第137衝 血糊の鑑連
広間へ転がり込んできたのは、全身ずぶ濡れの男で、備中には見覚えがあった。由布の斥候隊所属で、先に左遷された備中を甲斐甲斐しく世話してくれた端っこい男であった。
「申し上げます!虎口に敵兵と思しき集団が殺到し、戦いになっております!」
鑑連、食事を取りながら問う。全く動揺の色は見えない。
「思しき、とはいかなることか」
「敵兵は吉弘、臼杵の隊を追撃して、この夜須見山城まで到達した模様!」
「す、すると吉弘隊、臼杵隊は……」
「逃げてきた兵ども口々に、奇襲を受け既にバラバラになったと申しております!」
鑑連、食事を続けながら斥候に問う。
「由布、安東、一門らは現在どうしている」
「方々、持ち場で守備を行なっております!由布様は戸次様に警戒を強められるようお伝えせよ、と私を送り出しました!」
「では前線に戻って、由布へ伝えろ。第一に虎口を死守せよ。第二に他の入り口からは決して敵の侵入を許すな。あと、吉弘、臼杵の雑兵どもが逃げてきているそうだな」
「はっ、彼ら一様に動転し、混乱著しいものがあります!」
「この夜討ちでは、敵味方の区別がつかないこともあるだろう。さらに味方を装って侵入してくる輩もいるはず。よって、疑わしい場合は容赦なく斬り捨てろ、それが生きる道だと由布を通じて全員に伝えさせろ、これが第三だ」
「はっ!では!」
飛び出していった斥候。が、彼に一瞥もくれずに鑑連は言い放つ。
「だから当家の武者たるもの、命がいくらあっても足りんというのだ」
鑑連は極めて落ち着いている様子で、そんな己の大将を見て、備中すら落ち着きを取り戻した。
「吉弘隊と臼杵隊は先に攻撃され既に四散しているようだ。現地で踏ん張っている、と期待したいところだが、両隊ともにこの山城より守りが整っていない場所に布陣している。まず突破されたと見て良いだろう」
「そ、それでは……」
「ここまでは大友方、久々の敗北だな。秋月の次男坊もまあまあやるな。幸運にも不足はしていないようだな」
「た、高橋様ご指摘の通りであれば……」
「クックックッ、吉弘臼杵の器量のみでは、手こずるだろうな。それどころか命を落とすかもしれん」
「で、では、殿の出番ですね」
「貴様……何故ワシがあやつらを助けねばならん」
「……」
「答えろ、何故だ?」
「そ、その、以前に私がお伝えいたしました……」
「吉弘に恩を売る、という件か?その結果、今があるのだ。ああ、思い出すだけで、貴様を斬り捨てたくなる」
「……」
「しかし敬意や現実がどうであれ、今回は自力で戦わねばならん。恐ろしいのは敵よりも夜と悪天候だ。人を殺すのは、敵よりも混乱なのだからな」
緊張からか片膝付き、常よりも背筋を伸ばし、指示を仰ぐ備中。
「まず迎撃し、混乱を収拾したのちに予定通り兵を退く、という流れになりますか」
「混乱の収拾を、させてもらえれば良いがね」
「は……」
鑑連、お椀に箸を突っ込みながら、ニヤリと嗤って曰く、
「貴様も覚えておけ。夜討ちは仕掛けた側も破滅する恐れもある賭けだ。敵がそれに出てきた以上、日が登る時まで、敵の攻撃は続くぞ。秋月勢は今、吉弘隊と臼杵隊を撃破して、勝ちつつある。ノッているのだ。ワシらは踏ん張り続けるしかない。この天候では外に討って出られんし、といって今の状況で古処山の攻略は不可能だ」
本当に、落ち着いた様子で食事を続ける鑑連。備中は、主人が緊張動揺していないか、じっくりとっくり観察を試みる。どこか震えたりしていないだろうか。汗は流していないか。だが、焦りの跡は見られなかった。
足音が近づいて来た。今度もまた、味方の姿がそこにあった。
「申し上げます!敵勢、三ノ丸に侵入いたしました!」
備中、悲痛な声を上げてしまう。
「突破されたのですか!」
「いいえ!虎口は安東様が死守しております!城壁のどこからかを乗り越えた敵勢のようです!」
鑑連は、漬物を箸に乗せて冷静なまま言う。
「その敵は由布が迎撃する手はずだ」
「はっ!由布様ご配下衆が対応に向かわれましたが、城内敵味方の区別がつかず、混乱が広まっております!」
「不明はき、斬りすてよと殿がおっしゃられた……」
「備中止めろ」
「あ、その……はっ……」
鑑連が珍しく、声だけでなく備中を目で止めた。それは、味方かもしれないとワカっていて相手に刀を振るえる者ばかりではない、と説くかのようだった。怒っても詮なき事なのだ、と。どうやら遊兵と化した大友方の兵が妨害になることは、想定の範囲外であったようだ。そして、城内に敵が侵入した事は事実。備中も近習としての責務を果たさねばならない。その時が来たのだ、という気がした。
「と、殿……」
「黙れ」
「……」
その声から、夜討ちぐらいでワシが動くワケにもいかん、という鑑連の心の声が聞こえた備中、混沌の中で侍り続けるが正解だ、と口を閉ざすことにした。こんな危機にあるのに、鑑連はいつもの鑑連であった。
また、足音が近づいて来た。それは弱々しく、あちこちにぶつかりながら進んでいるようだ。
「あ、兄上……」
「あ、鑑方様でしたか」
音の主は戸次弟だった。また、ホッとする備中だったが様子がおかしい。戸次弟は目を見開きふらふら進むと、広間の敷居に躓いて倒れた。瞬間、床に血が広がった。
「あ、あ、兄上……兄上……」
「鑑方」
お椀を置き、弟に駆け寄り、体を抱き起こした兄鑑連。
「しっかりしろ」
「敵が……二ノ丸に……」
戸次弟は血に塗れていた。見れば首に骨まで見えそうな傷口があり、止めどなく血が噴き出していた。鑑連は備中が差し出した手ぬぐいで、弟の傷口を押さえ、問う。
「敵は二ノ丸まで入ったか。鑑方、何人始末した」
「は、半数……」
喉に血が溜まり、ごぼごぼ空気の泡がたった。鑑連は弟の頬を撫でながら、低いがしっかりした声をかけた。鑑方は弱々しく震えながら鑑連の手を必死に掴んでいる。
「鑑方、よくやった」
「半数……兄……上……」
「偉いぞ。さすが、ワシの弟だ」
「半数……」
その声を最後に、戸次弟の手から力が消えた。
「……」
鑑連は何も言葉を発しない。そこは兄と、戦死した弟二人だけの場所であった。故に、備中も何も言わない。衰える気配を見せない雨音に、遠く聞こえる悲鳴や絶叫、早鐘の音が透き通って聞こえる。
しばらくの後、鑑連は備中に自分の兜を渡して言った。
「備中、これを被って、そこに座っていろ。誰が来ても、座り続けるように」
いつも通りの鑑連の迫力にいつも通りに押された備中、その通りにする。すると鑑連の愛刀千鳥も渡され、
「すぐ戻る」
そして鑑連は、刀も持たずに、広間を出て行った。備中は、鑑連が何をしに出て行ったか、ワカった気がした。そしてこの場での自分の役割も。
夜須見山城内で戦いが繰り広げられている。思えば、守る側が戸次隊とは近年、珍しい事だ。守勢にある時に、大将の真価が問われる、という話を聞いたことのある備中、弟の死は気の毒だが、これから主人鑑連の本領発揮なのだろう、と期待せずには居られない。
鑑連の代わりとしてここにいる今、敵が来たらどうしよう。代わって戦えるだろうか、近くにある戸次弟の亡骸を見て、自分もこのようになるのかも、と戦慄する備中。
そんな風に一喜一憂していると、音も無く鑑連が現れた。その手には鉄扇が握られ、血糊が糸を引くように滴っていた。
「と、殿!」
「騒ぐな。それでは身代わりにはならん」
ピシャリと会話を閉じる鑑連。どうやら鑑連の負傷による流血ではなさそうだ。となるとつまり、敵の血なのだろう。敵を鉄扇で撲殺したのかもしれない。
「備中、安心するといい。二ノ丸に侵入していた敵はみな片付けた」
その言葉に呆然とする備中。主人鑑連は気が狂的に強いだけでなく、戦闘能力も傑出しているのだ、と再認識した。安心感に包まれた備中、はっと正気に戻る。
「血を拭います」
「馬鹿、座っていろ。自分でやる。その間、絶対動くなよ」
横たえられた弟の顔をしばらく眺めていた鑑連は、奥の間へ入っていった。ふと、戸次弟の顔を見た備中の目には、その死者の口元が微笑んでいるように見えた。