第10衝 鬱屈の鑑連
「おい備中、先生。次行くぞ」
「はっ」
「はっはっは!」
竹迫城から人質を取り降伏を受け入れた佐伯紀伊守は、大友方の大将として堂々と肥後の平野を進む。そして目的地、隈本城での再会を約して、諸将は解き放たれたように散らばっていった。彼らは道中の館や村を脅し、恭順を強制し、言質を取り、金や食料、人質を積んでいくのである。奪われる側には、泣くための眼しか残らない。
道中、戸次隊の森下備中に話しかける阿蘇のあらくれ。
「おい、戸次の小姓」
「ん?私?私じゃないよね」
「おいすっとぼけるな。お前しかいないだろうが……戸次の殿様、なんだか元気がないねえ。どうしたよ」
不躾な言い方にイライラしながらも、
「ああ、ご自身が主役でないと、なかなかね……」
「くっくっくっ、ワカる、よーくワカるとも」
こいつ、なんなんだろう、と流石に不愉快極まった備中。といって激発できる性格でもない。が、意外な事に無礼そのままのあらくれは別れを告げに来たのだった。
「まあ後は頑張ってくれ、わしはこれで失礼するから」
「はっ?隈本攻めまで付き合うんじゃ?」
「一度案内したし、すでに先遣隊が隈本城に着いている。役目は完了だよ」
「なんとまあ不真面目な……」
「それにわしはここから南の地に領地がある。御船って土地さ。肥後南郡の衆に備えてそちらに入らねばならん。だからここまでだ。戸次の殿様にはよろしく伝えてくれ」
「自分で言ったら?」
「必要あんのか?佐伯紀伊守には伝えてあるよ。ではな」
投げやりにそう言い放ったあらくれは、進路を左に切って去っていった。
阿蘇家の部隊が離れたことを主人に伝える備中。返って来た言葉は、
「ふん、知るか」
うーむ、不機嫌が続くな。備中自身の安全を図るためにもなんとかしなければ。主人の機嫌を良くするための方策を石宗に尋ねてみるも、
「はっはっは!しばらくは我慢でしょ」
と問題にもならない。やきもきしている間に隈本城に戻ってきた。包囲戦が始まった。
「備中殿、ご覧なさいあの平凡な布陣を」
「平凡……佐伯様立案の包囲網がですか?」
「他に何があるんですか」
不機嫌丸出しに言い放つ石宗。この坊主にしては珍しい。
「紀伊守はこの包囲戦も竹迫城でやったようにたっぷり時間をかけるつもりではないですかね」
もはや敬称すら省略した石宗に同調するのは武士の恥、と礼節を維持したまま備中存念を述べてみる。
「ここに至るまで我ら飽田・詫摩両郡の城や村を改めましたが、多くの兵糧や兵は既に隈本城に運び込まれたものと思われます。これだけでも長期戦を覚悟せねばなりませんが、肥後南郡衆の動きが思ったほど活発ではありません。彼らは彼らの報酬を得ることができれば、菊池の殿がどうなろうと拘らない、そういう判断もできるでしょう」
「ほうほう!……で?」
挑戦的な石宗の視線に、やや緊張しながら説明を続ける備中。
「つ、つまり長期戦になろうとも確実に城は落とせる。それであれば被害も少ないやり方で、豊かな肥後国を義鎮様に進呈するおつもりなのでは?」
腕組みをして頷いていた石宗、カッと目を見開き、
「なるほど恐らくそうなのでしょうな。しかし、その場合、戦の功績は誰のものに?」
「それは無論……」
佐伯紀伊守が最大の殊勲者になるだろう。
「それを他の諸将が見過ごすと思いますか?森下備中殿。もう一手、二手先を読まねば」
ムッとする備中に石宗は、
「ほら、ご覧なさい」
そう言って示した方向には主人鑑連が立つ。包囲戦を視察しているが、さほど機嫌が悪くない様子。
「これは奇妙な」
ついつい口走ってしまい、照れながら発言を訂正しようとする備中に石宗は言い放つ。
「あの短気な戸次様がちょっと機嫌がよくなっている。つまり、何か良い方向に物事が動き始めているのですよ」
「良い方向に? なにが?」
「ふふん、直にワカるでしょう」
包囲開始から一月後、本国豊後より使者が来た。大いなる噂とともに、包囲陣に激震が走る。
「クビ?」
「佐伯紀伊守がクビなのか?」
「クビじゃない。新しい大将を任命する、というわけだ」
「じゃあ、クビじゃないか」
「クビじゃないよ。消極的な戦い方に若殿が痺れをきらしたってだけさ。現に、佐伯殿は陣には残るのだから」
「若殿も短気だね。次の大将は誰かな」
「戸次殿が有力じゃないかね」
「使者としてお越しの小原遠江守様が書状を預かって来てるそうだ。これから発表があるぞ」
噂を聞き、浮き足立った森下備中。すぐに自陣へ向けて走り出す。
「ここ!ここだ!おべんちゃらの機会はここにこそある。ここで言わねばいつ言うのだ。なんて言おうかな!殿!ついに殿の時代が! が良いだろうか。天はやはり見ておられたのですな、いやこれでは石宗好みになりすぎかしら」
主人の乱暴なる振る舞いに四苦八苦しながらも、不思議とその出世は喜ばしいもの。飛び跳ねながら自陣へ飛び込んでいった森下備中だが、そこで不機嫌極まった主人の鬼瓦のような顔を見る羽目となった。