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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
110/505

第109衝 空知の鑑連

「備中!はっきりと言え!」

「と、殿には慈悲が欠けているのです!」

「なんだそりゃ!」

「人のことを深く思い、大切にする心持ちです!」

「貴様、ワシに説教をするつもりか!」

「ととととと、殿には慈悲が欠けているのです!殿には慈悲がない。慈悲がないのです。決定的に慈悲が無い!」

「そんなものいるか!」

「人は殿を無慈悲なお屋形と言います!」

「無慈悲で結構!」

「ですが主君に対してそれではそりゃ嫌われますよ!ある意味で吉岡様と殿は似ています!吉岡様も謀略のためなら徹底的に無慈悲になられる方です!」

「貴様良い度胸だ!ワシをあんな妖怪と一緒にするとはな!」

「つ、続けます!無慈悲なご老中に指導され嫌気がさした義鎮公は、殿の代わりに吉弘様を、吉岡様の代わりに田原民部様を重用されている!そしていずれ、古きお二方……」

「古きとは良くぞ言った!死にたいらしいな!」

「し、しばらく!今しばらく!お、お二方を隅に追いやり、ご自身の指導の下に大友家を牽引していくおつもりでしょう!義鎮公の狙いはこれです!義鎮公がそうなられた原因は、やはり殿に負うところ……大!」

「結構結構結構!あの鼻垂れがこのワシを遠ざけようと言うのかね、クックックッ!」

「こ、これまでにも、田北様と臼杵様が戦場でお亡くなりになり、殿と吉岡様がこの大友家を引っ張るようになってから、義鎮公は幾度もお二人を遠ざけようとしてきた、と考えられませんか!義鎮公の行動は全てその一念によって貫かれているのです!ワカって頂けましたか?!ワカって下さいよ!お心あたり、あるでしょ!」

「む……」

「ぜえぜえ……」


 息をつかせぬ両者の攻防は波動を発している。故に戸次邸の者たちは丁々発止には気がついていても、部屋を覗きに行く事はない。死にたくないからだ。


 鑑連の様子が変わった事に気がついた備中、低声に語り出す。


「はぁはぁ……事ここに至っては、殿は新なる道を探し出さなければなりません。義鎮公の運命はこれまで、家督に相応しい血筋の人々をほぼ皆殺しにしてきました。それは結果として、自分以外に変わる者のない環境を作り出しているともいえますが……」

「義鎮には嫡男がいるではないか」

「ちゃ、ご嫡男……御曹司は田原民部様の手の内でございましょう。伯父君に当たるのですから。さらに、家族の愛に飢えている義鎮公は、必ずやお子様を甘やかすでしょう。忠実な御台所に、将来の希望である御曹司。彼らを盛り立てるのは、協力を惜しまない親戚たち。ありがちな父と嫡男の葛藤はここには生じ得ないのでございます」

「……」

「……」

「先代義鑑と義鎮の間にあった葛藤は、先代義鑑の絶対権力に由来したものだがな」

「今の義鎮公は絶対権力者とは言えないでしょう」

「確かにな、義鎮の次男坊はどうだ。父と同じ道を辿るとは考えられないか」

「殿、お考え下さい。ご嫡男は生まれながらにして、国家大友の予定された総帥です。下位の何者かが戦いを挑んだとしても、勝機はありません」

「ふむ……」

「そしてなにより、国家大友を築き上げた功労者は殿ご自身ではありませんか。義鎮公と対決をするという事は、殿ご自身の過去と戦うことと同じです。かつての殿、由布殿の影、若かりし頃の幹部一同……一筋縄で行く相手ではございません」


 だんだん調子に乗ってきた森下備中。存念の結晶とも言うべき言葉を吐き出せた気がしていた。妙にスッキリしていると、しばらく無言だった主人鑑連からの言葉が聞こえた。


「いずれワシが遠ざけられるは宿命か」

「はい」

「吉岡ジジイも遠ざけられるが運命か」

「はい!」

「狡兎死して良狗烹られ……」

「いいえ、安芸勢は健在なのに殿は遠ざけられるのなら、白起及び鄧艾に倣う事を想定するべきです」

「ほほう、貴様が白起と鄧艾を口にするとはな」

「はっ!」


 この時ほど、多少は明の古典を学んでいて良かったと、己が功徳に染み入った備中。かつてない程の喜びがあった。


「……」

「……」

「いいだろう」

「あ、ありがたき幸せ……」

「貴様が述べた事、これまで考えないでもなかった。篤信がいったわ。だからワシはワシの運命を探すことにしよう」

「ご明察恐れ入ります」

「だが一つだけ言っておくぞ備中」

「はっ」

「ワシにも思いはあったのだ。それが貴様が主張の慈悲と言うものなのか、それとも義鎮が求めた感情なのかはさて置いてな」

「殿……」

「……」

「……」


 途端にしんみりとしてしまう備中。ああ、主人にも人の心があったのか、と感動して顔を上げた瞬間、そこには真っ赤に熱した鬼瓦のような悪鬼面が君臨していた。


「それがあの穀潰しめが、許さんぞ!覚悟しておくがいい!クックックッ!」



 数日後、田原民部の老中就任が発表された。空席となっていた六人目の老中である。これで大友家の中枢は、


 吉岡長増 筆頭、万事担当

 戸次鑑連 粛正担当

 田原親宏 豊前、水軍衆担当

 臼杵鑑速 筑前、筑後担当

 志賀親度 豊後南郡、肥後担当

 田原親賢 義鎮公担当


という顔ぶれとなった。新参の田原民部は最下位の老中だが、義鎮の親族であっても大友血筋ではない唯一の老中となった。血を共有しない老中は、数合わせ担当を立派に果たした雄城殿以来である。


 この人事以来、義鎮公は寄合や会合に頻繁に顔を出すようになる。その場には必ず田原民部が付き添っていた。


「義鎮公はようやく安心して万事を託せる人物に高位を与える事が出来たのかな。思えば君主と言え、自由では無いな」


 だが自由でないのは老中衆も同様である。田原民部の老中就任は、現任老中らに影響を与えないではいなかった。普段は平気な表情を崩さない筆頭吉岡は寄合の後、鑑連に耳打ちをすることが多くなったし、田原常陸に至っては、露骨に田原民部を避ける始末。


 鑑連は鑑連で、義鎮公の名を前面に出して政務を行おうとする田原民部と衝突はしないまでも、面白うはずがない。


 有力老中がこれでは、残る臼杵及び志賀が田原民部と親しく出来るはずもなかった。武士は権威には服従しなければならないのである。孤立した田原民部はさらに義鎮公と密接な関係を求め、義鎮公もそれを歓迎した。


 よくないことの前触れでなければいいなあ、と鑑連について動くことが多かった備中は、寄合の空気の悪さに辟易しながらも天に願うのであった。


 天。天と言えば、天道を説くあの男だ。石宗は田原民部の抜擢をどう考えているのだろう。戸次家は天道に祝福されていると、しきりに主張するあの男だが、備中の見立てでは、戸次家は分水嶺に来ているようにも思える。義鎮公に首を垂れるか、引き続きの強気路で行くか。そこを越えたら、もはや水の流れは後戻りできないはずであった。


 石宗の館の門を叩くも、備中はけんもほろろに追い返されてしまう。


「それがしは忙しいのだ。とっとと帰れ。時間が出来たらまた遊んでやるよ」

「そんな……最近の老中衆の動向について関心はないのですか」

「やかましい!」


と、追い返されてしまう始末。といって戸次家中の幹部連とこんな話はできない。無理にしたとて、想像や期待の意見から一歩も出たりはしないだろう。今の備中が求めていたのは、筋道の通った今後の見通しであったのだ。


 多少はそういった話が期待できる内田は現在主人の命を受けてあちこちを飛び回っているらしい。石宗邸の閉ざされた扉の前で、まんじりとした気持ちを抑えるしかなかった備中。



 そんなある日、豊後臼杵に特大の情報が飛び込んできた。曰く、京の都において、将軍家の動乱が発生し、当代の将軍が殺害された、という驚愕の弘報であった。

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