第146衝 直突の鑑連
「戸次殿」
「吉弘殿」
いつもの貧相な表情で戸次の陣へ現れた吉弘殿。会談の場には、鑑連、備中、吉弘殿、そしてその従者の四名がいるのみ。
夜須見山における敗北の後、今や戸次隊と吉弘隊の実力差は歴然としている。吉弘殿は鑑連に頭を垂れ、全面服従を宣言するのだろうか。ドキドキしながら、両者の会談を見守る備中。すでに五十の坂を突破した鑑連に対して、備中の見立てによると吉弘殿は四十代後半といったところ。年齢もさることながら、個性が大きく異なる両雄。会談の主導権は、やはり鑑連が握るだろう、という予想の通り、口火を切ったのは主人鑑連であった。とはいえ、
「吉弘殿、ワシらは共に武勲を競い合ってきた、そうだな」
「はい」
双方、まずは穏やかな調子である。
「そうだ。そなたについて特別記憶に残っているものはまさに十年前、古処山に秋月次男坊の親父を攻めた時だ。忘れもしない、吉岡殿がそなたの小隊を先鋒にねじ込んできたのだったな」
「あの折、ご厚意により好機を得ることができた事は、なによりも幸いでした」
「なに、そなたの隊は古処山の城を陥とすために重要な働きを示したのだ。武士の世界は実力如何ということだ」
「恐れ多い事にございます」
なぜか備中、嫌な予感がした。
「その後も、門司攻略に際しては、吉岡殿の事実上の手足として、高い地位で責任を務められてきた」
「申し訳ない事に、門司の攻略には失敗しました」
「全くだな」
来た。早くも路線変更なのか。鑑連による吉弘非難、近くに聞こえる雷の如し。
「だが、その責任の多くは吉岡殿が負うべきものだ。気にするなとは言わないがね」
無言で畏る吉弘殿。傍で眺める備中、ますます嫌な予感がしてきた。
「吉弘殿、そなたは大過なく、この十年戦ってこられた。そうだな」
吉弘殿の目尻がピクリと動いた瞬間を、幸か不幸か備中は目撃した。物静かなこの武将にも、意地はあるのだ。当然。鑑連はそれを挑発しているのだろうか。
「そんなそなたは戦場の外でも幸せ者だ。主君と血でつながる程に信頼厚く、同僚から人望も集め……そうだ、ご嫡子にも不足していない。そう、またお孫も誕生したとか」
「は」
「いつだったかな」
「筑後への転進の後に」
「そうか、我が方大敗の後しばらくしてか」
鑑連はもはや敵意を隠そうともしていない様子だ。際どい発言が続く。
「義鎮公にとっては姉の産んだ男子の嫡男、ということだ。誠に大慶。夜須見山での敗北の苦しみも、吹けば飛ぶようなものだな」
「……」
やはり鑑連は、目の前の相手を義鎮公のイヌ筆頭としか見なしていないのか。それでも、ここまで応答のみであった吉弘殿が、ようやく自らの発言をする。
「松山城が安芸勢に襲われた時、戸次殿から頂いたご助言を、私は大切にしております」
「さて、なんだったかな」
「近習仲間の橋爪を見捨てるなかれ、という」
「ああ」
「この事を橋爪はもちろん、宗麟様にもお伝えしたところ、大いにお喜びでした」
「なんと仰せであったかな」
「戸次伯耆守は、故に立派であり武者の鑑なのだと」
「身に余る光栄だな」
他罰的な鑑連と比べて、なんと大らかな発言だろうか。備中は吉弘の発言に感動してしまった。鑑連も毒気を抜かれたのか、話の方向を変えて来た。
「そう言えばワシも礼を言わねばならない事もある。そこな下郎を覚えているかね」
備中を目で射る鑑連。凝視により金縛りがキマり、全く動けなくなった備中を、吉弘殿はゆっくりと見る。
「はい。森下殿は門司の戦いにて、短い時間ではありますが共に死線を越えた仲です」
「ほう……」
金縛りのせいで、吉弘殿のこの発言から喜びを感じることができなかった備中。この事はかつて報告済みであるから、鑑連も当然知っているはずである。主人は何か意地の悪い事を考えているのではないか。
「その者が賢しげにもワシへ吐かしたのさ。貴公をとことん支援せよ、誼を通わせ盟友と認め合うべし、と」
「名誉な事です」
驚愕の備中。震えつつ額を下げた頭上を、鑑連の容赦ない発言が通過していく。
「それでワシは言ってやったのさ。その結果、ワシが不利益を被る事があれば、貴様を殺すと」
「!」
「これは……なんとも」
やはりあの時の言葉を忘れていなかったか。恐怖に慄く備中だが、
「では、森下殿がご存命という事は……」
そうそう、そういう事ですよ!と喜びに顔を綻ばせた。だが、鑑連は不穏な表情で口元を歪ませて
「いや、そろそろ約束を果たす頃かとは考えている」
と述べ、備中へ向けた鉄扇を左から右へ水平にゆっくりと動かした。鑑連のこの発言を機に、会談の空気は一変した。殺気を帯び始めたのだ。吉弘殿はやや強い口調で返した。
「私は戸次殿にとって、害ですか」
「無論だ」
「それはどのような時に」
「常に害であった」
「しかしそれは」
「目障りだった、今もな」
吉弘殿の声の上に、自分のそれをどんどん被せていく鑑連。ついに会話が止まってしまった。鑑連に関して嫌な予感はいつも必中だ。
会話が止まった後、近くを野鳥が鳴きながら通過していった。なにかの鴨だろうか。それに着想を得たのか、鑑連から会話を再開する。
「吉弘家は血筋が良い」
「は……」
「吉弘家は代々老中衆とは縁が無い家柄であった。同じ大友血筋の家なのに、そうなっている理由はただ一つ、吉弘家は大友宗家にとって最後の命綱なのだろう」
「……」
血筋の話をし始めた鑑連。危機は回避されたのだろうか。まだ安心はできない。
「そなたの父君は藩翰として、大内家との戦いに命を投げ打つ事に躊躇わなかった。家柄は抜群に良いというのに」
「戸次殿は」
「うん?」
「大友宗家のために命を投げ打たねばならなくなった時、躊躇われますか」
「その価値がなければならんな」
「価値?」
「そうとも、でなければイヌ死にということになる」
「我ら家臣は価値のためのみに殉ずるものでもありますまい」
「では何の為に?」
「請け負った約束のため。そも、主従とはそのようなものではありませんか」
「鑑理貴様」
途端に空気が凍りついた。鑑連は吉弘殿を呼び捨てにした。相手は義鎮公近習筆頭なのに、なんという事を、と目を剥く備中。反論された事で頭に血が上ったのか。
さすがの吉弘殿も驚き顔をあげるが、この場には戸次叔父も戸次弟もいない。誰も鑑連を止める事はできない。吉弘殿の従者も顔を伏せるのみの様子。鑑連、怒りをみなぎらせた視撃を放ちて曰く、
「ワシらの足を引っ張る事しかしなかった義鎮めに何の価値があるというのか。鑑理、述べよ」
「……」
「讒言を容れ、豊前の安定を乱したことに崇高な価値があるとでも?」
「あ……いや」
「情報に踊らされ、秋月の野良イヌどもを包囲していた貴様らに無理な撤退命令を出した、あの戦場知らずの大失態に、敬意に値するものがあるのか?」
「……」
「そのためにワシの一族は死んだのだ!叔父、弟、甥!一人や二人ではないぞ!大勢の一族が無意味に殺されたのだ!それを承知の上か!」
急ぎ片膝つく吉弘殿。戸次一門衆の死に、吉弘隊、臼杵隊の壊乱が関わりがある事は、すでに周知のことであった。そして吉弘隊が全滅を免れたのは、その犠牲に因る。
「鑑理!言ってみろ!」
「……申し訳ありません」
「鑑理!もう一度言え!」
「申し訳ありませんでした!」
立ち上がった鑑連は片膝付き額ずく吉弘殿に躍り掛かり、顔を上げた瞬間、強烈な拳突をお見舞いした。鼻から血飛沫を撒き散らして背後に倒れる吉弘殿の動きが、備中の目にはゆっくりとした時間の流れにあるように映っていた。
この修羅場はまだしばらく続く。備中はそう確信するとともに、そう言えば主人鑑連が誰かを叩きのめすのを久々に目撃した、との思いに至るや喜びが込み上げてきた。鑑連はいつもの鑑連である。夜須見山の悲劇の後なだけに、それが何より嬉しい備中であった。




