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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
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第116話 惻隠の鑑連

 引き続き吉岡邸。


「……というわけで備中。儂の総論としては、安芸勢に攻めてきて欲しくは無い。ただでさえ様々な難題でもういっぱいいっぱいなのだからな」

「吉岡様の仰せの通り、今の大友領国で戦を望んでいる者は居ないと思います……一部を除いて。しかし、安芸勢としては、大友家が数多くの難題を抱えていることを知ればこそ、これ幸いと戦いを挑んでくるのではないでしょうか」

「さもあろう。だから、せめて外から見て一枚岩に見えていてくれなければ困るのだが……義鎮公にも困ったものだ」

「ご指摘の困りごととは、田原民部様のことでしょうか」

「まあなあ。無論それだけではないが、最近の義鎮公は、我ら老中衆を軽んずるところがあるから、全く仕事がし辛くてかなわん。擁立してやった恩を忘れおって、けしからん話だ」

「よ、吉岡様」

「なんだね、もしや滅多な事は言わないほうがいいとでも、このワシに意見してるのかね」

「……はっ」

「ふん……そなたの主人と義鎮公を擁立してから十数年が経った。月日が経つのは速いものだが、今や義鎮公は、儂や鑑連殿の引退を願っているだろう。いつまでも同じように良好な関係を維持すると言うのは、なかなか難しいものでな。特にその者が、若さから脱皮して壮年の男に至る過程であれば尚更だ」

「ですが吉岡様は、義鎮公が今も信頼を寄せる吉弘様を引き上げられた功労者ではありませんか。吉弘様を信頼されるその心は、きっと義鎮公にも通じているはずだと考えます」

「備中、お前本当にそんなことを思っているのかね?」

「……はっ」

「……なるほど、なるほどなるほど。確かに義鎮公もそう思っていた時期はあるだろう。が、人間はそもそも恩義を忘れやすい生き物で、この面ではイヌにも劣る。それに、どの様な関係にも、やはり期限というものはある」

「で、では吉弘様についてですが、あのお方に限れば、吉岡様から与えられた立身の好機について、恩義を忘れてはいないのでは」

「まあそうだろう。吉弘はそうだろう。が、あれも義鎮公の義兄。血縁と主従で結ばれた関係は強い。一介の爺でしかないこの儂とでは比較になるまい。それを考えると、鑑連殿は凄いな。本当に凄い」

「は……」

「ふふふ、儂が何を讃えているか、教えて進ぜよう。すなわち、臼杵の宮廷では無頼の身でありながら、あれだけの威勢を備えている事実は賞賛に値する。豊後の無敗大将という令名は伊達ではない」

「と、い、いえ。主人鑑連に代わり御礼申し上げます」

「それも負けたら終わりだが、あの御仁には負ける気配が無いな。全く素晴らしい。これからも負けないだろうし、勝ち続ける武門には、勇者が集まるものだ」

「確かに、一攫知行を夢見て戸次の門を叩く者、おります」

「だろうなあ。代理戦争なんて止めて、鑑連殿を伊予へ送り込みたいよ本当に。そうすればあっという間に片がつく」

「あ、鑑連も喜ぶと思います」

「我が吉岡家もなのだが、臼杵家、吉弘家もそういった武勲には恵まれていない、嘆くなり」

「ほ、他に田原様がいらっしゃいます。あ、田原常陸様、ですが」

「はあああ、はあああ」

「……」

「備中、お前は田原常陸から随分と高い評価を受けたらしいな。だが、儂が老婆心から忠告するとしたならば、それは深入りするのは避けるべき、というものになるぜ」

「深入り……ですか」

「そう、田原民部が台頭しつつある以上、田原常陸はいずれ中枢から追いやられる運命にある」

「しゅ、主人鑑連もそう言っておりました」

「じゃろ?もっともそれはお前の主人も同じかも知れんがな」

「……」

「つまりだ。義鎮公は忠実で壮健なる手足が数多く欲しいのだ。残念なことに、鑑連殿は壮健であっても忠実では……ふふふ。儂に至っては壮健でもなければ忠実も怪しまれている」

「は、はぁ……」

「公の近習筆頭としての吉弘がいる以上、その手足は外に求めねばならん。大友家最強の兵団である戸次家には支配のとっかかりがないから、田原常陸を選んだのだ。つまり、腹心を送り込み、これを乗っ取るという作戦だな」

「し、辛辣ですね」

「田原常陸という男も闇を抱えているからのう。誠実で信義に厚いが、そのせいで義鎮公は田原常陸を今ひとつ信頼しきれない。不幸な関係だな」

「それは主人鑑連も同様でしょうか」

「そうだな。鑑連殿は義鎮公の弱みを全て知っているからな」

「そしてそれは、そ、その」

「そうだとも、儂も同じさ。だから義鎮公は儂ら上位の老中が目障りで仕方ないなのだ」

「……」

「はあああ、はあああ」


 面談の中で唯一この刹那、備中は吉岡の顔の中に瞬間よぎった寂しさを、見逃さなかった。老人に有り勝ちな孤独の陰ではなく、理解されない虚しさへの諦めにも似た表情であった。それならば、吉岡は義鎮公への無二の忠誠を備えていることになる。


「……」

「……はあああ」


 この人物も、人知れぬ哀しみを抱えて生きているのだ、と思うと、目の前の人物の見え方も変わってくる。


「……」


 この人物も?いや、主人鑑連はそうではない。そう思いなおす備中。そこが主人鑑連と老中筆頭吉岡の器量の差なのだろう。そんなことを心の奥底で感じた森下備中であった。



「遠慮せずいつでも訪ねて来い。儂もお前と話をしていると気晴らしになる……鑑連殿にはよしなにな」


 この面談の前までは、その不誠実さについて頭に来ることもあったが、日に老いた祖父のような顔を見せた吉岡に対して、備中は密かに抱えていた憤りを綺麗に霧散させられた。


「老いと疲労、そして極め付きの徒労があの方の気力体力を蝕んでいる」


 この日、特に聞きたかった安芸勢への対策について話は及ばなかったが、老中筆頭吉岡ともあろう者が、無策であることは察知できた森下備中。


 早目に切上げて退出した備中を、感謝の笑顔で出迎えた門番の顔を前に、その胸は痛みを感じた。誰もが己の職分を懸命に果たして生きている。それはきっと、安芸勢の面々も同じはずだった。


 自身の顔が凛々しく引き締まるのを感じた備中。その権力の及ぶ範囲に限界を感じている吉岡が最後に頼りにするのは、きっと主人戸次鑑連しかいない。


「侵略に対しては、戦う他ない。その為、殿へもっとご奉公しなければ……!」


 備中はこの言葉を口にして、己を奮い立たせるのであった。

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