時
今僕が、寝ている間にも時は過ぎている。
よくよく考えてみると、
とても不思議なんだ。
孤独な僕は、いつでもそんなことを考えていた。
ベッドから起き上がり、重たい体を二本の足でやっとのこと支え、立ち、歩き出そうとしているこの瞬間。
あなたは、君は、あの人は、何をしているんだろうか。
勉強してる?仕事してる?
僕がどうでもいい、当たり前なことをしている間にも、世界中では動き出している。
まるで、僕のことを置き去りにして行くように。
時の歯車は、ギシギシと歪んだ音を立てて、絶えず廻り続けている。
見えない何かも動き出している。
前世で死んで、輪廻転生を繰り返し、今いる僕に、君に、あなたに、何ができるのだろうか。
いつしかの、食べかけの黒い林檎は僕達に囁く。
『オマエハ、何ガシタイ?』と。
僕等はわからないでいる。
進んでいく時の中に、学芸会の草の役のように、ただ佇んでいるだけ。
いつしかの、黒い果実を食べ、死んだ姫が言う。
『ワカラナイノナラ、死ンデシマエバイイ』と。
そう言うわけではない。
わざわざ、廻る廻る輪廻の狭間で、僕があなたが、君が、たまたま、偶然選ばれたのだから。
意味があると、僕等は信じているから。
ただ、たまに、見失ってしまう人がいる。意味を探し出すことを、嫌がり、逃げて、自分で自分を殺めてしまう事がある。
だから、死んだ姫に従順な人間もいると言うことだ。
でも、確かに逃げ出したくなる。
苦しくて、辛い今日から逃げ出したくなる。負け犬だと、笑われても構わないから、今さえよければそれでいいからと、考えてしまう時も、確かにある。
それは、人生の通過点であって、何の問題も無いことだ。その時にしか感じることのできない、いつしか忘れてしまう感情は大事にして置かないとね。
長い時間、孤独でいた人は、誰よりも強い。孤独な人程、こう言う感情を抱く人が多い。友人や、家族から愛され、何不自由なく育った人程、抱くことが少ない感情だ。
逃げ出したい今日がある、あった人程強くなれる。
例えば、親に、死んでしまえと言った事があって、自分で後悔することができた人程強くなれる。
負けを知って、後悔を知って、孤独を知っている人は誰よりも強くなれると思う。
あくまでも、これは個人的な考えであって、個々に感じたことや、反感も多いことだろう。
流れていく時の中で、その瞬間の中で、僕が、考えた、たった1000文字ちょっと程度の意見。
読んでくれてありがとう。