第111衝 先制の鑑連
豊前、馬ヶ岳城(現行橋市)。
戸次隊が到着すると、城攻めは既に佳境に入っていた。先行して送り出していた由布と田原常陸の巧みな連携のため、滞りなく進んでいたためである。
鑑連主従、大友方の陣に入る。ご機嫌そうな田原常陸が笑顔で出迎えてくれた。
「ご苦労、いかがかな田原殿」
「粗方片付きました。戸次殿は良い侍大将をお持ちだ。実に羨ましい」
「役に立ったかね、由布は」
「前線の事は、あの御仁に任せておけば安心だ。手加減も心得ている……城主は降伏の意向を示しています」
「だが既に人質は出していたはず。何かで示しはつけねばならん。人質はもう斬ったのかね」
「いえ、まだ。ここは人質の増員が良いかと。城主には嫡男を差し出させようと思います」
「結構」
その後、城は降伏し、馬ヶ岳城城主は人質を差し出した。それはかつて松山城で人質にした童女と同じか、さらに幼く見える子供だった。鑑連と田原常陸の前で縮こまったように平伏する少年を見て心を痛める備中であった。
「童も童だが嫡男であるのだから文句のつけようはないな」
満足げに承知した鑑連に田原常陸曰く、
「自業自得とはいえ、嫡男を手放すのだ。城主も心苦しいでしょうな……私には嫡男がいないので、その苦しみは想像するしかないが」
鑑連、これに応えて曰く、
「なに、ワシも嫡男はおらんが、子が自分の評価に値するか、具体的には意志を継ぐ資格と、家督を継ぐ能力があるかなど、幼き頃にはワカらんものだ。手放すことに痛痒を感じるまでもないと思うがね。新たに子を作るか、それがダメなら養子を迎えればいいだけのことだ」
「そうなのでしょうが、私はそこまで達観できそうもない」
苦笑いの田原常陸。この陣の主催者として人質の少年と対面し、数語話しかけ、部屋を退出させた。
攻城戦の後始末が始まった頃、臼杵より老中田原民部がやって来た。備中の目にも、余り穏やかではない様子で、前回親しげではなけとも会話を交わした時のような空気ではまるでなかった。
「備中、田原常陸介殿と戸次殿の陣へ案内せよ」
と実に上から目線。やっぱり嫌なお方だなあ、と笑顔の備中。
彼がこの陣に来る事はある程度想定されていたのだろう。故に、鑑連も田原常陸も、
「これは田原民部殿、遠路ご苦労」
「これは田原民部殿、遠路ご苦労」
と階調等しく全く同じ言葉を重ねた。だが、こもった感情は異なるように備中には見える。
「殿には侮りが、田原常陸様には不快が」
独り言ちた備中の前で、鑑連と田原常陸が宗麟様のお言葉として、と苦言を述べる田原民部にやり返す。
「宗麟様は、この戦いが安芸勢との和睦をな蔑ろにするものでないかと、ご心配されています」
「何の事かな。ワシが得た情報で、馬ヶ岳城に謀反の話があったため、早急に火消しをしただけのことだ」
「その通り、安芸勢は全く関係がない」
「その情報も、宗麟様が吉岡様によくよくご確認されたところ、精査されたものではありませんでした。馬ヶ岳城主へも、ここは穏便に対した方がよろしいでしょう」
その発言を軽蔑したように、
「は、は、は。もう片はついた」
と、田原常陸が言い放つ。さらに、
「情報については、私や戸次殿がすでに精査を終えている。相手側の非は間違いのないところ。詫びを入れたからこそ、人質を差し出したのだ」
「……」
無言の田原民部に対して、
「それに立花山城の事もある。吉弘殿が攻め、そなたが丸くまとめた立花殿の件で、謀反の疑いの情報がしかと精査されていたとは、私は聞いておらん。が、そなたが精査したのだろう。誰も文句はつけなかった」
と辛辣な批判を加える。成る程、他の人々の目にも、立花殿への圧迫はそのように見えていたのか、と安心した備中だが、これでは田原民部と田原常陸どちらにも非があるように見えてしまう。
「哀れな立花殿は傷心だ。本当に裏切ったりしないように、そなたも引き続き注視していかねばなるまいよ……この馬ヶ岳城は私の担当領域だから大丈夫だがね、は、は、は」
いつになく攻撃的な田原常陸にびっくりしてしまう備中。ふと主人鑑連を見ると、田原常陸の圧力にやや瞠目しているようでもあったが、備中の視線に気がついた時、愉快そうに笑った。
「クックックッ」
「は、は、は」
五十代で老練で経験も豊富な二人が、一回りは若い田原民部が伝える主君の言葉をあしらっている。陣中に嗤い声が不気味に響く。
一方の田原民部も負けてはいない。主君の無二の協力者としての意識が、名声豊かな二人の武人を前にした自身を支えているようだ。
「ご両者がそう仰られるのであれば、宗麟様もご安心でしょう」
「義鎮公もとい宗麟様がご懸念されているような事は、そなたが説明して不安を解いて差し上げるべきだ。老中としてな」
「ともかく宗麟様のお言葉はお伝えいたしました。その他、裏切り者の情報は?」
一瞬、言葉に詰まった鑑連だが、
「一様ではないが無論あるさ」
「喫緊でないのであれば、これに続く戦は無いようですな。良かった」
とニッコリ。不快に感じたのだろう。鑑連は小さな悪鬼面とともに、端に控えていた備中へ命令を下す。
「備中、田原民部殿を由布の所へ案内いたせ。この戦いの解説を聞いてもらおう」
「そうですな。もう片はついている。どうぞごゆるりと」
と、田原常陸も続く。
二人とも酷く不祥な表情である。主人鑑連はともかく、田原常陸もこんな顔をするのか、と嫌な顔一つせずに退出した田原民部に対して好漢度が上がった気がした備中。どうやら自分は弱い側に好意を寄せてしまうようだ、と自嘲する。
由布は既に撤収の手配を終え、前線の陣は整理されつつあった。田原民部はその様子をみながら、由布の丁寧な解説に耳を向けている。ある意味馬鹿正直なその振る舞いに、
「殿も田原民部様とは仲良くした方が良いのだろうが……無理かな」
この前、鑑連との話の中で、義鎮公は老中の権威を奪い、自身のそれを高めることを狙っており、吉弘や田原民部はその手先となる側近だ。仲良くするなど、夢まぼろしでしかないのだろう。
数日後、全ての片をつけた大友方は、陣をまとめて撤収を開始した。結果を見れば、謀反勢を鎮める事となり、この出兵は大成功に終わった。
「よう、若造」
ある日、備中はバッタリ出会った石宗より、短い滞在で終わった馬ヶ岳城の陣について、珍しく話題を振られた。
「戸次様と田原常陸様の軍略の冴えは相変わらずだったか」
「若造なんてやめてください。私には子供だっているのに」
「ははっ、いいから教えろよ」
「すぐに決着がついたのは軍略の冴えもあるでしょうが、守る側の準備が全然だったからかも……」
「ほう……では立花殿の時と同じように、讒言による濡れ衣かな」
「えっ!」
「おいおい。まあ、そういう噂もあるという事だ。だが、立花殿と馬ヶ岳城主では、重要度が全然比較にならんがね。そういえば、田原民部殿が軍監として飛んで行ってたが、一悶着あったか?」
「いえ、それほどは……苦言を伝えられてはいたようですが」
「そうか、田原民部殿も慎重だな。宗麟様の意を全ては伝えなかったか……当然だがな」
「?」
「よーし、たまにはおもてなししてやる……つまりだ備中。今回、都の将軍は陪臣の家老に殺害された。義鎮公が既存の老中たち。警戒するのも無理ない事だ。次は自分かも、と。いまや大友家は、九州の将軍家のような立場だから。殺されたり利用されたりしないよう、側近を刷新したいと望むのは、人情さ」
「それが田原民部様と何の関係が?」
「若造が!話ぐらいしっかりと聞いておけ!」
怒って去っていく石宗を呆然とみる備中だが、自身の情報元を失うわけにもいかない。主人鑑連も石宗を利用せよ、と教えてくれた。媚びへつらいの声を出しながら、ハゲ坊主を追いかける備中であった。




