僕の話
今日も、来る日来る日、僕は憧れている。
あの人に、憧れている。
そうなりたい。僕も、あぁなりたい。
でも、まだ幼すぎる僕には何もできないでいる。
雲の流れは早いもので、
同じように、時が流れてくのは早い。
いつの間にか1日が経ち、いつの間にか一ヶ月が経ち、いつの間にか1年が経ち、あっという間に歳をとる。
明くる日明くる日、悲しさが増えていく。
日々、憧れの心が膨張して行く。
考えることは、毎日一緒。
憧れのあの人のこと。
友達がほしいな、とか、友達同士で馬鹿をやっている人をみて、いいなぁと思ってしまうこと。
如何せん、人との関わりを得意としない僕は、よく話す、一人の友達がいない場合は一人であった。
帰る時は、その友達も他の子と帰ってしまうから、何時ものように俯き、一人で歩いてた。
前の方から、甲高い笑い声が聞こえてくる。
なんだろうと、顔を上げてみると、同じクラスの仲のいい女子二人が居た。きっと、どちらかの家にそのまま遊びに行くのであろう。
普通にコミュニケーションがとれる人は、友達も沢山いて、その中でも特に大事にしたい友達がいて、そんな人にとっては、そのまま遊びにいったりすることは当たり前なのであろう。関係をより深める為の行動で有る、それは、当たり前なのかもしれないけれど、僕には当たり前じゃなかった。
病気という病気でもないが、僕には障害があった。
まず一つ目は、マルファン症候群というもの。僕の場合は、骨格、外見に以上をきたしていた。幼い時から、痩せており、指や手足が細長く、背骨の曲がりが目立つなど、他にも症状はあるが、こんな感じだ。
人からは、羨ましい、だなんて言われるがそんなことはない。スタイルがいいだなんて言うけれど、そんなことはない。この、外見、容姿は自分のコンプレックスだと感じている。
二つ目は、高機能自閉症(アスペルガー症候群)というもの。
自閉症とは違い、知的障害を除く障害である。
症状は色々とある。
人間関係であったり、言葉を話すこと、
騙されやすさ、言葉の裏の意味理解、
限られた領域に関心をもち、熱中したり、、
まだまだ症状はある。知りたい場合は、調べてもらいたい。
コンプレックスが多すぎて、僕は僕が嫌いだった。
一つ例にあげるとするなら、人間関係。
頭の中のボキャブラリーでは、たくさんの言葉が浮かんでいて、その言葉もしっかり繋がっているはずなのに、いざ言葉にするとなると、全く出てこない。人との会話も、一言二言で終了。沢山話したいのに、うまく話せないせいで友達が少ない。それでも、話の合う人は居て、慣れると饒舌になれる。不条理だ。誰にでも、饒舌になりたかったのに。
極端に、話す人、話さない人がキッパリ分かれている。他人との間に境界線がどうにもひかれていて、距離を縮めることが難しい。
でも、
こんな僕も、変わろうとした。
いろんな係で、人前に立つ仕事をした。信頼を得て、頼ってくれるようになった。話しかけてくれるようになった。人前に立つのは、苦手だ。先生と話すことでさえ緊張するのだ。仕事中は試練との戦い。それはもう地獄のようだった。
だが、その時は、すごく嬉しかったあの感覚は今でも鮮明に憶えている。これで、僕も友達ができるのかな、うまく話せるようになれるんじゃないかなって期待に胸を膨らませて居た。
でも、そんなにあまいものではなかった。
仕事は前期後期で入れ替わるから、また、普通の役職に戻った。友達は...うまく話せるかな、、、...。あれ?前と全く変わってない。
考えてみたら、そりゃそうだった。
その係りのトップになれば、そりゃみんなも頼るし、信頼するし、、当たり前か。
やっぱり、僕自身のこの障害のせいなんだ。
共に共存する他ない。
この障害のせいで、苦労することも多い。
だけど、今のこの世界。不条理な事ばかりのこの世界に、存在する意味、それを受け取って、どう生きて行くのかを見つけるのが、成すべき一生のことなのであろう。意味を見つけていかなくちゃいけない。
憧れのあの人へ、近づきたい。
あの人になる為に、今できる最善を尽くす。
それが、今はこの世界にいる意味なのではないかなと僕は思っている。
もう冬へ差し掛かっているというのに、今日は暖かかった。
日々に感じる気持ち、季節に思う感情、コロコロ変わるこの感情は面白い。これは、当たり前なのかもしてないけれど、その当たり前の中にある、楽しみが僕は好きだ。