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夢から醒めない、えいえんに。  作者: 古池 鏡
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 笹船には改良の余地がなかった。長く航海させるコツは、用水路の方にあった。

 梅雨入り前の三日連続で晴れ渡った時を決行の日と定めて、楽しみに待つ。こつこつと作り上げた笹船は百隻を優に超えている。

 その晩、泉さんが私の部屋を訪ねて来た。彼は私のせっせと作った笹船を見て、目を輝かせた。

「……これは凄い、どうやって作ったんだい?」

 私は彼に着くり方を伝授してあげた。そうして彼に用水路での計画を話すと彼は、

「ぼくもやりたい」

 と云った。

「ええ、いいですよ。大学の友人はどうもいけない。それに独りでやるのはツマラナイ」

「ありがとう。ぼくは暇だからちょうどいい。それにこの町はまだ不慣れで良く分からないから、用水路を巡りながら詳しくなるのも悪くない」

 と云った。

 その晩ふたりで、延々と笹船を作った。


 私の書いた「夢日記」を文庫化につき大手出版社が買い取りたいと云ってきた。

 もちろん快諾して、原稿料とやらを頂いた。

 「ところで、現在は何か書いていられるのですか?」

 と編集者に聞かれて首を振る。

 「もしなにかアイデアや小説ができあがったのなら、どうぞお持ちください」

 と彼は名刺を置いて帰った。

 それからノートを前にして、三時間以上ぼーっとしているが、何も思いつかない。

 心機一転しようと行きつけだった喫茶店に勇気を出して入ってみると、店主に笑顔で迎えられた。

「君のおかげで大繁盛だよ、ほらこれサービスね」

 と彼は私の卓子の上に珈琲を二杯置いて、にやにや笑っている。

 私はその二杯の珈琲を、彼が見ている前で一気飲みして帰路についた。


「君は僕のどこが好き?」

「声が綺麗なところ」

「なるほど、じゃあ僕が声を失ったら別れるんだね?」

「ええ、もちろんよ」

 男は口に指を突っ込んで、にやにや笑っている。

 女はそれを必死になって止める。

「辞めて、……私からあなたの声を奪わないで」

 女の悲痛な叫び声が公園内を反響する。

 むしゃくしゃしている私は、そのふたりの目の前に近づいてじっと見た。

 彼らは急に黙り込んで、男は口に手を突っ込んだまま、女はそれを止めている格好のまま、何処へ去った。

 満足して振り向くと、子どもたちが不思議そうに私を見ている。


 やっと三日間晴れが続いたその日は、雲が重々しく空に覆い被さっていた。私たちはお互い一隻づつ、お気に入りの笹船を千以上ある中から選び出した。

「君はどうしてその笹船?」

「この船頭の鋭さが、どんな波も苦にしない様な気がして……、泉さんはどうして?」

「船底にあたる部分の、笹の主脈が太いので、これは頑丈な船だよ」

「なるほど」

 アパートの前の水路から船を走らせることにした。用水路はここ最近の晴れで、予想通り水かさが減り、優しく流れていた。

 しかし空を見上げると今にもばららっと屋根を震わせるほどの、大粒の雨が落ちてきそうであったので、急いで始めなければイケナイ。

 私たちは揃って、水の上に笹船を置いた。笹船は最初くるくると回っていたが、直に水の流れのままに走りだした。用水路は広くなれば狭くもなり、まっすぐ進むこともあれば、くねくねと進むこともあった。時に用水路に落ちている石にぶつかって、笹船が大きく揺れることもあったが、無事に切り抜けた。

 先に沈没したのは泉さんの笹船であった。

 水路の底の深さが違うのか、滝のように激しく流れている部分があって、そこでバランスを崩した泉さんの笹船は、その上にのしかかるように流れる濁流に揉まれて、一枚の所々が破けたただの笹に戻ってしまった。

「あれまあ」

 と泉さんは間抜けな声を出した。

「沈没してしまいましたね」

「きっとぼくには乗り物が合わないのだと思う」

「この後どうしますか」

 どうしようか、と云いながら泉さんはついてきた。

 辺りに私たちを除いて人がいなかった。ただそこには私たちの足音と、水の流れる音だけが聞こえていた。

 用水路の反対側にぽつりぽつりとある商店はどうしたことか、今日は閉まっていた。気がつくと後ろについてきていた泉さんは遥か後ろで、老婆と話している。

 目を細めて見ると、それはいつかの入れ歯のお婆ちゃんであった。泉さんを待とうか迷ったが、笹船を見失ってはイケナイと彼らに背中を向けて歩き出した。

 曇っているせいか、用水路の水は澱んだように汚かった。ふいに何か黒い影のような物が水の中を横切ったように思われてはっとした瞬間、ばららという屋根を叩く音とともに大粒の雨が落ちてきた。ついに降ってきたかと思って空を見上げると、雲の中で稲妻が躍った。水路に目を移すと、笹船は跡形もなくなっていた。あの黒い何かに喰われたのだろう。

 雨に降られながら家に帰った。


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