第117話 予覚の鑑連
「おい備中、戻ったぞ」
「はっ、おかえりなさいませ」
しかし振り向いた先に立つ声の主は主人鑑連ではなく、その顔を見て備中驚きの余り大声を上げる。
「ああ!左衛門!」
「何だその声は」
「いやあ驚いたんだよ、一年以上振りだな、元気だったか」
「ふっふっふっ」
「ともかく上がって。全く何処に行っていたんだか。広間にみんなを集めるよ」
「と、その前に、殿にご挨拶をせねばならん」
「一拍遅れたな。殿は先ほど登城された。たった今出られたばかりだから……まぁゆっくり帰ってくるのを待つがいいよ」
「そうもしてられないのだが……まあそうしよう。遅かれ早かれ、殿にお話せねばならんことには違いないからな」
含みを持たせた話し方をする内田に、更なる嫌味を感じる備中。よく見ると他にも成長の跡が見えなくもないが、精悍さだけは確実に身についていた。備中は内田のお椀に湯を注ぎながら、鑑連からどのような命を受けていたか、聞かずには入れなかった。内田はあっさりと明かして曰く、
「私は殿より、肥前、筑前、豊前、豊後に跨る裏切り者の調査の命令を受けていたのだ」
「……」
「備中、聞いてるのか」
「う、裏切り者?」
怪訝そうにする備中の後ろから、幹部連が集まってくる。戸次叔父、戸次弟、安東、十時である。由布はいなかった。
「内田か。見違えたぞ、元気だったか」
「殿の命令とは言え、ずいぶん長く開けていたじゃないか」
「で、出世はできそうかね」
「それも備中よりな」
大爆笑する四人。途端にむっすりとした内田を見て、まだ立身の更なる先を忘れていないようだ、と安定の懐かしさにホッとする備中。一方で、近年、鑑連から特に重用されている同僚を見て不敵に笑う内田、曰く、
「フン、これから大乱になるのだぞ。そんな軟弱惰弱な表情をしてるようでは、先が見えたな。死にたくなければ、臼杵に留まって事務仕事でもしていろよ備中」
「な、なんだと?」
笑顔のまま老いた目をパチクリさせる戸次叔父へ、内田は宣言するかの如く、
「はい、大乱になります。宝満城城主高橋鑑種、謀反の噂頻りにございます!」
「……」
「……」
「……プッ」
「……」
屁を漏らしたのは備中であった。しかし、妙な空気にはなったのだ。無言で戸を開けて換気する安東に、やれやれ、という口振りをして、扇子で肩を叩く戸次叔父。
「全く何を言いだすかと思えば」
そう言って嫌な空気を追い払おうと努める戸次叔父に追従する戸次弟。
「そうとも。あの高橋殿が……はは、考えられん」
「……」
微笑みながら無言の内田。
「お、おい左衛門」
「ま、全ては殿にご報告差し上げてからにございます。備中、お湯おかわり」
備中もそれなりに地位が上がっていたのだが、内田に湯を注いでしまう。その光景に呆れた様子の十時、安東。が、短気で臆病な戸次弟が食ってかかる。
「おい、出し惜しみはよせ。早く述べよ」
「えーと。まあ良いでしょう。承知仕りました。高橋鑑種殿がすでに安芸勢に付き、国家大友に対して害をなす行動をしている、そういう噂が、筑前筑後だけではなく、肥前肥後にまで広まっているのです。私は安芸勢との和睦が成立したのち、殿より密命を受けておりました。それは大友家に従っているはずの土豪らの中から裏切りの気配が立てば、すぐに知らせるべし、というものです。証拠もあるのです」
「しょ、証拠だと?」
「はい。これはまず殿にお見せするしかありませんが!あっはっは!」
出世が約束されているような顔をする内田。
「何を大笑いしている」
鋭いその声に一同凍りつく。が、内田は相変わらず笑い、
「備中やめろよ下手な物真似は」
「内田、何を大笑いしていると聞いている」
なんと内田の背後に鑑連がでた。いつの間にかの出来事に、たちまち凍りついた内田左衛門尉、椀を落とし、股間をびしょ濡れにしてしまうが、近習筆頭らしく、神速で平伏する。
「殿、お久しゅうございます」
「質問に答えろ」
「は……ははっ!高橋鑑種様ご謀反の証拠を掴み、先程帰着いたしました!」
「ほう」
悠々と上座に腰を下ろした鑑連。それまでだらけていた幹部連、全員が速やかに所定の位置に座る。その家の主人がどれだけ恐れられているか、このような日常の所作でワカるものだ。よって鑑連の家臣団統率は上手く行っているように見えるのだろう、外からは、と無言で独り言ちる備中、関連して思い出す。そう言えば、高橋様の家臣団も統率がとれていたなあ、と。
「見せろ」
「ははっ!」
内田は懐から書状らしき物を取り出すと、それを戸次叔父へ託す。その後、戸次叔父が物品に不審な点が無いか、外見を軽く改めたのち、戸次叔父の手から鑑連へ渡される。
「……」
無言で書状に目を通す鑑連の言葉を、今か今かと待ちわびる幹部連。
「これが事実であれば、次に安芸勢が門司へ押し寄せた時、ワシらは背後から襲われるのかもな」
そんな事になれば大友領国はとんでもない事になる、と独り言ちる備中。統制に優れた高橋勢はきっと精強だろう。が、そんな懸念には御構い無しに、内田が元気よく回答する。
「はっ!さればこそ安芸勢が到達する前に、何らかの処置が必要かと!」
備中、その様子を不謹慎に感じる。
「だが、事実かね?この書状への批判ならいくらでも出来る。まず真贋。あるいは、写しではないのか。写しだとしたら何の為に写されて、出回ったのか。調略の為でないと言えるのか。内容も三年程前の日付のもので、もしかすると当時はそう言った安芸勢から高橋への働きかけがあったのかもしれないが、今は霧散しているのではないか。その間、高橋は大友方であり続けたし、売国行為はなかった。どうだ?」
内容についてはどうやら安芸勢と高橋殿の間になんらかの交渉があったことが記されているようだが、珍しく鑑連の意見が真っ当に聞こえる。が、内田は怯まない。よほど自信があるのだろう。
「仮に、無実が事実であったとしても」
「内田!仮にとはなんだ!言葉に気をつけろ!」
内田を叱りつける戸次叔父だが、内田はそれを無視する。
「そのような書状が出回ること自体が、高橋様の不徳によるものだとすれば、配置を変えることや強力な目付を送り込む事、肝要です……立花様のように」
立花様、と聞いて備中ははっとした。鑑連は既にそこまで考えが及んでいたようで、
「内田、ワシは立花の件は冤罪だと踏んでいる。それを仕掛けたのは我らが主君義鎮だともな」
と自嘲した。内容に顔を伏せた一同を気にせずさらに続けて、
「高橋もそうではないとは言い切れん」
これには流石の内田も、言葉に詰まる。全ては確証のない書状に端を発しているのだ。暫しの無言の後、内田は苦々しく口を開いた。
「立花様の件も真相は闇です。なぜかと言えば……」
そこで言葉を止めた内田。発言して良いのか考えあぐねており、その場にいる鑑連以外の全員が身を乗り出す。言ってしまえ、と態度で促す。皆、お前の見解でもなんでも知りたいのだ。
「義鎮公の弟君が追い詰められた時、大友家に対して向けられた軽蔑を、立花様とてお持ちであってもおかしくはないからです」
備中は、背筋を冷やす風が吹いた気がした。この話、突き詰めれば、鑑連批判につながるだろう。場において、俄かに緊張感がみなぎりつつあった。




