ佐嘉勢注意喚起の書を送る」
「ははっ」
腕の休憩は終わった。左手で右手の手首を押さえ、ギギギと机の上に運ぶ備中。筆の走る音が部屋を奔る。
「……恐々謹言」
「はっ」
「恐々謹言」
「ははっ」
ようやく終了した。手を振って血流を散らしている備中に、ふと、といった感じで鑑連が話かけてきた。
「毛利元就はまだ動かないな」
「は、はい」
「あれはいつ動くと、貴様は思うか」
「そ、そうですね……」
疲労困憊の備中、するりと滾れ落ちた言葉に唇を委ねてみる。曰く、
「どさくさが生じた時ではないでしょうか」
「なんだそりゃ」
鑑連の冷たい視線が痛いほどに突き刺さってくる。備中、急いで補足する。
「つ、つまり、現在の和睦を反故にしても良いだけの好機と申しますか、どさくさと言うか、その……」
「高橋の反逆、秋月の勝利だけでは足らないと?」
「け、結果的には、そのような判断になったのではと……」
「それは何故だ」
あ、この質問。答えなど無い類のものだ。こんな時は虚実皮膜にある答えのみが正解だと心得ている備中。不思議と淀みなく回答できた。
「殿が駐留する筑州について、突破口を見つけあぐねている為でしょう」
「……」
「……」
しまった、外したか。ごますりが通じないでもない鑑連だが、あからさまだと怒雷に撃たれる事もあるのだ。雷撃に備えて身を縮こまらせた備中だが、
「備中」
「はっ……?ぁあああ!」
思わぬ反応にうっかり聞き返してしまった。一度出た言葉は取り返せない為、素早く大仰な平伏を示して誤魔化した。
「貴様はワシに色々適当な事を吹き込んできたが……」
吹き込む……そんな風に考えていたとは森下備中心神喪失の極み、と声なき声で独り言ちていると、
「この戦い、勝てば大金星だぞ」
との呟き声と共に武者震いをする主人の姿を備中は見た。ふと吉弘殿の言葉を思い出した備中、近習らしい振る舞いをしてみる気になった。
「田原民部様等、殿の敵ではありません」
「当然だな、クックックッ!」
よし、当たりを引いた。心の中で拳を握り腕を震わせた備中。鑑連の前途に明るい光を確かに感じる事が出来た。そして手を休ませる事にも成功した。
こうして戸次鑑連にとって試練の年であった永禄十年は過ぎていった。