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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
136/505

第135衝 夜嵐の鑑連

 その日、古処山を包囲する大友方諸陣では撤兵の支度がこっそりと開始された。


「さらなる作戦行動のため転進する、と上は言うが……」

「見てりゃ、古処山の連中は弱っているのにな。何故だろう」

「何か、和睦でもなったのかしら」


 こう述べるのは良心的な武者どもだ。もっと人が悪く世情に通じた者どもは、


「安芸勢再来の噂、こりゃ真実だよ」

「そうとも、でなくてどうして兵を引くんだ」

「高橋殿も秋月殿も、命拾いした、ということか」


と噂しあった。そして、そんな彼らはますます帰宅していってしまう。


「というワケで、備中殿。戸次様にはよしなに」

「ちょ、ちょっと!あの、その……ああ、まただよ……せっかく引き留めていたのに。ええと、豊前のあれは誰だっけ」

「備中、何をのんびりしている、支度を急ぐんだ!」

「はい、はい、やりますやります」

「貴様、何という返事だ!」

「はい、すみませんでした、はいいぃ」


 撤退が決まり不安定さが増した戸次弟の金切り声を聞き流しながら、各種業務をテキパキと始末する備中。普段、備中を侮っている諸侍も、こんな時には窓口としての備中を頼りにし、言付けし、去っていく。無論、備中が付けている敵前逃亡組である連中の名簿は、いつの日か鑑連が見た瞬間、閻魔帳になるはずであった。


 戸次隊、吉弘隊、臼杵隊ともに兵を引く場所については小野甥が持ってきていた場所で決まった。筑後川に流れ込む宝満川と小石原川の間に陣を設営し直すのだ。備中、これを戻ってきた安東に伝える。


「かくかくしかじかで」

「……」

「あ、安芸勢が高橋勢と秋月勢を救援に来る事を前提とした布陣ですね」

「……」

「……」

「そうだな」


 嫡男の仇を討てずに引き揚げてしまう。安東は静かに怒っており、近く事もままならなかった。遠くに雷鳴が聴こえたが、安東の怒りが天に届いたのかもしれない、とその心中を察する備中。そこに戸次叔父がやってくる。


「備中、支度はどうだ。こちらは十時隊へは赤司まで兵を動かす事を伝え終えた」

「はっ、ほとんど完了しています」

「夜の篝火は残していくか」


 そこに鑑連登場。残念ながら怒りは収まっていない。


「……」

「と、殿」

「……」


 鑑連は無言のままである。今回の出兵は、鑑連が主導した老中衆の決定によるが、その決定を根拠としているのは鑑連の兵力だけ。吉弘隊、臼杵隊は義鎮公の決定により派兵されている。宝満山城と古処山城を、他国参加の武者が抜けた鑑連の兵力だけで攻略するのは不可能だった。


「……吉弘隊も、臼杵隊も移動の準備を終えているとの事です。明日には動くでしょう。我らもそれに合わせたく存じます」

「……」

「由布、安東、そして十時ともそのような打ち合わせになっております」

「若造はどうした」

「はっ?はっ……、小野殿は負傷し、休んでいます」

「クッ……クッ……クッ……」


 恐ろしく低い声で嗤う鑑連に、一同等しくぞっとする。


「ワシの戦果は、若造をぶっ倒した事のみか」

「……」


 確かにこの戦役、鑑連の面目丸つぶれだろう。だが、最終的に潰す決定をしたのは、義鎮公だ。もう一方の吉岡については、安芸勢が出て来なければ、面子は保たれる。なおの事、主人鑑連の独断専行が批判を受けてしまうだろう。だが、しかし。思わず備中は述べていた。


「申し上げます。この戦役について、宝満山城を放置できないのはワカりきっていたことです。秋月勢の蜂起を促したのは、間者を殺してしまった臼杵様です。これは悪手でした。殿ならより有効な活用ができたでしょうに。よって……その……」


 鑑連ばかりが悪いのではない、と言いたい備中だが、高橋討伐の決断を下したのは鑑連自身なのだ。ここを弁護するのは下僕の備中でも、難しかった。発言が止まってしまう。空からの雷鼓が広間に響く。


「ワカっている」


 しばしの無言の日に、鑑連はそう言った。迫力はあるが、怒りも込められていたが、それは備中に対してでは明らかにないものだった。救われた気分の備中。


「古処山に動きは」

「ありません」

「警戒は怠るな。今日はもう日も沈む。明日に備えてみな休みを取るように」

「はっ」


 やはりさすがの鑑連も意気消沈しているように見える。国家大友の実力者たちの同床異夢は分かりきっていた事とはいえ、ここまで行動に支障があるということは、これまでのやり方に誤りがあるということなのだろう。そして現在の体制を作った一人でもある鑑連が、それを認めねばならないというのは大変な苦悩に違いないのだ。



「……と私は考えるワケです。あなた様がどれほど殿を批判したとしても」


 備中は小野甥の見舞いを口実に、怪我人へ直接反論をしたかった。床に横たわり休息する小野甥も、備中にはさして厳しい当たりはしない。


「備中殿の言葉、よくワカりますよ」

「ならば何故あのような、厳しい言葉を……」

「それは無論、戸次様が占める立場が大友家中で特に高いためです」

「吉岡様や吉弘様、他のご老中と比べて?」

「はい」

「そうでしょうか」

「無論です。戸次様の権威は純粋な軍事的な勝利によって、打ち立てられているのです。宗麟様の立場になって、戸次様を見て下さい。遠慮せずにはいられないでしょう。お互いやりずらいのです」

「そういうもの……ですか」

「宗麟様も戸次様に対しては慎重ですし、言葉を選んでおいでですよ。よっと」


 爽やかに上体を起こした小野甥。


「もう大丈夫です。目眩も治まりました」

「しかし、もう夜です。このまま夜明けまで休まれたほうが……」

「雨が強く降っていますね」

「……そう言えば」


 気がつけば雨音が響いている。


「いつのまにかに……しかし昼間、雷が鳴っていましたから、通り雨かもしれませんね」

「……」

「……」


 雨がますます強くなってきた。


「備中殿なら、秋月種実は何を考えていると思いますか」


 唐突な質問だったが、備中は自然と答えていた。


「父、兄の仇を討つことでしょう」

「怨念を晴らすことですか。安東殿のように」

「嫡男を亡くされたあの方がお怒りなのは、やはりそのためでしょうから。秋月家の人々も恐らくは」

「……」

「……」

「その好機が到来したのは、今かもしれません」

「えっ?」

「憎悪怨念は十分、彼らにとっての敵である我らの動きは緩慢、安芸勢の噂、そしてこの雨」

「……」

「永禄三年の年に、駿河の今川義元公が戦場で首を打たれた時、こんな天気だったのかもしれませんね」

「わ、我が方の守備に緩みが生じていると?」

「戸次様だけではなく、みな意気消沈しているでしょうから」

「!」


 悪寒を感じた森下備中、弾かれたように立ち上がり、走り出した。小野甥の言葉から嫌な予感が脳裏にこびりついたのだ。それも不思議と確信めいたもの。


 走りながら古処山にかかった虹を思い出す備中。天がかけたその橋を越えるのは、もしかすると全く容易ではなく、むしろ大いなる試練として立ち塞がるのではないか。足を滑らせ落下したら命を落とすほどに危険な。


 備中が感じた不安は、顔の見えない誰かがその橋から転落する光景そのものであった。

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