第115衝 方略の鑑連
安芸勢が出雲国を掌中に収めた、との報告が豊後臼杵に到達。戸次家でも、家臣団は広間にて額を寄せあい話を交える。
「……ついに出雲勢が滅びた」
「ただの滅亡ではない。山陰山陽八国の所有者だった大国が滅びたのだ。この事実が持つ意味は大きいぞ」
「思えば十数年前、あの大内家すらもあっという間に消えてしまった。今はそういう容赦無い時代なのだな」
「翻り、我らが国家大友は、両筑、両豊、両肥の所有者にて九州探題の地位にある。大内尼子の今日が明日の我らでないと、誰が言えるだろうか」
「殿は安芸勢との和睦をお信じではない。だが、信義の是非に関わらず、我らも何か動かねばならないのではないか。でないと差が広がるばかりだ」
と一様に神妙な顔つきの由布、戸次弟、戸次叔父、十時、安東。出雲勢の崩壊はそれほどの衝撃であり、心の平穏を奪い去るには十分であった。
一方、同僚を訝しく見るのは我らが森下備中。大内、尼子家にしても、その滅亡に際して国家大友が関わっている。半端な支援に連携の頓挫と共闘は未完のまま。そも二つの大国を援助するに足る力を備えていなかったのではないか。なのに、安芸勢は戦う度に力を増している。まさに自業自得である。
「次は、前より厳しい戦いになるのでしょうね……」
思わず独り言ちた備中だが、みな同感の様子で、
「下手すれば、門司城を突破してくるかもしれん」
「突破してくるさ。連中の目指すところが博多の町であれば必ずね」
「もはや東に邪魔者はいない。そんな安芸勢が博多の資金を手にしたら、この豊後はどうなる」
「……」
「……」
安芸勢はかつてない大勢力となり、国家大友は未曾有の危機に晒される。数限りない裏切りや疑心暗鬼の中、大友家臣団は壊滅するかもしれない。
「博多を抑えられたら、おしまいだ」
誰かがふと呟いたその言葉は、その場にいた全員の心に沁みた。では、そうしない為に何をするべきか考えるべし、と幹部連は考えを巡らせる。
「そう言えば……そもそも立花様の裏切りの話、あれは事実だったのですか」
十時の言葉に、鈍い反応を返す戸次叔父。
「証拠は何もない。だが、義鎮公ご指摘の一件だ」
「もはや起こってしまった事の是非を問うても致し方無いでしょうが、立花山城をそのままお任せしておいて良いのでしょうか」
「その後城内に吉弘様の家臣が入った。立花様の思い通りには行かないでしょうが」
そのやりとりに嫌な予感を覚える備中。立花殿の無実は広く信じられていても、この仕打ちを恨み、来たる安芸勢来襲の際には本当に裏切るのでは……この懸念も広く信じられているのではないだろうか。備中、不吉を打ち消しにかかる。
「で、ですが、南の太宰府方面には高橋様が駐屯されています。問題は起こり得ないのでは……」
安東が真剣な顔で、
「備中、誰も立花様が不埒な考えをお持ちだとは言っていないよ」
「は、はい」
「……」
沈黙が広がる。しまった、逆効果だったか。
「まあ……」
と戸次叔父が言葉を選びつつ口を開く。
「備中の言う通り、高橋殿は要も要の要所抑えているのだ。北の博多、南の筑後、どちらで不都合があっても、直ちに対処できるようにな」
「高橋殿が動員できる筑後勢は万に及ぶ。謀反して万の敵と戦いたい者などいない。立花様の一件も証拠はなく、ただの誹謗中傷に過ぎん」
「そうとも。立花殿、高橋殿のお二人がいればこその筑紫の平安だ」
座が明るくなり一安心の一同である。と、思い出したように、十時が別の話題に触れる。
「そう言えば近年、その西の肥前では騒動が多発しています。佐嘉勢の跳梁です」
「私も聞いている。肥前衆の苦情受付先は吉岡様だ。あの方が睨みを聞かせているはずだ」
「それにあれは少弐勢旧臣の共食いだろう。筑前筑後に波及しなければ問題はない」
戸次叔父と戸次弟は肥前への警戒は全くしていないようだが、安東と十時は後背の地域が安芸勢と戦うに適切か否かを危ぶんでいるようにも見える。
「吉岡様は御多忙なお方だ。外交に内政に。それが、評価されるべき内容かは知らんが」
この話題は戸次弟のそんな皮肉で終わりそうだ。それだけに尚更、噂話だけでなく当の本人が何を考えているか、知りたくなる。近頃、吉岡家とはご無沙汰でもあった。
吉岡邸。
いつもの門番が立っている。ぎこちなく接近を図る備中の不審な挙動から、すぐに話しかけられた。
「久々だな備中殿、どうした」
出たとこ勝負の森下備中、慎重なつもりで会話に臨み、
「主人鑑連の使いで、吉岡様に御目通りをと思いまして……」
自分と門番の仲だし簡単に入れてくれるさ、という備中の浅い目論見だが、通らない。
「うーん、急には難しいな。最近殿は多忙の身でね……ちなみに戸次様はなんと?」
「い、出雲勢が全滅したことによる門司の防衛に関することどもです」
「それは重大な用件だ。しかし、今日は難しいな。日を改めてくれ」
「承知しました……」
がっかりな備中。容を崩しざっくばらんな世間話をふっかけ攻略の緒にしようか、と考えていると門番の兄が小走りにやってきた。
「戸次様のお使者。殿がお会いになるそうだ」
「えっ」
門番の顔を見て尋ねる。
「よ、よろしいので」
ひょっとこ風に顔をしかめた門番曰く、
「殿が良いと言っているのなら。だが、最近の殿は多忙が過ぎているのだ。余り長くならないよう、配慮してくれよ」
「ワカ、ワカりました」
館に上がると、応接の間ではなく、奥の間に通される。そこには火鉢の前で丸くなっている犬のような物体があった。
「備中……」
物体が声を発した。なんと吉岡だった。
「お、御目通りありがとうございます」
「はあああ……廊下から姿が見えたのでな」
なんだかしわがれた声であった。確かに疲労の色が見える。思えば十数年前に初めて挨拶をした頃からとびきりの老人だったのだ。老中筆頭とはもしかしたら大変な激務で、健康を蝕んでいるのかもしれない。
「儂と鑑連殿の間柄だ。余計な配慮は無用として、何用かね」
鑑連からの用事があったワケではないため、申し訳ないことしたな、と己を恥じる備中。だが、もう来てしまったのだから、と開き直って曰く、
「しゅ、主人鑑連は、吉岡様が門司表についてどうお考えか、気にしております。つまりまた安芸勢がこちらへ矛を向けた時、場合によっては門司どころか、博多でも戦になる恐れがあるのでは、と。そこでご老中衆の筆頭者たる吉岡様のご判断を仰ぎたい、と常々申しており、おります」
吉岡は一気に喋った備中を笑い、
「なるほどなるほど、お前は今日、鑑連殿の用事ではなく、自身の用事でここに来たのだな」
「ギクッ」
「出世したなあ備中」
「いえ、その……」
「まあよいわ、邪心の少ない者にはそれなりの褒賞があっても良い」
「あ、ありがたき幸せに……」
「はあああ、はあああ」
吉岡のため息とも笑い声とも判別し難い仕草から、不機嫌を感じることはなかった。こんな風に声を響かせる爺様、親戚にいるよなあ、と朧げに思いながら、備中は筆頭老中との会話に挑むのであった。