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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
141/505

第140衝 喪失の鑑連

 備中は夜須見山から逃げながら、奇妙な光景に遭遇する。


 まだ残る霧の中、どうやら平野で戦いが繰り広げられている。攻めている側は旗指物から秋月勢であるとワカるのだが、守り、押しとどめているのは明らかに十時隊であるようだった。夜須見山城でも十時隊を見た以上、答えは一つであった。


「十時様は隊を分割したのか!」


 そして十時隊は、戸次隊の主君と仲間たちを守るため、追撃の手を緩めない秋月勢の間に割って入ったのだ。それしか考えられなかった。不利ばかりであった状況での十時隊の活躍に、備中もさすがに胸が暖かくなる。


 恐らく、秋月勢は夜襲に際して、やや遠くに布陣していた十時隊に取り付く猶予が無かった。または悪天候の中、見逃したのかもしれない。一方、吉弘隊と臼杵隊の壊乱をどうにか知った十時隊は、城の救出と追撃阻止、二つの目的のため隊を二分したに違いない。さすがは戸次隊指折りの勇将である。その名に恥じない判断と決断だ。


 だが、隊を二分した以上兵数に劣る十時隊は明らかに押されていた。秋月勢の追撃を止める、という目的は果たしているように見えたものの。雨は上がり始めていたが、未だ霧が漂う中、備中は十時隊の後ろに回り、隊長十時へ会いに行く。そこなら戸次叔父の治療が叶うかもしれない。



 見えた。馬上で懸命に声を張り上げ指揮を執る十時の姿が見えた。


「はいはい!こちら!こちら森下備中です!」


 文系武士の備中、慣れない大声を出しながら手綱を緩め、十時隊に近づく。気持ちが迅る。自身の声は、武将らしい十時の大声の波に消されてしまっているようだった。もう一言上げなければ。


 その時、隊長十時の胸が破裂した、ように備中には見えた。霧がその辺りだけ、薄赤く染まった。十時はのけぞった姿勢のまま落馬した。続いて、轟音が鳴り響く。周囲の武士らは何事かと呆然としている。


 懸命に二人乗りの馬を走らせる備中にはワカった。銃撃されたのか、流れ弾か、ともかく十時は被弾した。備中、涙で目元が熱くなっていく。必死に、馬を鞭打ち、人集りに近づく。


「十時様!」


 馬を飛び降りて、十時に寄り添う。気絶しているのか、それとも絶命してしまったのか。確かなことは、備中の声かけに、隊長十時は反応を示さなかった。


 ふと顔を上げると十時の息子だろうか、武者が甲冑を解いて傷の治療を試み始めた。辺りに血の匂いが濃く立ち込める。肉体がえぐれたような銃創から止めどなく血が溢れており、それを見た備中、思わず仰け反った。


「じ、地獄。地獄だ」


 戸次弟の死、そして恐らく、馬上の戸次叔父も助からない。地に倒れた十時も無反応だ。これほどまでに戸次隊の重鎮たちが命を奪われて、以後、鑑連はどうするのだろうか。


 きっと今の自分は哀れな顔をしていたに違いない。泣き顔。動揺。怒り。この辺りが混じり合ったような。妙に周囲の動きがゆっくりとしていた。


 戦場に轟音が響き渡った。空気を切り裂き走る何かが飛んでいく。周囲の武者幾人かが、悲鳴を上げて地に伏せる。秋月勢は鉄砲まで用意していたのか。雨上がりの攻撃に備え、濡れて使い物にならないよう。周到である。きっと、秋月次男坊は大きな決意を極めて、この戦いに臨んだに違いなかった。


 比して我らはどうだったのか。


 目の前で起こる仲間の相次ぐ死。この地獄で生き残る術はあるのか。無いのではないか。その考えが脳裏で渦巻いた時、備中の知覚が崩壊した。



 霧の中に、虹が浮かんでいた。人は戦場には奇瑞が多く発現するという。奇妙な光輪をじっと見つめる備中。同時に、石宗とともに見た唾液の橋にかかる虹、安東とともに見た古処山に浮かぶ虹を思い出していた。そして、二つの考えが、明確になる。


 一つ。この敗北の責任者の一人は戸次鑑連であること。明白である。二つ、戸次鑑連が以後も有力な武将でありつづけるには、変革が必要であること。


 目の前で横たわる哀れな死を悼む心情とは、関わりがない思考が、備中の心に厳然と現れている。いくら嘆いても、彼らはもう還ってこないからだろうか。自分にもワカらなかった。



 誰かが雄叫びを上げた。戦場なのだからそんなこともあるだろうが、その声が心を現実に引き戻す。はっ、とする備中。


 隊長を失った十時隊は崩壊するかもしれないが、この着想を主人鑑連へ伝えねばならない。備中、よろよろと馬に戻った。そして、敵の手が届く前に、この戦場を立ち去らねばならない。


 ふと振り向くと、意外な人物が見えた。小野甥である。嵐の中、出て行ったあの若武者が、隊長の死に呆然とする隊士らを前に、進んで勇武を示している。雄叫びは彼のもののようだ。


 戦い、話し、また槍を振るい、小さな勝利を積み重ね落ち込む武者たちの勇気も取り戻していく。そういうような事をしているように、備中には見えた。


 だが、小野甥の活躍など、今の備中には取るに足らない事だ。もはや後ろを振り返らず、馬を走らせた。



 進んだところで、敵騎兵が追跡してくる気配を感じた。確かに、迫っている。十数騎か。まさか追ってくる敵が、二人乗りのはずがない。このままでは追いつかれてしまうだろう。と行って、無理に馬を走らせてはならなかった。


 騎兵がすぐ後ろまで迫った。三つ撫子の旗指物だ。一人、姿勢美しい武者が、備中の前に回り込んでくる。そしてあっという間に包囲された。馬を止める備中、生き残るために、何か、選択を押さねばならなかった。


 戸次叔父の遺体を乗せた備中。震える声で命乞いを試みた。


「見逃してください」


 今の自分の姿はくたびれ果てており、さぞ彼らの同情を誘うだろう。備中の計算はそれだけではない。落ち武者が筑後へ逃れる最中、その姿を晒せばきっと国家大友の権威は失墜する。相手がその考えに及んでくれれば、助かる可能性はある。備中はもう一度同じ台詞を吐いてみせる。より哀れっぽく、惨めさを前面に。


「見逃してください」


 騎馬武者達は、馬の背に乗った戸次叔父の亡骸を見ていた。老いた武者までが悲惨な戦場で命を落とし、それを哀れっぽい従者が連れて逃げているのだ。なんという悲劇か。ほら悲しみをそそるだろう。だから見逃してくれよ……



 もしかして、それは秋月次男坊だったのだろうか。彼らは何も言わず、来た道を引き返して行った。勝利を確信したからこそ、これ以上の追撃を控えて戦場へ、そして上座郡へ去って行ったのか。


 それにしても、命乞いもしてみるものだ。備中は戸次隊を追い、再び平野を進み始めた。すでに筑後へ入っているはずであった。

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