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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
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第139衝 離脱の鑑連

 虎口の激闘で敵を押し返しはじめた戸次隊は、混乱を収拾しつつあった。


 当座の危機を乗り越えた将兵らを前に、由布が力強く展望を述べる。これぞ鼓舞、という声を出す由布は、普段の物静かな調子とは全く異なる。達人だ、と感心して頷くことしきりの森下備中。


「我ら敵の夜襲を凌いだ!見事な働きだった!雨雲も我らから去り始めている!」


 大歓声を上げる戸次隊将士。


「これより手筈通り、筑後領内へ転進する!すでに敗退したと思われる吉弘隊、臼杵隊の将兵らを道中見かけたら、保護してやれ!」


 大笑いが起こった。腰抜けどもに慈悲をくれてやるか、との声も聞こえる。しかし、実際は夜の激闘で、見分けがつかなかった同胞を斬り捨てているはずであった。


 大いに景気良く声を張り上げた由布だが、鑑連の下に戻ってきた時には、いつもの由布に戻っていた。無表情に、鑑連へ事実を報告をする。


「……恐怖の夜を生き延びた喜びが、武士たちを童に変えてしまっています」

「だが、ここに籠城を続けるワケにはいかん。危険を承知で、この山を降りるしかない」

「……はっ」


 鑑連も由布も、示した景気の良さとは全く異なり、まだ危険が待ち受けていると判断しているようだった。何故そうなのかは文系武士の備中にはワカらないが、何を恐れるべきかはワカった。すなわち、秋月勢の追撃である。


 すでに虎口から不穏な空気は一掃されている。出るならこの機会をおいてない。実戦部隊の責任者たちが兵をまとめ始めた。五体無事であったり生きていても助かる見込みのありそうな兵のみを。つまり、戸次弟や重傷の負傷兵らは置き去りにされる。


「……」


 戦の習いとは言え、酷い景色である。これまでの戸次隊で、このような事はほとんど無縁であったのに。備中の胸に言いようも得ぬ悲しみが広まっていく。落ち込む文系武士をよそに、どこかで誰かが喜びの声を上げた。


「空が白みはじめた!」


 いつしか夜の暗黒は消え去っていた。戸次隊の夜須見ヶ城からの離脱が始まった。同時に霧が発生した。


 離脱の先陣を切るのは足軽隊。中央に負傷者を抱えた彼らが先を進み、これの指揮は由布が執る。南の虎口から出発した安東隊が由布に合流したのち、彼らの後衛を一門衆の集まりである騎馬隊が務める。鑑連はここに入った。一団は山を降り、筑後を目指す。


 だが、我らが森下備中はこの中にはいなかった。


 城に戻り、戸次弟の髷を頂戴していたのである。無論、形見として豊後へ帰すためだ。そしてふと思う。戦場で嫡男を失った安東は、息子をどのように埋葬したのだろうか、と。


 このため、戦場における純粋な兵種としては騎馬武者にあたる備中は、独り離脱が遅れた。そして、夜須見ヶ山に登ってきた秋月勢に対して戦いを継続し、死を賭して引き留めようとする戸次叔父の隊を目撃してしまうのである。


 嵐の中の夜襲という危険を押して復讐を決行した秋月勢が、戸次隊の退却を見逃すはずがない、という戸次叔父の判断は正しかった。大将鑑連自身もそれを認識していたのだろう。だからこそ、老いた武者である戸次叔父は、しんがりを買って出たのだ。


 多勢に無勢は明白であったが、城への侵入を試みた秋月勢を奇襲する戸次叔父。死闘が始まった。備中は自身が脱出しなければならない事も忘れて、戦いに見入っていた。また少し、雨が強くなってきた。


 指揮官の戸次叔父はと言うと、老いた武者なのに、疲れを知らぬが如く弓を射つづけていた。弓を鳴らすその後ろ姿は、かつて門司表で目撃した、老中筆頭田北の見事な最後の姿と重なった。つまり、感心から覚めると、嫌な予感がした。


 勢いと数に勝る秋月勢は、当初の混乱を収拾したらしい。反撃に出た。疲労が限界に来ていた戸次武士たちは、次々に斃されていった。備中の脳裏に、せめて戸次叔父だけは救出して脱出をしなければ、との文字が浮かぶ。


 その時、大きな悲鳴が起こった。秋月勢の背後で何かが起こったようだったが、霧の向こう側だ。何事か備中にはワカらないし、もちろん戸次叔父も同様のはず。しかし、戸次叔父は最後の攻勢を命じた。彼自身、弓を棄て、刀を抜いて突撃を行った。甲斐あって、戸次隊は虎口の敵勢を突破し、城外脱出に成功した。


 備中も馬を走らせ、城外へ抜けた。霧中で激闘が続いており、目を凝らして戸次叔父を探す備中。


 その時、後ろで誰かが派手にぶっ倒れた。振り返ると、戸次叔父が倒れていた。体のあちこちから血が流れている。今、斬り倒されたのか、それとも力尽きたのか。備中は戦場というのに馬を降り、近寄って夢中で声をかける。


「親繁様!」

「……」

「親繁様、備中です!森下備中参上!」

「……備中……か?」


 戸次叔父の息が上がっていた。


「……お前……なぜまだここに残って……いる……殿は」

「殿の離脱は成功です。さ、親繁様、手をお貸しください」

「そうか殿は……お前も行け……」

「親繁様、手と肩を失礼します」

「……十時が……道を開けてくれたぞ……」

「と、十時様が?」

「長くはもたんかも……早く……」


 周囲を見渡す備中。霧のせいで不明瞭だが、確かにまだ激しい戦闘は続いている様子だ。戸次叔父隊の将士の数を上回る何かが、秋月勢を襲っているのかもしれない。


「親繁様、あの馬にお乗り下さい。わ、私の背中に足をおかけください」

「……」

「親繁様」


 返事はない。


「で、では失礼して……ふん!」


 備中のような文系武士でも火事場の力が発揮された。馬に二人乗って大丈夫だろうか。大丈夫なワケがないが、やむを得ない。備中は自身の甲冑を外し、鉢金と脇差、そして戸次弟の形見を戸次叔父の懐に押し込んで、馬を繰り始めた。


「親繁様、少々ご辛抱下さい!」


 備中の境遇に馬が同情してくれたのか、あるいは文系武士が痩せっぽちだったためか、ともかく健気にも走ってくれた。山を一気に下る備中。だが、負傷した武者を乗せて走るのだ。戦場では異様な姿で、霧が隠してくれていなければ、こんな芸当はできなかったろう、とまだ戸次隊が天道に見放されていないと備中は感じていた。なにより、戸次叔父の言う通り、十時の旗指物がチラリと見えた。やはり、十時隊が戸次叔父を救出に来たのだと思えた。


 行ける、と備中は心を強くする。こんな時こそ用心が必要だが、今は行ける、と不思議と確信を得た彼は、ぐったりしている戸次叔父へ明るい声をかける。


「林を抜ければ山は終わりです。行きますよ!」


 だが返事はなかった。気絶をしているのか、あるいは力尽きたのか、どちらも脳裏を過ったが、直ちに確認する必要を備中はあえて認めず、ここで初めて馬に鞭を打った。彼は走ってくれた。


 二人を担いでいるのだ、期待した速さは出ないが、それでも馬は相変わらず同情を示してくれてたものと備中には思えた。


 戸次本隊の背中はまだ見えない。

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