第131衝 転杖の鑑連
「古処山は高いですね。夜須見山の倍はありそうです」
「秋月一族は代々あの高所から、この一帯を統治してきた。それも今年で終わりかもしれないな」
聳え立つ古処山を、戸次叔父と備中は並んで眺める。
「あの山の向こうでは、十時が敵を散々焼き払っているだろう。怒りを込めてな」
「はい……」
戸次隊の幹部達はみな仲が良い、と備中は改めて感じる。安東の倅の死に、皆が自分の事のように悲しんでいる。備中自身も悲しみの念が胸を離れない。武士は戦で死ぬ為に存在しているというのに。同じ感情を感じ取ったらしい戸次叔父は、備中を慰める。
「安東にはまだ倅がいる。大丈夫だよ。十時だって跡取りの倅はいるんだ」
「はい」
故郷で暮らす息子の事をふと思う備中。
「それより殿のお前に対してのお怒りはもう解けていると思ったのにな。なかなかにしつこい、ははは」
「誠に申し訳無く……己の至らなさを……」
「私は心配しているのだ。独断専行型に見えて殿は有用な意見はさほど偏見なく取り入れてくれる柔軟さも持ち合わせている。攻勢一方なのはいいとして、今回ご自身とは真逆の性格の意見を聞いていない。無論、お前の事を言っているのだがね」
「はい……」
「殿がお前の意見を聞かないのであれば、私がそれを伝えるしかあるまい。で、お前はこの戦局、どう思うね」
戸次叔父が示した均衡のとれた考え方にさすが年の功、と感心した備中。それでは、と存念を述べる。
「我らの優位は、秋月勢を包囲する事に成功しつつある、ということです」
「だが不利な点はないだろうか」
「あると思います。戸次隊と吉弘隊の連携が取れていません。それにもしかすると吉弘隊と臼杵隊の連携すらも取れていないのかもしれません。宝満山城攻めで、到着したばかりの臼杵隊が手痛く迎撃された時、臼杵様は内通者を皆殺しにされました。殿は苦笑されていましたが、吉弘様はどうでしょうか。秋月勢を下手に蜂起させた原因になった、と怒っているのではないでしょうか。原っぱや山林の戦いとは異なり、包囲戦となると協力が欠かせませんが……」
「最近姿が見えない小野の甥御が仲介しているようだな。三つの陣を行き来して、仕入れた情報を提供して回っている」
「あ、そうだったんですね」
鑑連の前で、自分は国家大友のために戸次隊に来ている、と宣言した小野甥の言葉に偽りはなさそうだ。
「ではどうするか。お前は高橋勢に対しては、老中衆に迎えて和睦する、と言っていたな。びっくり発言だったから良く覚えているよ。で、秋月に対しては?」
考えた備中。高橋殿の件は安芸勢の悪意の他にも行き違いが存在した。それを解消できれば、と考えていたが、秋月次男坊は違うだろう。国家大友に対する憎悪で動いているに違いない。
ふと顔を上げると、備中は古処山に掛かる虹を見た。
「あ……」
「お、虹か。さっき雨が降ったからな」
それを前にして、恐らく感傷的になった戸次叔父。
「虹とは橋だ。我ら戸次の衆がこの虹を越えて振り返った時、あれは大いなる天道にかかる橋だった、と言えるようになりたいものだ」
備中は意外に思った。鑑連の叔父貴として家中をまとめ、努めて融和的に振る舞うこの人物は、主君たる甥が燃やしつづける野心の途方も無き大きさについて、承知しているかの言いっぷりだと。
さらに備中は、石宗に指を舐められた時に見た光の架け橋を思い出し、戸次叔父の言う通りだ、との思いに至った。備中、意を決して戸次叔父の質問に答えて曰く、
「豊後の敵は、滅ぼさねばなりません」
戸次叔父は少し驚いた顔をしたが、
「そうだな備中。その通りだ」
よく言ってくれた、とばかりに備中の肩を叩いた。その手から、重ねられた年齢を感じた備中だが、勢いも感じた。やはりこの人はあの主人鑑連の叔父貴なのだ、と最近仲良くなれた事を森羅万象に感謝した。
城内に戻った戸次叔父と備中、すぐさま更新された情報が飛び込んできた。
「申し上げます!この先にある谷で、吉弘隊と臼杵隊、秋月勢と合戦に及び、秋月勢を打ち破りました!」
「秋月次男坊を討ちとったか!」
「いいえ!敵将秋月種実引きが速く、重臣らに護られて古処山へ再び逃げ込みました!よって敵の損害は大損害には至っていないものと思われます!」
「そうか……」
大友勢にとっては残念でも、鑑連にとっては朗報かもしれない。功績で上回る者まだ無く、自身にとっての功績が残ったのだから。鑑連の機嫌は良い様子だ。
「叔父上、十時隊が北西の山間部まで来ておりますが、嘉麻郡の秋月勢を徹底的に撃破したとの連絡が来たところです」
「さすが十時です」
さらに戸次弟が嬉しげな兄の功名心をさらにくすぐる。
「功績では、戸次隊が他の将の上を行っております」
「クックックッ、当然だな!クックックッ!」
その上で戸次叔父は積極的な進言を行う。
「殿、我らもさらに接近して、包囲陣を形成しましょう。古処山は確かに厳しい山ですが、かつて攻略している経験があります。吉弘隊、臼杵隊ともに速く攻め落とすかもしれません」
「そうだな……秋月次男坊に秘策があるかとも思ったが、それが城表での迎撃とは、随分とお粗末だったな。 備中、豊前からの報告は変わりないか」
耳を疑った備中。幹部連一同も、同じく耳を疑った。備中、一瞬戸次叔父の顔を見る。戸次叔父は、口元を緩ませ、ゆっくりと頷いてくれた。思わずキラキラ輝かんばかりの笑顔を浮かべた備中。腹に力を入れ、精一杯の回答を喉元にまで送り出した。もはや虎口はそこにある。主人へ届けよう、たぎる思いを。がしかし、
「鑑方、聞いているのだぞ。豊前からの報告はないか」
「ヒィッ」
息が止まった備中、そのたぎる思いは腹部へと去った。
「……」
「……」
沈黙の戸次叔父と戸次弟。
「鑑方!」
取り出した鉄扇を掌に打つけ、轟音で威嚇する鑑連。直立する戸次弟。
「はっ!兄上!あの、その……」
回答が出ない。当たり前だ。この任務は備中の担当だからである。しかし、備中は回答をまだ許されていない。許可なく発言すれば、斬られてしまう。そんな広間の空気を、戸次叔父が嘆息とともに救う。
「殿、先刻あった報告では変わりは無いようです。安芸勢に動きなく、豊前方面は平穏です」
「結構ですな。鑑方、ちゃんと情報は仕入れて置くように」
「はぃ……」
小さな声で呟く哀れな戸次弟へ鑑連は続けて報告を求める。
「豊前方面は良いとして、筑前はどうだ。宝満山を包囲する内田に、変わりはないか」
「はい、何一つ」
「では、ワシらも進むか。叔父上、由布への伝達をお願いします」
「はっ」
と、そこに小野甥がやって来た。
「戸次様、お待ちください。出撃は凶です」
「なんだと?」
「小野、唐突にやってきてなんだ。控えて……」
「いえ、是非ともお伝えせねばなりません。出撃はお待ちください」
落ち着き払いながらも、その言葉には重さがある。広間の一同、若者の言葉を聞く気になった。そして備中の哀しみは、またも忘れ去られた。