第142衝 山隈の鑑連
苦境に立つ主人、敗北した鑑連への衷心溢れる注進が場に溢れる。森下備中の熱弁は続く。
「事象を望みのままにしてきた殿の力の源泉は失われました。それはすなわち、このままでは事象の望みのままにされてしまうということです」
「なんだと?」
「必ずそうなります」
「それはあれか。つまり義鎮がワシの死を願っていると?」
「えーと、は、はい!そうです……た、たぶん!」
そんなことをいやにあっさり言うものだと呆れ顔の鑑連だが、
「義鎮がワシを始末しようとするのなら……こちらにも考えがある」
主人の強気に焦った備中。片膝ついたままバッと手を伸ばす。
「いえ、いけません!いけません殿!義鎮公とはあくまで穏便に事を治めなければなりません!」
「ほほう、穏便に」
「はい、義鎮公は、怒れる殿が豊後から離れれば、ひとまずは安心するはずです。謀反はないだろう、と。そして、今の筑前は高橋、秋月の裏切りが渦巻いている。身を置くにはもってこいでしょう」
「裏切らずに、袂をわかつと」
「つ、着かず離れず、ということで。か、可能だと思います。ど、同時にお味方を増やす事が重要です。筑前の情勢に明るい地元の侍や、義鎮公がお見捨てになった武将など」
「例えば誰だ」
「は、はい。高橋様や立花様はいかがでしょうか」
その人選はいかにも稚拙、と嗤う鑑連。
「クックックッ、立花はともかく、高橋をワシの与力にすれば、その意図明白になるではないか」
「で、では高橋様以外の連中を……」
「備中」
「はっ」
条件反射でかしこまる備中。
「貴様の不埒で思い上がった考えだが、実行に移すのは悪くはないな」
「はっ……」
認めてもらえて嬉しさで笑顔の媚中。
「だが、前提条件が必要だ。それはこの状態から逃げ出さずに、立ち向かい、ワシが覇気を失わない、ということだ」
「覇気……」
「そうだ。この山隈城からワシはもう一歩も引かんぞ。なるほど。このワシ程の大人物を相手に、秋月次男坊は上手くやったかもしれん。だが、幸運に釣られて軽挙妄動する輩が絶対に出てくる。そいつらを血祭りにあげる。カスどもの地を奪ってくれるわ!」
「で、ですが高橋様と秋月勢が共同して平野に出てくるやも……」
「貴様!」
その瞬間、唐突に雷が飛んできた。
「貴様!高橋に様など二度と付けるな!」
「はっ!ははっ!」
「言ってみろ!敬称禁止だ!」
「た、た、た、たかたか」
「ケッ」
瞬間、主人鑑連の目に激しい光を見た気がした備中。
「すでに、宝満山城を包囲している内田隊には引けの合図を出してある。この地に兵力を集結するのだ。不埒な連中は見つけ次第、成敗!」
鑑連は持ち前の強靭さで、大敗を呑み込む事が出来たようだった。その言葉が筋道だっているかどうかは別として、主人の悪徳が健在のようで、備中はようやく深い安心を得ることができた。
その日、宝満山城から引き上げてきた内田隊が山隈城に到着した。内田は疲労困憊した様子だが、気合いを入れなおしたような様子で鑑連に復命する。
「申し上げます。宗像勢、原田勢が兵を挙げ、大友方の城を攻め始めました……」
謀反の続報に、城内はざわつく。
「ついに来たか!」
「謀反の連鎖だ!」
「恐れていた事がついに……」
「まあ落ち着け。原田勢へは怡土志摩にいる臼杵家が、宗像勢へは立花殿が迎撃に当たる」
「このような時、立花山城がこちら側にあるというのは心強いというもの!」
戸次隊の将士達は大袈裟にでも大きな声を出し合って、士気の高揚に努めていた。
それにしても、と居並んでいた備中は思う。高橋殿はともかく、秋月、原田、宗像の連中はよほど国家大友が嫌いなのだなあ、と。やはり豊後勢に徳が欠けているからなのだろうとも。次いで、由布が内田に質問をする。
「……内田、高橋勢の追撃は無かったか」
「はい、ありませんでした。斎藤様が後列を警戒してここまで参りましたが、高橋勢に出撃の気配はありません」
「……謀反勢に有利なこの状況で、何を考えているのだろうな」
考えあぐねる戸次隊の面々。義鎮公の命令とは別に、鑑連も筑後川の右岸地帯を死守するつもりであり、そのために相手の出方を読もうと必死だが、音沙汰がないまま。みな敵のワカらぬ意図を思い、険しい顔つきになる。そんな中、生きて帰って来てくれた内田はと言えば、悲愴な表情であった。備中、同僚を心配してさすがに声をかける。
「左衛門、何か心配事があるのかい」
「……いや、ないとも」
「そう……」
「そうさ……」
「……」
会話が止まってしまう。
「……なんだ」
「いや、その、なんとなく」
「……殿、私がお預かりしている部隊の損害を今一度点検して参りますので、これにて」
無言で頷く鑑連。内田は元気なく退出していった。
「あいつ、どうしたんだろう」
「……備中」
「あ、はい」
訝しむ備中に由布が近づき、静かに語った。
「……宝満山城の戦いで、内田は倅を失った」
「え……」
「……今はそっとしておいてやれ」
「は、はい」
幹部連の悲劇は夜須見山だけではなかったのだ。同僚の息子が死んだという。備中も豊後の故郷で日々成長しているだろう息子の事を思う。その子が死ねば、どんなに胸が潰れ、感情が消え去ってしまうだろうか。内田の心情を思えば、耐え難い苦痛に胸を締め付けられるようだった。
しばらくして、主人鑑連の前に座している幹部連は由布、安東、そして森下備中の三名だけとなった。
「……」
誰も何も言わない。言葉を発する気になれないだけだが、失った者が余りにも多すぎた。戸次叔父、戸次弟の死は、一門隊がどれだけの打撃を被ったかを如実に示していたし、隊長十時の死は、戸次隊の積極性の喪失を意味していたかもしれなかった。そして戸次隊を襲った悲劇を、筑前筑後の土豪らはもう、耳にしているのだろう。彼らは皆、小さなところでも謀反の連鎖を警戒し、恐れなければならなくなっていた。
幹部連の昏い気持ちを払うかの如く、鑑連が口を開いた。
「周辺の土豪らに物資と兵の供出を命じる隊を出す。僅かでも躊躇を示した者共は時を置かずにこれを攻め滅ぼすものとする。備中、吉弘隊、臼杵隊へも伝えておけ」
「……はっ」
逆に言えば、こちらから宝満山城と古処山城に攻め込む事が出来ない以上、対外的に出来ることは限られていた。
それでも高橋勢、秋月勢が一向に攻めて来ないまま、秋が深まっていった。
山隈城で情報を収集しながら、備中は安東と意見の交換を行う。
「敵はどういうつもりなのでしょうか」
「まず、安芸勢を待っているのだろうがな」
「ですが、毛利元就に動きがありません。博多からの報告にも、特段のことが無いのです」
「去年から、四国では安芸勢と土佐勢が争っている。毛利元就も二正面作戦は避けているのかもしれん」
「ところがだ」
そこに内田がやって来た。まだ顔色は悪い。
「より弱小な宗像勢は二正面作戦に打って出ている。花尾城の城主が入れ替わったぞ」
「立花勢と戦いながら良くもやってのけたものだな」
それはつまり、親大友の城主が追いやられ、親毛利の城主が取って代わったという事だ。
「こう言った小さな勝利を積み重ねる事で、毛利元就を呼び込もうといているのだろう」
「噂を真実に変える、ということか」
夜須見山で流れた安芸勢来襲の噂は、その後直ちに実現しなかったことからも、高橋殿と秋月次男坊の謀略だったのかもしれない。だが、筑前の謀反勢がそれを渇望していると知れば、毛利元就は出てくるだろう。きっと今は、機会を待っているだけ……。
その時が来るとしても、出来るだけ遅くであってほしい、と天に祈る森下備中であった。




