第145衝 真誠の鑑連
「貴様が讒言とは、珍しい事もある。いつからそんな度胸がついた。ん?」
「讒!ざざ、ざ、ざ」
「それで、立花が裏切ると?」
「そ、そそそそこまでは明言できませんし、感じたワケではありません。ただ、立花様は平静を装っていますが、心中に大きな不安を抱えているのは間違いないように……思え……あの、その……思ったので……す……」
主人の怖い顔を見ていると、声がどんどん小さくなっていく備中。最後は声が掠れた。
鑑連といえば太く色濃厚な眉に威圧的な鼻筋、何を言い出すかワカらない悪魔の口が付いている顔が特徴的だと備中は思っていた。その全てを指で押さえて珍しく黙考している。
「戦場の様子は」
「ぬ、怒留湯主水様が、前線で指揮を執っていらっしゃいました。我が方の優勢は揺るぎなく」
「なら問題無い」
「はっ……へあっ?」
「立花の不安はワシらでどうにかなる類のものではない。義鎮や吉岡ジジイ……はもうお払い箱だとしたら田原民部がその責任を負うだろうよ」
「で、ですが立花山城が敵に回ってしまうやも……」
「仮にそれでもあの山なら簡単に落とせる」
「……」
自信満々の鑑連が何を考えているのか、備中にはさっぱり理解できなかった。
「大体、貴様の当てずっぽうが根拠では話にならん。現に今、立花は宗像勢と戦っていて、優勢なのだ。問題は無いし、あれは高橋と違って謀反の噂も無い。博多の衆とも上手くやっている。いくら義鎮が白痴でも、奴をダシに出世した田原民部が放置するとも思えん……放置されたとしても、謀反はせんだろうよ」
「は、はい」
「だから立花のことはもう良い」
最初はせむし野郎など散々こき下ろしていたのに、今は立花殿をすっかり信頼している様子の鑑連。それこそ当てずっぽうでしょうが、と叫びたい備中だったが、そこに何か、鑑連の中に残された、純粋な思いのかけらの存在を感じ、独り言ちるに留める。無垢な物ほど、汚されるものですよ、と。
そもそも鑑連が鷹揚なのは、上機嫌であるためだ。なぜかといえば、天回のために鑑連が打った手が、上首尾に進んでいるからである。
筑後勢を率いる斎藤隊は、小野甥の説得が功を奏して、鑑連の指揮下で筑後の動揺の多くを鎮めることに成功。復讐に燃える安東は秋月勢のこもる夜須・上座郡で暴れまわっている。臼杵隊は内田の誘導により、志摩郡で原田勢との戦いに着手。さらに立花殿は宗像勢を博多に近寄らせていない。
「ワシにとって都合の良い体制が、整いつつあるぞ」
そして、筑前南部で不穏な動きをする輩が知れた場合、それをただちに撃破するのは由布の役目であった。
「高橋も秋月も、夜須見山で拾った好機を零したな!クックックッ!」
備中が筑後へ戻った頃には、戸次隊を取り巻く状況は劇的に改善しつつあった。これを鑑連は、ある意味で独力で成し遂げていたのである。
夜須見山で将士の多くを失ったのは確かに戸次隊であったが、悲惨な壊乱に陥った吉弘隊、臼杵隊は軍事集団としての機能と自信を取り戻すのに時間がかかる。特に、吉弘隊の損害が酷かった。かといって、吉弘は義鎮公の指示で戦場に来ているため、老中衆の寄合の決定によって戦場に出た戸次隊を接収する事も出来ず、密かに戸次隊を頼って避難していた筑後にて、惨めな醜態を晒していた。
「備中、吉弘隊の動きは」
「はっ、ありません」
「当然だな、義鎮からの指示は、筑後川のほとりで待機せよ、だから!クックックッ!イヌは命令がなければ動けん!」
激笑する鑑連を、意外な人物が訪問する。まさしく、吉弘その人であった。
「と、殿!吉弘様が」
「……」
「わ、僅かなお伴のみでこの城へ!」
「……」
大友方諸将の仲直りがここで実現するかもしれない、と備中は心躍らせるが、自分のそんな表情をいかにも不愉快気に見やる鑑連の視線に気がついて、無表情を作る。
「はしゃぐな」
「はっ……」
やはりこの訪問を不愉快に感じている様子。
「おい備中、いやまて。うーむ」
「はい」
「吉弘のこの訪問、もしや小野の差し金かもしれん」
「小野様の、ですか」
ということは義鎮公の指示だろうか。
「いや、義鎮めは関わっておらん。絶対に。あれはそういう性格だ」
主従関係の主の側にある人をよくもここまで悪し様に言えるものだ、と呆れる備中だが、
「小野が義鎮の指示に反した動きをしているとしたら、どうだ?」
鑑連が自身へ投げかけたこの問いかけは、純粋な感情が宿っている。純粋な質問。であれば、全力で回答しなければ近習とは言えない、と備中は頭脳を全力で回転させる。結果、はじき出された言葉が口を突く。
「小野様は……国家大友のため、その、あえて義鎮公の指示を」
「無視している」
「は、はい。さらに言えば、義鎮公の軍略によって」
「軍略への無用な口出し」
「え、えー、はい。それによって、我が方は大敗しました。当然、臼杵でそれを口にする者はいないでしょうが、義鎮公も自身の命令の誤ちに気がつかれているとすれば」
「……なるほど。今は遠慮している、ということか」
「は、はい。小野様はそこを狙ったのかもしれません」
「とするなら、義鎮の捨てイヌである吉弘の要件は一つだな。ワシに詫びを入れて、国家大友の危機に立ち上がりたい、ということだ」
「は、はい、それ以外には考えられません」
「……」
「……」
「クックックッ……」
「……」
「クックックッ!クックックックッ!」
「はは……あはは」
その結論に至るや、途端に上機嫌になる鑑連であった。確かに、その考えは的を得ているのだろう。義鎮公が主人鑑連に対抗して、吉弘隊、臼杵隊を送り出している以上、義鎮公の指示がなければ吉弘殿が折衝に動けるはずがない。だれか仲介した人物がいるはずなのだ。そしてそれは、この戦場では小野甥以外、考えられなかった。
「よし、会おう」
「はっ」
「丁重にな」
「はっ!」
吉弘主従が控える陣へ向かう備中。ふと、仲介をしたかもしれない人物の候補として、石宗の顔が浮かんだ。
「……」
だが、やはり違った。あの怪僧は豊後の為には決して動かない。さらに言えば、国家大友のためにだって、懸命にはならないだろう。でなければ、夜須見山の大敗前後に小野が発した依頼に回答を出しているはずであった。
石宗が動くのは自分に恵みを与える主君のためだけだ。対して、小野甥は国家大友の利益のため、苦しい調整を続けている。
「ああ、愛、愛、愛!これこそいとおしくかなし!」
まだ想像の域を出ない事であったが、備中は若武者の主家と祖国を愛する強烈な熱意に触れた気がして、自身の胸の高鳴りと快感にも等しい熱の高まりを感じるのであった。