第118衝 思倣の鑑連
広間には緊張感が迸る。あの輝ける太鼓持ちの近習筆頭の内田が、鑑連の機嫌を損ねかねない発言を宣告したのだ。自他共に認める鑑連の下僕である内田はその恐怖を前にゴクリと息を飲むが、見ている幹部連も内田がやりすぎはしないか、より一層息を飲んだ。鑑連の厳しい言葉が飛ぶ。
「内田、それはどういうことか」
「殿、私がこれから述べる言葉をお許しください、そしてご忍耐くださいますよう。とはいえ、少し相手の身になって考えてみれば、到達できる内容です。十五年以上も前、周防は大内義隆公の死が全ての始まりでした。義鎮公弟君が大内家督を継ぐに及んでも混乱一様でない大内領内に大友家の力が伸びるにあたって、当時のご老中、田北様、臼杵様、吉岡様の斡旋によって立花山城に立花家は復帰しました。博多の町と関係が深い、数多い城代職の中でも一際名誉ある地位です。その時は立花様の養父殿が当主でしたが、復帰間も無く亡くなられ、今の代になっております。この時の養父殿の死について、詳細は不明です。噂一つ、大友家に処断された、というものがあるだけで、事実は誰も知りません。関係者が口を固くしているからかもしれませんが、いずれにせよ、その秘密を堅守する輪の中に、立花様は入っていないのでしょう。養父殿の後を任されたとは言え、その死を不審に思い調べる中で、万が一にも、かつての一万田ご兄弟のように、義鎮公とその意を受けた人物に始末されたのだとすれば、立花様はそれを恨んでいるのでないでしょうか」
「だが養父だぞ。立花は元々日田の出身だ」
「仰せの通りです。もう一人、立花様の兄君も不行状から日田の地で処断されていますが、立花様の手元に日田は戻ってきませんでした」
「すでに立花家を継いでいたから当然だな」
「しかし、この事も飲み下してはいないのだとしたら如何でしょう。養子に出られたとは言え、ご実家の事です」
「……」
「謀反の理由など、推測するだけ無駄ではありませんか。ある人にとってはそれが謀反を起こすに値する理由であっても、別の人にとっては取るに足らない、という事もあるはずです。事実は一つ。その後、立花様は義鎮公に謀反の疑いを持たれ、養父、兄と同じく一度処罰を受けているということです」
「なるほど、確かに処罰後なら尚更、立花も大友家に含む所があるだろうな、備中」
「はっ」
急に名を呼ばれた備中だが、真剣に内田の話に聞き入っていたため、動揺しなかった。
「最近、立花からの私信は頻繁に来ていたな」
「はい。騒動の直後は途絶えておりましたが、最近は事に」
「内容は」
「はっ……博多の衆の噂話などがほとんどです」
「クックックッ、ゴミのような情報に代わったか。なるほど微妙な変化は間違いないようだな。内田、では高橋も同様ということか」
今の内田は輝きを放っていた。改めて話し始める。
「はい。高橋様も十数年前に、大友家によって兄君らを殺されております」
「一万田兄弟の死を願ったのは義鎮だがな」
「高橋様はご兄弟の死後、惣領を……つまり今の橋爪様を盛り立てました。同時に義鎮公弟君を補佐する名誉ある立場を得ました。それで兄弟の死を飲み下したのかもしれません。しかし、結果的には遠ざけられ、その間に弟君は破滅しました……それも他国で」
「高橋はその程度のことも飲み下してきたはずだ。宝満山城を任された奴が持つ権力は、高橋の家督と合わせてかなりものだ。何が不満というのか」
「そこはやはり、謀反の理由を問うても仕方がない、という話しに行き着いてしまいます」
鑑連と向かい合う内田の背後で、備中がおずおずと発言する。
「た、高橋様はご老中になりたかったのではないでしょうか」
「どういうことか」
話の舵を内田から奪った事に気が咎めつつ、
「そ、そのお話の折、一万田惣領は滅びました。惣領を継ぐ資格のある一万田ご嫡男が、それを許されず橋爪家を継承したためですが、これは一万田の名を汚して懲らしめる目的があったはずです。高橋様も一万田武士。この上で高橋様が老中となれば、彼の望む人物に一万田家の家督を与えることができたかもしれません。実家が着せられた汚名を晴らす事ができた。ですが今回、老中となったのは、田原民部様でした。兄君の事件があったとは言え、長年筑後を抑えているその功績は比類無きものと言えるのに。そして、強い権限を持っているとは言え、今の高橋様には家名を雪ぐ方法が無い。もしも高橋様が、この状況に絶望したのだとしたら……」
「田原民部がここで出てきたか、クックックッ。だが、如何にもありそうな話ではある」
苦笑する鑑連に、備中から舵取りを取り戻さん勢いで質問を投げかける内田。
「備中、高橋様は老中職を希求していたのかな」
「前に殿と高橋様が会談の場を持たれた時、そのような印象を私は持ちました」
「確かにそんな話を振った事を、今思い出したぞ」
内田は嘘くさく合点がいった、とばかりに鑑連に向き直り平伏した。
「では、高橋様に老中の地位を提供すれば、この物騒な噂は噂のまま終わるかもしれません」
「これまでの先例では、老中衆は六名までとなっている」
備中、鑑連の視線を感じたため、急いで懐から虎の巻を取り出し、広げる。内田からの強い嫉視も感じる。
吉岡長増 筆頭、万事担当
戸次鑑連 粛正担当
田原親宏 豊前、水軍担当
臼杵鑑速 筑前、筑後担当
志賀親度 豊後南郡、肥後担当
田原親賢 義鎮公担当
「この中の誰かをクビにして、高橋にその地位を与える、ということか。備中、誰がその候補に上がるか」
鑑連は鉄扇で自分以外の名前を一つずつ突きながらの質問、備中は不本意ながらも、恐らくは、と前置きして曰く、
「今、田原家からはお二人出ております。そして、田原民部様は義鎮公が強く望まれてご就任されました……」
「なるほど、田原常陸しかおらんな」
絶句する幹部連。そのまま、無言が広間を支配した。ややあって、
「吉岡邸へ行ってくる。内田、ついてこい」
「はっ!」
花咲く笑顔で立ち上がった内田。主従は広間を去って行った。その後、誰ともなく話し始め、
「内田もただ留守にしていただけではなかったんだなあ。立派な解釈だった」
と口々に鑑連の前で直言を控えなかった勇気を褒め称えた。それまでこの手の立場を独占してきた備中、心に悔しいものを感じるのであった。




