(6)
この地はその昔、晴れの国なんてことはなく、むしろ雨の国のようでした。雨がしとしとと降り続けて、いつもほの暗い、そんな地でした。しかしかと云って水に恵まれているわけでもなく、なんだか中途半端な地でした。後楽園が造園されたときもお庭の水をどうしようというコトで、当時から膨大な湧水量を誇る私の家のお庭と地下通路で繋げることになりました。いま、この地に多く存在する用水路が、私の家と後楽園を繋げているという噂があるようですが、そんなことなく、そのいっぽん下で繋がっているわけであります。
と、まあそういう訳で、私の家系はそれが誇りで、どうしたわけか皆に恐れを与えていました。まあこの地を象徴するお庭の水を作り出していると云っても過言でもありませんので、それも分かるように思われますが……
そうして話はちょうどこの地に、後楽園ができた時の、私の祖先の話になります。
雨が降っていました。季節はちょうど夏の終わりで、しかし秋はまだ顔を見せないようでした。夏の忘れ物である大きな雷雲が、毎晩のようにごろごろと家を揺らしていました。
彼は傘をさして、川の横を風呂帰りの火照った体でぶらぶらと歩いていました。その日もごろごろと雷様は喧しく、時に雲の中を暴れ回る稲妻が見えました。川は荒れて、どうどうと大きな音をたて、その川に被さるように生えた柳もざわざわと踊るように揺れていました。
その時、ぴかりと眩しく光ったと同時に轟音が鳴り響き、思わず彼はしりもちをつきました。すると驚くことに、何本か先の柳から煙が出ているのでした。たちまちぱちりぱちりと云う音が聞こえ、火が連なるように、柳を覆い隠しました。雨で濡れていることなんかお構いなしに、火はごうごうと伸び縮みを繰り返していました。彼は腰が抜けたように、がくがくする膝を前に投げ出してその燃える柳の姿を見ていました。ばららと屋根を叩く音だけが現実ではないような不思議な感じがしました。柳が燃えているというのに、そこらの人は雷を恐れて、扉を強く閉めている様でした。
あまりにも雷の音が大きかったせいか、嫌にしんしんとしていました。雨特有のむっとした匂いが鼻に突きました。
どのくらいそうしていたのでしょうか、その匂いに混じって、妙に生臭い匂いがしました。そうしてしんしんとしているなかで、けけけと云う不思議な鳴き声が聞こえてきました。
私は恐ろしくなりました。なにかケモノがここらをうろついているのではないかと……
その恐怖から、云うことの聞かない足を叩いて立ち上がり、ここから逃げようとすると、燃え盛る柳の下に何かいるのが見えました。なんだか少し動いているようで、恐ろしさと好奇心が混じったような曖昧な感情を持ったままそこに近づきました。燃えるように熱く、時に焦げた枝が危うくぶつかりそうになりましたが、どうしたことか、いつの間にか恐ろしさを失ったのでしょうか、気がつくと柳の下で、けがをしているケモノと見つめ合っていました。けけけとケモノは笑いましたが、全身にやけどを負っている様でした。彼はそのケモノを抱いて、家に帰りました。その間中、ケモノはけけけと笑っているのでした。
ケモノは彼のお庭に離され、回復しました。広いお庭を所狭しと駆けました。ケケケと笑いながら。その姿に彼は孫を見るおじいさんの様の視線を送るのでした。
彼がケモノを捕まえたのと同時に雨が少なくなりました。しとしととなんだかほの暗いこの地はそうしていずれ、晴れの国と呼ばれるようになりました。
「しかしどうして雨が止んだのでしょうか?」
私は一息ついている俵藤さんに尋ねた。
「そのケモノが雷獣だったからですよ。ずっとこの地の上で暮らしていた雷獣が落ちて火傷して戻れなくなったからですよ」
「雷獣ですか」
「私ももちろん、信じていませんでしたが、初めて見た時、蔵の中にいる奴は紛れもなく雷獣でした」
「蔵の中にいるのですか?」
「ええ、昔は庭で放し飼いをしていたそうですが、いかんせん噛みつくので、物騒でして。しかし逃がすわけにもいきませんからねえ。俵藤家が担う義務でもありますので」
「なるほど」
「しかし厳密に言えば、蔵の中にいたのでした」
「いた? 逃げられたのですか?」
「ええ。それでこんなに天気がぐずついているのです」
「なるほど。天気がぐずつくのは嫌ですが、まあ雷獣とやらを見てみたいものです」
「見たことあるのではないですか?」
「まさか、ありませんよ」
彼は不意に手を叩いて、ぱんと云う大きな音が響き渡った。私はどきんとして、思わず心臓が止まりそうであった。
「何か御用ですか?」
「珈琲をおかわりで」
店主は再び怯えたように珈琲を持ってきた。怯える店主はおかしかったが、相手が俵藤さんであるから、店主を馬鹿には出来ず、むしろ味方に思われて仕方なかった。
「君は見たことがありますよ」
「まさか」
「あるのです」
「……」
「君の夢日記に登場しているではありませんか」