第107衝 泰然の鑑連
筑前、立花山城。
「ぜい……ぜい……た、立花様、お目通りが叶い恐縮……いたします」
「戸次家からの急馬とはそなたか、備中。久しいが、何かあったのかね」
急な早馬、戸次家家臣、森下備中、という三つの単語で、立花山城の武士たちは備中を広間へ通してくれた。宛転たるこの流れ、どうやら戸次家は立花家中において日頃邪険にはされていない様子、と立花殿安定の見栄えする袴を見ながら感じ入る備中。
と、同時に、やはり佐伯紀伊守と対面したかつての日を思い出す。あの時、佐伯紀伊守は珍しく嚇怒して感情をむき出しにしたものだ。立花殿もやはり同じようになるのだろうか。
「備中、一体どういうことだ!」
「はは!」
「な、なぜ!なぜ私が謀反を起こしたことになっているのだ!」
「はは!」
ああ、やはり同じようになった、と天を仰ぎたい気持ちの備中。佐伯家ではこの後、迎撃の話が家臣団から沸き起こった。果たしてここでは如何か。
「馬鹿な……宗麟様には二心なくお仕えしてきたのだぞ!」
「はっ!」
「第一、私が一体全体何をしたと言うのだ!備中、そなたも見ただろう!大友の旗は、この立花山城に確かに翻っておるだろうが!」
「はい!ですが、豊後では大友の旗を降ろし兵を挙げた、という話が頻りにございます!」
「根も葉もない噂……中傷だぞ……」
立ち上がって激怒していた立花殿、よろよろと後ろに下がると、尻餅を着いた。家臣団はみな不安そうに立花殿を見ている。しばし無言が広間を支配する。立花家の家臣団はどうやら佐伯家のそれより、血の気が少ない様だ。備中、鑑連の意を述べてみる。
「主人鑑連は、具体的にどのような波瀾が起きているのか、調べるよう私に命じました」
額を抱えたまま、立花殿は苦し気に述べる。
「博多を攻めたわけでもなし、大友方の城を攻めようとしたわけでもなし、安芸勢との和睦が成立してからは、ここで情報収集をしているだけだぞ」
備中の知る限りこの主張は正しいはずだ。豊前路から嘉麻郡、穂波郡、鞍手郡を抜けてくる道中、村々は平穏そのもの。立花山城のある糟屋郡でも兵馬の匂いは無かった。無実を主張する立花殿に同調したい備中だが、主人鑑連の言葉が足止めさせる。すなわち、先入観を捨てよ、という言葉だ。今更だが、どういう意味だろうか。
沈黙してしまった備中へ、立花殿はすがるように質問をする。
「備中、教えてくれ。どのようにすれば良いのか」
「そ、それは……ご容赦ください。私にはワカりかねます」
「それでは何のためにここまで来たのだ。考えるのだ。どうすれば兵火を免れ得るかを」
その言葉に飛びつきそうになる備中。だが立花殿は続けて、
「言っておくが、申し開きのために臼杵へ参る事は出来かねるぞ。今この状況下で行けばどのような目にあうか、知れたものでは無いからな」
備中は、国家大友が支配下の諸侯に対しこれまで行ってきた所業がどのように受け止められているか、なんとはなしにワカった気がした。戦国の世、豊後国内でさえ、大友家督と老中衆で権力を巡る綱引きがある。公平な裁きなど期待する事は出来ないのだ。立花殿のような高位の武士であっても。
考えがまとまらない備中。つい、平凡な意見が口をついて出てしまう。
「このままでは討伐隊がやって参ります。申し上げましたように、吉弘様の部隊がすでに向かってきています」
要は亡命を選択しやすいように水を向けたのだが、
「もしもあくまで当家と戦うと言うのであれば、戦うまでのこと……!」
なかなか威勢の良い発言である。派手好みの立花殿が武威を示すと様になるものがあるが、家臣団はどうにも乗り気ではない様子。裕福な博多近くの生活に慣れて、圭角が失われているのだろうか。備中、焦って曰く、
「立花様、お考え直し下さい。かつて佐伯紀伊守様は、敢えて戦うことを良しとはせず、国をお離れになりました。結果、佐伯の地は戦火を免れました」
「では備中、そなたは私に立花山城を捨てて逃げろと言うのか」
「いえ……その……」
当然、そこまでは言えない備中。平服しながら立花家臣団の空気を伺うが、伝わってくるものが無い。これは……佐伯家の時とは異なった流れで、戦いにはならないかも、と感じる備中。
「罪があるならまだしも全くの無実なのに、なぜそのようなことをせねばならないのだ、馬鹿馬鹿しい」
そう吐き捨てた立花殿。しばしの沈黙の後、冷静さを取り戻した様子であった。その質問が、
「備中、戸次殿はなんと仰せだ」
というものだ。正直に答える備中。
「この度の事変、不審な点があると申しておりました」
「では戸次殿は私の味方となってくれるだろうか」
これはちょっと甘い考えではあるまいか。その為、ここでも正直が正解と判断する備中。
「申し上げます、主人鑑連の考えを、しかとは存じません。しかし、これまで共に戦ってきた仲。主人鑑連は立花様のご不幸を望んではいないはず。ですがこの度、義鎮公のご対処あまりに速く、老中衆も後手に回っています」
ふと余計な発言をしてしまった気がした備中。討伐を指揮しているのが義鎮公で、老中衆は制御に苦心している、となれば、聞いた側がどう判断するだろうか。もはやこれまで、と決心してしまうのではないだろうか。
気まずい沈黙の中、立花家臣が急ぎ広間にやってきて大声で報告をした。
「申し上げます!豊後からの軍が現れました!すでに太宰府あたりまで達しています!」
「規模はどれほどか!」
「およそ一万!」
「という事は、筑後で兵を加えた……高橋殿も討伐に参加しているという事か!」
「馬鹿な……速すぎるぞ……」
動きが速すぎる。誰もが感じた事であった。つまり、仕組まれていた事ではないか。だがもしかしたら安芸勢の仕業ではないかもしれぬ。という事はつまり……。
「籠城の構えに入る」
ついに立花殿がそう言葉を発した。とりあえず腹は決まったようであった。
「この城は兵糧も兵力も十分に収容できる。一万程度の兵力に囲まれても、一年でも十分に戦えるだろう。籠城が長引けば、安芸勢も動くかもしれん。そこで和睦をするのだ」
立花家臣団は主君の決意をいまだにぼんやりと聞いている。まだ現実感が無い様子であったが、立花殿が叫ぶと、
「何をしている!急げ!」
弾かれたように準備に取り掛かり始めた。無理もない。恐らく、立花殿の代では初めての籠城戦なのだろう。と考えていると立花殿は備中へ城の外へ出る事を命じてきた。
「戸次殿のご厚意には感謝する。我らこれより籠城するが、誤解解消を諦めたわけではない。よって、森下備中。そなたには急ぎ戸次殿の下へ戻り、我らが無実を伝えてほしい。そしてその証の為ならば人質も差し出すとな」
「……はっ」
備中が哀れみに満ちた視線を投げかけたためか、立花殿は軽く笑って、
「大丈夫。この城は易々とは落ちない。それよりも、東の宗像、南の秋月、筑紫勢などが妙な動きを起こすかもしれない。その事にも留意することだ、頼むぞ」
「かしこまりました。主人鑑連にはしかと伝えます」
「ではさらばだ……また後日、必ず会おう」
備中の今回の役割は隠密である。よって、吉弘隊と接触する必要は何もない。接触したとて、軍事行動を止められるわけでもないのだから。
博多にも寄らず、左手に吉弘隊が進むのを遠目に急ぎ豊後への道をひた走る備中、不思議と心は揺れ動いてはいなかった。




