第12衝 忍従の鑑連
「小原遠江殿は積極的で果敢な作戦が好きなんですなあ」
「まあ、さほど家格が高いわけではないから、気合入れるんでしょ」
「なんにせよ隈本城包囲陣に活気が出ました。これは夏には片がつきますな」
門壊を繰り返す攻勢側包囲陣には、御大将たる小原様は素晴らしい、の声がこだまする。これが自陣に流れて来るやイライラの発作を起こす鑑連。その被害者は、やはり森下備中である事、戸次家の誰もが認める所である。
「備中!」
「はっ」
「小原の闘いぶりをその目で見てこい」
「はっ」
出発をしようか、という時、また呼ばれる。
「備中、さっきの命令は無しだ。それより敵防御の弱い箇所を探ってこい」
「はっ」
包囲網をグルりと一回りし戻ってくると、
「備中!小原隊の軍功について、なぜ報告を怠った!」
「はっ、ははっ」
「はっはっはっ!」
気の休まることの無い備中には、石宗の笑い声が実に癪に触る。ついに直接苦情を言う。
「はぁはぁ、忙しいんです。疲れるからその笑い声やめてください」
「はっはっはっ!ほら元気だしてくださいよ!」
「ああクソ」
鑑連に忍従を薦めたのはこの男のはず。なのに主人の不機嫌が爆発すると自分が害を受ける。
「こんな理不尽……」
「ですが備中殿。総大将が小原遠江となった今でも、戸次隊の活躍はまあまあではありませんか。佐伯隊などすっかりやる気を失ってしまったというのに」
「紀伊守配下の兵の気持ちはワカります。哀れではありませんか」
「ははっ、これで佐伯隊が功績第一位になることはありますまい。戸次様のお望みの通りというわけで」
「ああ、成る程……」
しかしこの男がそこまで読みきっていたとはとても思えない、と訝しくハゲ頭を眺める森下備中。ふと、テカリの陰に滲む苦労の痕が見えた気がした。
「ま、小原遠江だって戸次様を尊重しているはず。そう、三番手か四番手くらいに。良い位置ではありませんか」
「そうね、そうかも。でも……」
「戸次様の我慢がいつまで続くか、でしょ」
「そうそう。怒りのはけ口にされるこちらは身が持たないよ」
「はっはっはっ!備中殿。それがあなたの大いなる仕事です。それに他に役に立てることなんて、ないでしょう」
さらりと毒を吐く坊主にもはや怒りも湧かない。補足を入れてくる。
「見たところ、戸次様が最も心をお許しになっている近習はあなたなのですからね。せいぜい精進してくだされ」
「詐欺師が何を言う、糞食らえ」
と喉まで出かかるが、我慢して次の仕事に向かう森下備中。
丘に登り全体を鳥瞰する。確かに、総大将が代わって戦場の端々に至るまで、生気が漲ったようだ。
「うーむ、佐伯紀伊守には能力がなかったのか……まあ若いし。壮年の小原遠江守が頭一つ抜けて優れているのか」
今、戦場にいる武将の中で、小原遠江が老中であり家中最上位の一人である事を考えると、この大将にもゴマをすっておいた方が良いのでは、と備中は考える。それを主人の機嫌が良い時に提案してみようかな、とも。
果たしてその機会は訪れた。結果、発生したのは感謝の念ではなく、忿怒の雷であった。爆音が轟く。
「備中、貴様……戸次名字の誇りを一体なんと心得るか!」
無謀にも轟雷に立ち向かう備中。
「で、ですがその、もうこの戦いの功績第一位は小原様で決まっているようなものでは……ならば立ち回りも」
「うるさいぞ。これ以上その話をするならば、我が家から召し放つ」
凄まじいまでの冷たい視線を受け、ふんどしに嫌な感触を覚える備中。
「貴様、覚えておけよ」
それから主人からの叱責が無くなった。同時に、命令や指示が目に見えて減った。これは嫌がらせだろ、と憤る備中に、異変を感じてさすがに心配した石宗が、誰にも見つからない場所でこっそり話しかけてきた。事情を話すと、
「ああ、下手を打ちましたね。それは禁句でしょうに」
「しかし、誰かが言わねばならない話では?」
石宗哀しげに首を振る。
「そんなの誰もが心の中で思っている事なのですから、無論戸次様も同じでしょ。なら言う必要は無かったのですよ」
「うぐっ」
「まああなた、しばらく暇を持て余すでしょうから、そんな時にしかできない事に時間を投じるべきでしょうな、賢くね」
そう言って去る石宗の背中を見て、それならば小原家といつでも誼をとり結べるように挨拶でもしておこうか、と思う備中であった。が、包囲戦が佳境に入るとそのような時間的余裕も無い。
結局、備中は気を回し甲斐なく、主人鑑連も活躍はしたが出色の成果が無いままに城は落ち、隈本城の戦いは決着した。役目のない備中は密かに小原の本陣に近づき、そこで情報収集に熱を上げる総大将のために淡々と役目を果たすだけの主人の後ろ姿を見る。
「戸次殿、菊池の殿は如何されたか」
「金峰山に入り込んで逃げたようですな。有明海を渡り、島原まで逃げるつもりでは」
「そうか。もはや追跡は不要だ。これでこの戦いは終わり。さっさと帰ろうか!」
コイツは位でも戦功でもワシの上をいきやがった。絶対に始末せねば……という闘志のゆらめきを、主人の背中に見た森下備中であった。