第141衝 静謐の鑑連
筑後国、山隈城(現福岡県小郡市)
ここは集結予定地ではない。追い立てられ、壊乱を防ぐ為に急遽避難した城である。悲劇の地となった夜須見山から徒歩でも三時間程度、秋月勢の動きは良くワカるが、ずっと居続けるワケにもいかない場所であった。
この避難地にようやく到着した備中、直ちに鑑連へ復命し、ここで初めて諸将の最期を報告する事になった。涙無くして聴くことはできない。陣には無念が満ちていった。
では悲劇はなぜ起こったのか、に生存者たちの考えが至るや、
「あの撤収命令が全て悪い。こちらが有利に事を進めていたのに……利敵行為ではないか」
「と言って、義鎮公が為された事。一番苦しいのは義鎮公本人だ。利敵行為ではないよ」
「誤った指示に従うことしかできない大将らの責任はどうなのか」
特に、見苦しい撤退離散で夜須見山城に乱入し、同士討ちを起こしてしまった吉弘、臼杵の二将は非難を免れることはできないだろう、というのが衆目の意見であった。また、鑑連もこの二将に対して、烈火の如く怒りを示すはず、と。
迎撃体制を維持しつつ、悪しき事柄が噂されている中、敵の追撃を防ぐ活躍を示した十時隊が到着した。隊長の亡骸とともに。
生き残った隊長安東は、もはや動かない十時の遺体に近づき、助太刀できなかった事を詫びた。他にも何事か話しかけ、これが最後となる温かな時間を共に過ごした。この両名は、戸次隊における切込隊の両輪であり、その死は深く惜しまれた。
普段は無口な由布だが、十時の嫡男に慰労の言葉を告げる。そして、由布は彼をそのまま鑑連の陣へ連れていった。
寂寥を感じずには居られない備中。常であれば由布は、戸次叔父または戸次弟に取次ぐのだ。それが、無くなった。あの二人が還ってくる事はもう無いのだ。
戸次弟、戸次叔父、隊長十時、その他多くの将士の奮闘と犠牲により、戸次隊は瓦解を免れた。その事を主人鑑連はどのように考えているのだろうか。
「生き残った者達は刀槍の手入れをしておけ!すぐにでも反撃してくれよう!」
備中の目から見るまでもなく、鑑連は変わりないように見えた。指示を与える時の声は威圧的だし、態度も同様だ。あの恐ろしい嗤い声も健在だ。
「すぐに秋月の所領を蹂躙してやろう!くッくッくッ!そうしてやるぞ!」
だが、近習たる備中は、大きな変化を見逃さなかった。息遣い、言葉、時宜、全て必死に平常を装っているようだった。無理もない。鑑連に奉られていた無敗の称号が、遂に剥ぎ取られたのである。それも筑前の未熟な一土豪の手によって。この影響は、軍中においても大きかった。
「戸次殿の無敗は……その、偶然だったのだな」
「しらんよ、そんなこと。だがどうする……このままこの軍に身を寄せていて、大丈夫だろうか」
「筑前豊前の衆はもう自領へ帰った者多数だというぜ。それならば、だ」
国家大友最高の武将である戸次鑑連の敗北は、ただの敗北以上の悪影響をもたらすだろう。それはすなわち、国家大友それ自身の権威の失墜である。
「安芸勢来襲の噂が、現実味を帯びてきたな」
「確かに、先方が和睦を破るなら、今が最大の好機だな」
「みんなあちこちでその話をしている。負ける方に付くことはないよ」
何か手を打つ必要が、粛清担当老中の戸次鑑連にはあった。その日、備中は鑑連に報告に行く。独り黙考している鑑連、怖いほどに波打っていない、静謐に包まれていた。
「殿、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「筑前筑後の諸将で勝手に帰国する者が増えております」
「そうか」
「戸次隊も親繁様、鑑方様、十時様を始めとした多くの方々が命を奪われた今、かつてと同じ武力は失われております」
「そうだな」
そんな事は知っている、という波動が出ている。備中はゴクリと息を呑み、続ける。
「……ぜひ反撃を」
「貴様も他の連中と同じことを言うのだな」
「……」
「弱気を見せれば運が逃げる。戦うべし、と」
「……」
「運?確かにそれもあるだろうが、それだけではどうしようもない。今、ワシらが何をしたとて、状況を大きく変えることはできん」
「……土豪らに弱腰を見せれば、謀反が起きます」
「今更間に合わん」
「……」
しまった、しくじったか。
「言いたいことはそれだけか」
「あの……その……」
「では下がれ」
「いえ、か、核心があります」
「言ってみろ」
鑑連は自分の話を聞くつもりだ。やはりいつもの主人とは鼓動が異なっている。人生初の大敗が衝撃だったのだろう。上申の機を得たり……!
「も、申し上げます。この機会に、筑後または筑前に、殿の力を扶植していくべきです」
「なんだと、この機会と言ったか」
「はい」
「叔父上や鑑方、十時が死んだのが、機会だと言うのか」
「こ、この後に及んでは、ということです」
備中の心臓が破裂しそうなほど音を鳴らしている。耳の良い鑑連にも聞こえているかも、と背中が汗でびしょびしょしてきた。
「それであの」
「で」
「秋月攻めは……その、た、たたたた」
「大敗だろ?」
「は、はい。たた、大敗に終わりました」
「ワシの前でそれを口にしたのは、貴様が初めてだ。続けろ」
鑑連が現実を見ていたことに安堵する備中。
「はいぃ……その原因は」
「ワシら老中衆や大将らにある、と言うのだろ?それは噂話が流れているだろうよ、くッくッくッ」
「そ、その噂は私も承知していますが、究極的には義鎮公の撤退命令に原因を求めることになります」
「へえ」
「……そ、それでその」
「義鎮が大敗の原因と」
「明白です」
「ふむ」
「め、明確ではありませんか」
「ワシの前で、それを口にした叔父上と弟は死んでしまった。生きている者では貴様だけとなった」
口調は怖いがそれでも静謐な鑑連のままだ。
「きょ、恐縮で……」
「そんなものするな馬鹿。で?」
「あのその」
「ワシらが悪い、しかし義鎮が一番悪い、だからなに?」
あ、まずったか。さすがに攻撃的になってきた鑑連。かつて批判を面にぶち当てられた経験は少ないに違いない。ここが運命の分かれ道だろうか。しかし……それでも……
備中は感情を退けて、純粋な理に基づいて、今の鑑連を信じる事にした。
「も、申し上げます!もはや義鎮公は信用するに値しません!その統制から外れた力を!殿のための力をお求めになるべきです!」
「ワシに謀反の話をしているのか?」
「いいえ!謀反ではありません!国家大友に身を置いたまま、殿にのみ属する力を手にするべきなのです!」
「それを謀反と言うのだ」
「いいえ!謀反ではありません!絶対に!謀反とは、その力を国家大友へ向ける事です!その力を国家大友のために用いれば良いのです」
「よしんばその力を得たとしよう。疑いを掛けられればあとは滅びるのみだぞ。小原遠江はそのため肥後でくたばった」
確か鑑種が主導した陰謀があったはずだが、超真剣な眼差しで誤魔化す備中。
「その小原を始末した高橋を、今ワシらは討伐しようとしているのではないか。それもこれも、高橋が筑前で力をつけたためではないか」
「いいえ!小原様が処分は、それを殿が望まれたからです!」
言ってしまった。
「高橋様の攻撃も、確かに先方自身が礼を欠いた事もあるでしょう!しかし、それを殿が望まれたからではありませんか!」
言葉を紡ぐのではない。吐き出せば、思考もそれについてくる。この場で首を打たれるのは勘弁だが、備中は久々の高揚の中にあった。自身の弁舌に
鑑連が対峙してくれている。下僕としての意義はこれに尽きる、と備中は多幸感をもって話し続けた。




