第138衝 熱雷の鑑連
嵐と雷鳴と血飛沫の夜が始まっていた。
鑑連が身支度をしている間、広間に座り続け、鑑連に扮する備中。また足音が聞こえる。小走りに走っている誰かを識別する間もなく、由布の連絡兵が入ってきた。これが敵だったらもう殺されているかも、と改めてドキドキする備中。
「申し上げます!三ノ丸に侵入した敵勢、油を撒き火を放っております!戸次様におかれましてはこの天候とはいえ、煙には十分に御用心下さい!」
「……」
顔を上げたその兵は、横たわる戸次弟の亡骸を見て、ギョッとするが、備中、得意の物真似で誤魔化す。
「負傷して休んでいるだけだ」
「……はっ」
備中は、他言無用だぞ、という意味合いを、声に込めた。連絡兵と入れ替わりで、戸次叔父が戻ってきた。雷が鳴った。
「殿!状況を報告します!」
戸次叔父から敬意を払われ、これはこれで気持ちいいかも、と不謹慎な備中を前に、
「……鑑方」
横たわる戸次弟の亡骸を見た戸次叔父は自身の兜を投げ捨て、彼に駆け寄った。そして申し訳なさそうな、心底悲しそうな表情で、死者の顔を撫で、しばらくの後立ち上がり、目を瞑り首を上げ、短く哭泣した。
一門の死という悲しみを振り払い、鑑連扮する備中を前に片膝つく。
「申し上げます。戦況は極めて不利!避難してきた遊兵が、混乱を助長させています。城を出る必要があるかと……」
「……」
「殿!」
いくらなんでも戸次叔父を欺く事は、人として出来ない森下備中。沈黙を貫く他無い。
「い、いかがなさいましたか、殿」
「……」
「鑑方の事は……残念です」
「……」
「老いさらばえた我が身が憎いほどです」
「……」
「しかし、この危機を越えねばなりません。このような場所は、殿には似つかわしくない。仮にあの秋月次男坊が、戦闘になると獅子に豹変するのだとしても」
「狐の類だとおもいますがね」
「えっ!」
奥の襖をガラッと開けて、鑑連が出てきた。近くで落雷があったのか、稲光が鑑連を恐ろしげに照らし出す。見れば、身支度は済んでいた。仰天して声が出ない戸次叔父に、影武者備中は目で詫びる。
「叔父上、鑑方は死にました。敵に肉薄され守備を突破されたためです。その原因は様々ですが、我が弟に続き、将兵の命奪い続けるでしょう」
「では離脱を!」
「天候は荒れ狂い、我が陣は暗黒の中で混沌としている。離脱は至難の業となりましょう……棄て去らねばなりません」
「犠牲を……覚悟するということですね」
「殿は叔父上にお頼み申す」
「はい、私にお任せ下さい」
人知れず備中は狼狽える。鑑連は戸次叔父に死んで下さい、と頼み、戸次叔父は承知しました、と答えたということだ。この両名の間でしか達し得ない感情が流れているのだろうか。熟達の武者達の間は、再び放たれた稲光ですら断てない荘厳さに満ちていた。
「離脱は由布が指揮を執ります」
「叔父上」
「殿、ご武運を……備中、頑張れよ」
そして、戸次叔父は退出した。
「備中」
「はっ」
「前線に出るぞ、槍を持ってこい」
「はっ!」
備中は、主人鑑連が槍を振るった姿をまだ一度も見たことがない。自身が槍を振るって戦わねばならないような危機に遭遇した事がなかったためだし、鑑連が勝利を得るために部下を最大限活かす武将だったということでもある。
それがついに槍を手にするかもしれない。鑑連にそうさせただけで、敵である秋月次男坊は大したものだな、と納得の備中。迸った雷光が、意識を現実に引き戻す。
城の内外で戦いが繰り広げられている。鑑連は、虎口付近で迎撃の指揮をとる由布を見つけた。全身ずぶ濡れだが、戦闘が行われている場所の詳細は見えない。月明かりも頼りなく、松明の光も届かない距離のようだ。これでは敵味方混乱してしまうに違いない。
「由布、城を脱出する。この虎口から離脱するぞ」
「……離脱、でしょうか」
「叔父上が殿を務める」
「……承知しました。南の虎口を守る安東にも、指示を出します」
「日が登ればこの混乱も幾らかは収拾できる。その時が好機だな」
「……しかし、敵もそれを狙っているかもしれません。危険が大きすぎませんか」
珍しく鑑連に意見する由布。目の前で敵味方入り乱れ、暗闇を進んだ後、帰ってこない部下もいるのだろう。鑑連の大将としての素質に疑問を呈しているのかもしれない。だが、由布を尊重する鑑連は自身の決断を重ねて伝える。
「ここが豊後国内なら、籠城を続けたがな」
それだけで由布には十分だったようだ。頭を下げた由布は、配下の将兵に命令を出し始めた時、迅雷が空を走った。瞬間、戦場の姿が光に晒された。
「……おお」
あちこちに武者が倒れている地獄の景色が脳裏に焼き付いた備中。生きて帰るため、鑑連へ一切の疑いを挟むまい、と神仏に誓った。
その時、守備の壁に挑みかかってきた武者の群れがあった。鑑連は備中の持つ槍をひったくり、進んで迎撃に当たる。目にも留まらぬ突き出しの連続で、鋭い穂先が敵の体を行きつ戻りつする。武芸百般の噂はやはり伊達では無かった。感嘆の声を上げる武士らを前に、声を張り上げた。
「この通り戸次隊の無敵は今も健在だ!近づいてくる連中は皆殺しにする!近づけば皆殺しだ!」
時宜良く雷光が轟いた。浮かび上がった鑑連の姿はその過激な発言とともに、まさに雷鬼そのもの。城への邪心を抱く連中も怯んだように見えた。鑑連、由布になにやら合図をした後、敵に一喝をくれた。
「臆病者が!それでも武士か!」
雨を避けて置き直されていた松明を戸次兵が高く掲げた。火がゆらめいていくらか光が通ると、鑑連は最前線に歩みでた。下がる敵を素早く、しかし丁寧に刺していく。近習の備中も付いて行かざるを得ない。強い雨が目に痛い。
「続け!続け!」
自分たちの受け持つ戦場の不利を大将鑑連に見られてしまい、さらにそんな自分たちを叱らずに鑑連は最前線に立った。これは武士たちにとって恥だった。急激に士気を高めた戸次隊は、壁の如く前進する。鑑連の近衛を務める事の多い戸次の一門隊が、鑑連に続いて前に出る。
備中は恐怖と感動が交差する不安定な心持ちの中、鑑連の優れた特質を目の当たりにした。勇敢さと無鉄砲、計算と当てずっぽう、味方への軽蔑と敵への評価が共存している。他の国ではいざ知らず、日の本六十六州では、こんな時に最前線に立つ勇者こそが、大いなる弓取りとして讃えられるのだ。
渾身の力で槍を突き出した鑑連が武者二人をくしざしにした時、一際大きく雷が空を舞った。大将の優れた尚武を前に、戸次隊はみな大歓声をあげた。そして、我らが大将は雷神の生まれ変わりだ、と天に叫んだ。
現実的な備中は、鑑連による召雷ではないし、ただの偶然だと認識しきっていたが、それでも配下の将兵は大喜びだ。自分が仕える主人が華溢れる英雄であることへの喜びを、心の中で神仏に告白した。
ひとしきり敵を追い散らした鑑連は三ノ丸内に戻った。武士らの熱狂的な視線を浴びてご満悦の鑑連に腰低く付き従う備中。ふと天が除けつつあることに気がついた。雨が柔らかく変わっただけではないが、待望の夜明けが近づいていた。