第13衝 帰国の鑑連
あっけなく隈本城の戦いが終わり、勲功第一位確実の小原遠江守を除き、他の武将たちは皆帰国の支度を始めている。
「噂がある。小原様が肥後の守護代として残られるという」
「俺も聞いたけど、それって小原家の連中が言いふらしていたことだろ」
「事前にその約束を若殿から取り付けていたんじゃないかしら」
戸次や佐伯だけでない。戦線に参加した諸将は軒並み不満顔である事をしかと確認した森下備中は、大友家の情勢を主人に伝える。だが、鑑連は、
ふいっ
と横を向いて返事を返してくれない。まだ例の提言について怒っているのだ。がっくり肩を落とす備中を、石宗が慰めてくれる。
「まあまあ、戸次様のご座所へは入れるのでしょう。スネていらっしゃるだけでしょう。はっはっは!」
だが、備中は不安を感じていた。主人に関する自分の不安は良く当たるのだ。そしてそれは、帰国の途中に立ち寄った竹迫城で、一人の同僚を見つけた時に確信に変わった。
「左衛門」
「やあ備中、お勤めご苦労。殿も息災の様子。今回の戦いは労あって益なしであったようだな」
「……そうかもね」
内田左衛門尉は豊後の戸次本領を預かっていた、もう一人の近習である。彼を見ると心穏やかではない森下備中。その理由は、利発さ、知識の量、明るい性格、忠誠心、尚武等あらゆる面で自身を凌駕している為である。それでいて、ふと蔑視の視線を感じる事もある。
「僻みかな」
と自省するが、内田が主人に挨拶を行なっている間、石宗が近づいてきてこっそり曰く、
「なるほど、内田殿は森下殿を格下とみなしているようで」
「ワ、ワカる?」
「はっはっは、無論無論」
「……そうか、やっぱりそうなのか」
石宗の勘の良さは認めざるを得ない備中、腹がもやもやし始める。
「戸次様はあなたに代えて内田殿をお近くに侍らせるのでしょう。これは近習第一位を奪われましたな」
「いや、近習第一位は前から内田だったよ。殿出征時に重要な本領を任されているのがその証さ」
鼻をフンと鳴らした石宗、訝しげに言う。
「へえそうですか。であれば、備中殿の役目は内田殿に代わるのですか?私は存じませんが」
「……聞いていないよ」
「……」
「……」
「はっはっはっ! まあ無事に豊後へ帰国できることを、今は天道と我らが主君へ感謝いたしましょう」
主人に露骨に無視されること頻繁になった森下備中だが、内田を通して命令されることはある。
「備中。この書状を府内の吉岡邸へ急いで送ってくれ。最も足の速い足軽を飛脚にな」
「はいはい」
「備中。この台帳はなんだ。十時衆の名が由布衆の中に入っているぞ。こういった台帳を拵える時は必ずこんな間違いがあるものだ。なぜ確認をしていない、あ、言い訳はいいから」
「いや、それは殿がそれで……良いと……」
「備中!本国への書状を勝手に出したな!何故、私を通さずに送ったのか、言い訳いたせ!」
「……はっ」
「はっはっはっ! これは御近習の御両翼」
「やあ石宗殿。見せていただいた立案書、素晴らしい計画でした。あの様な案をどんどん提案していただきたいもの。以後もよろしくお頼みいたします」
「造作も無い事です、それがしにお任せあれ」
「……」
隊にあって孤独を深める備中。夕日を背に黄昏れていると、すぐ近くに同じように黄昏れている人物を発見する。佐伯紀伊守だ。なにやら深くため息をついている。大将でなくなったとはいえ一応、大友家の重鎮だ。片膝ついて礼を示す森下備中。
「そなたは森下殿。戸次様の方は順調かね」
「はっ、滞りなく、帰国の途についております」
「それは良かった」
再び黄昏れる。無口な人物で愛想もイマイチだが悪い人ではあるまい、と思う備中。今回の戦いの苦労について率直に伝えた。すると佐伯紀伊守は苦笑して、
「今回誰か、あるいはどの派閥の者を勲功第一にするかはあらかじめ決まっていたようなもの。戸次様にはお気の毒な事だが。その面で、私こそがそうなれれば家名の助けにもなったのだろうが。力不足だったな」
「佐伯様のご戦法、正しいという声もありました。現に、小原様は菊池の殿を取り逃がしております」
「だが、肥後をいち早く鎮める、という義鎮公のお望みには叶っていなかったのかもしれない……しかし小原様も衆に優れたお方だ。しばらく肥後は安泰だろう」
うーん邪念の無い良い人だ、と感服した備中は、素直に首を垂れた。互いの不遇を感じ入ったのか、紀伊守も片膝つく備中の肩に手を置き、元気を出すよう促すに至り、親睦はいよいよ深まっていく。唐突に、遠くから石宗の笑い声が聞こえてきた。それを聞いた紀伊守、表情を歪めて、
「嫌な嗤い声だ……戸次様もあのような咒師、遠ざけたが良い」
思わず頷いていた備中であった。
戸次隊では露骨に無視され、内田に叱責される事の多い備中だが、以後府内にて隊が解散をするまで、時たま黄昏る佐伯紀伊守と会話をする機会を得、知己を得た。気心の知れた関係が築かれた事で、心の安寧を取り戻すこともできた。ツイてる、としみじみ良き思い出に浸る備中であった。