第133衝 振斬の鑑連
ようやく鑑連から任務を賜った森下備中。臼杵への出発の準備を済ませるが、なにやら様子がおかしい。小野甥がいないのだ。どうやら吉弘と臼杵、それぞれの陣へ行ってしまったようだ。
「ああ、せっかくの任務が……」
もう数日経つと、様子が妙なだけではなく、不穏な空気が城の内外に立ち込めはじめた。十時隊の定時伝令が到着したため、鑑連の部屋へ連れて行く備中、戦場から戻ってきた安東と出会う。戸次隊は、小野甥の進言に従い、本陣を夜須見城に置いたまま、様子見で小部隊を城付近へ送り込んでいる。
「安東様、秋月勢との戦い、お疲れ様です」
「備中もな。秋月勢は弓、鉄砲の数が多い。容易には近づけない。十年前の失敗に懲りて、多少は成長しているようだな」
息子の仇を取るため、士気が高い安東だが、不穏な空気には気がついていた。
「何か起こったのか?」
「いえ、私もまだ存じ上げず……」
「もしかして、田原常陸様が呼び出されたのかな」
「もうですか」
だとすれば、田原民部は本気で田原常陸を失脚させたいのだろう。戦争中なのに、こんなことで良いのだろうか。安東、声を顰めて備中に近づく。
「今、その話が敵に知られたら、不味いな」
「し、しかし。田原民部様が本気だとすれば、田原常陸様の召喚を広く流布されるのかもしれません」
「あのお方は、義鎮公から田原家を凌駕し、乗っ取る事を命じられているらしいからな。同じ老中衆でも、仲が良いとは限らず、まして主君の意図が混じっているのなら……」
「しかし、なぜこうも田原常陸様は目の敵にされるのでしょうか。報われません」
「まぁ因縁なのかもしれん」
憤りを示した備中を、短い言葉で慰める安東。安東、備中、十時隊連絡兵の三名が広間に入ると、戸次叔父と戸次弟が大慌てであった。
「大変だぞ。安芸勢が……毛利元就が大軍を集結させているらしい」
「え!」
「親繁様、城内の不穏な空気は、それが原因ですか」
「ワカらん。使者が伝えた内容ではないのだが……この城でも、豊前から来ている武士たちが次々に帰国を申し出てきている」
「自領防衛の為、と言うならやむをえませんが……」
「ふん、いざ安芸勢が到来したら、すぐ先方へ参陣するだろうよ、裏切者どもめが」
吐き捨てる戸次弟。どうやら噂を聞いて、彼自身の精神が不安定になっている。気づかずか、それを更に煽ってしまう安東。
「豊前の衆は吉弘隊、臼杵隊にもおります。連中がみな抜けたら……」
「そうだ、下手すれば我らの兵力が半減する」
戸次弟が悲鳴をあげる。
「こ、ここは引いた方がよいのでは!?」
「落ち着け。誤った噂かもしれん。踊らされてはいかん」
戸次叔父に続き、ようやく戸次弟の臆病発症に気がついた安東、宥めにかかる。
「我らが急に陣をたためば、秋月勢はきっと勢いづき、追撃を仕掛けてきます。それに、包囲戦自体は、我らが圧倒的に有利です。それを捨てるのは余りにもったいない」
「何を言う!私は手こずっていると聞いているぞ!秋月勢は弓矢鉄砲で武装を強化しているのだと」
「は……」
一面ではそれもまた事実であるため、安東はそれ以上の反論を控えた。だが、実戦部隊を率いる実力者安東が言葉を濁らせた、との噂が広まり、これが安芸勢の襲来準備が招いた豊前衆の帰国に加わって、大友方の陣は凄まじい速度で混乱が広まっていった。
緊急の軍議が開かれる。といっても戸次隊においてのみだ。小野甥はまだ戻ってきていない。
「何が起こっている。由布」
「……は。全ての混乱は、安芸勢襲来の噂に端を発しています」
「それは事実か」
「まだ不明ですが、事実ではない、と判断できます」
「何故か」
「……田原常陸様が臼杵へ召還されたのは事実のようですが、安芸勢が本当に襲来しているのであれば、田原民部様も何か手を打つでしょう。弾劾を延期するか、代わりを送り込むか。その様な情報はありません」
「では、豊前からの情報は途絶えたままか」
「……いえ、田原常陸様の御家老が、引き続き状況を知らせています。曰く、変わりなし、と」
「備中、立花からの情報は」
「は、はい!」
備中は復権後二度目の諮問にウキウキしながら、答える。
「依然、変わりなし、です。具体邸に安芸勢の動きは無し、とも伝えています」
「フン、例の件で立花は大友宗家を憎んでいるはずではなかったか」
「あの、その。で、ですが、文面からはその様な感情は見えません。淡々と情報のみが載っています」
「見せろ」
「はっ」
備中は戸次叔父へ文書を渡す。戸次叔父から受け取った立花殿からの文書に、鑑連は目を走らせる。しばらくして、備中と同じ意見に達したのか、
「ではなぜこんな噂が広まった?間者でも紛れ込んでいるか」
「……」
「……」
無言の幹部連に対して、挙手の備中。ふと、こんな時でも躊躇いながらも発言をしてきた過去があるから、戸次叔父は自分を庇ってくれたのかも、と思う備中。
「それもあ、あり得ることではありますが……」
しかし言い淀む。恐ろしい発言に慄いたためだ。
「なんだ」
「あの、と、当方の不和不一致に、兵たちは無感覚ではないという……」
これはどちらかと言うと、臼杵城内で行われた行為への批判だが、鑑連への批判も混じってしまう。せっかく許してやったのに、生意気な、と思われたらどうしよう。だが、鑑連は何も言わなかったし、怒りも示さなかった。それよりも、
「既に詮無きことだ。なら豊前方面は安全だと判断できる。不安を払うために、前進する」
「殿!」
その判断を危ぶむ戸次叔父だが、それを無視するように、幹部連へ宣言する鑑連。
「そもそもワシは秋月勢の謀略を疑っていた。それが無いのであれば、前に出るべきなのだ。それがワシのやり方だ」
「小野の甥御が戻るまで、待ちませんか」
「いつ戻るかワカりません。奴が相手にしているのは、吉弘はまあ平凡としても、臼杵弟は面倒な相手です。時間がかかるかも知れません。よし!決めたぞ!安東を先頭に古処山を登れ!備中、十時隊に対し、安東隊に呼応して山に登れと伝えろ!」
「はっ」
自身に便宜を図ってくれた戸次叔父を裏切るようで心苦しいが、鑑連の命令は絶対である。また、備中自身、大友方最強の鑑連が前進する事で、不穏な噂を払拭できると考えてもいた。由布や安東もその様だった。
戸次弟は特に考えが及んでいないとしても、戸次叔父はそうではなかった。広間を出た後、備中に恨み言を述べたりはしないが、
「十時隊への連絡、少し遅らせてくれ。責任は私が負う」
と依頼してくる。
「親繁様」
「本当に安芸勢は和睦を守っているのかも知れない。今は。だが現に、高橋殿が、秋月次男坊が国家大友に対して戦っているのだ。すぐに片がつけば良い。だが戦火が拡大すれば、本当に出てくるかも知れん。そうなれば……」
「……」
確かにその可能性もあるだろうが、もはや備中の立場ではどうしようもできない事でもあった。が、
「……承知いたしました。十時様への連絡兵を、しばし引き止めます」
せっかく許しを賜ったが、目の前の老武将の熱意を蔑ろにもできなかった。恩義もある。
「うむ、良かった。情報はなんでも伝えてくれ。高橋殿との和睦が成立すれば、秋月など敵ではない。そちらを優先できないか、話してみる」
次の日、安東隊は前進を開始した。戸次の武士たちも、秋月勢と剣戟を交わし始める。命がけの、激しい戦闘となった。
「……」
そして、その翌日には、安東隊の動きを見た十時隊が自発的に古処山攻略を開始した。戸次隊の高い練度が、戸次叔父の期待を裏切ったと言え、鑑連は、備中が十時への伝令を足止めしたことにすら気がつかなかった。