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夢から醒めない、えいえんに。  作者: 古池 鏡
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(1)

 バスに乗ると、私の前に乗っている、マフラーを首にこれでもかと云うほど巻いたお婆さんが何だか笑っている。口をもぐもぐと動かして、懸命に笑いを堪えているように思われる。私は目を逸らす為に進行方向に目を向けると、ちょうど振り向いた運転士さんと目が合ったように思われてはっとした。そうしてその運転士さんを以前にも見たような気がするのである。

「お婆ちゃんは、何がそんなに可笑しいの?」

 私の隣に座っている幼い少女がふいに聞いた。その隣に座っている父だと思われる人が、驚いて、お婆さんに必死に謝っている。お婆さんは良いのよ、良いのよとでも云うように、顔の前で手を振っている。そうしてまだ笑いを堪え続けているのであった。

 私は自分の顔に何かついているのではないかと不安になった。しかし、いまさら確認するのも癪であるので、ぶすっとお婆さんの顔を眺めていた。

 するとお婆さんは顔を真っ赤にしてなんだか怒っているようである。私の顔をきっと睨めつけたまま、しかし笑いを堪えている。彼女は突然立ち上がって、運転士の方へ歩いて行った。何か運転士と話しているようだが、その声は聞こえない。私がそちらの方を見ていると、再び振り返った運転士と目が合った。彼はお婆さんの話にいちいち頷いている。私は、そろそろ彼が前を向かなくては危なくないかと不安でそわそわした。

 バスが停まったが、そこは停留所ではなかった。お婆さんが一人降りた。

「なんで停まったの?」

 いつもこのバスに乗って停まる所を知っているのか、少女が聞いた。

「気を悪くしたのだろう」

「どうして?」

「入れ歯を懸命にはめ直している所を、お前が笑っているとか云うからさ」

 と父と思しき人が笑って云った

 私は成程と、自分の勘違いが可笑しく、吹き出してしまった。不思議そうに皆が私を見ている。私は次の停留所で慌てて降りた。

 降りたあと、運転士が隣の部屋に住む泉さんだということを思い出した。


 大学の友人から、寝ている時に見た夢を書き記していると、いずれ気が狂うらしいという話を聞いたので、やってみようと皆の前で決意表明したが、その日の夜から急に夢を見なくなった。しかし臆病風に吹かれて辞めたと思われたくないので、夢のような話を毎日せっせと書き溜めた。

「続けてるかい?」

 友人が聞くので、

「もちろんさ。しかし一向に気が狂いそうにもない」と云うと、

「君じゃ実験にならない」と笑うので、夢と云う名の下で書いた物語を、投げつけてやった。友人はそれを読んで、げらげら笑っているので、殴ってやった。

 次の日が大学に行くと、その話が広まって、私は気が狂ったように思われてしまっていた。だが、面倒なのでそのままにしている。


 行きつけの喫茶店に着くと、その日はちょうどお休みであった。扉に閉店中という板が風に揺れながらかかっている。それが強風でひっくり返って、開店中になってしまった。

 私はどうしたものか迷った。もし直している最中に店主が帰ってきたら不審がられる。しかし直さないのも気が咎める。私はうろうろと悩んだ。悩んでいるうちに遠くから店主が不審そうに見ていることに気がついた。私は引き攣って裏返った高い声で、

「風で、板が、ひっくり返ったもので」と説明しながら板を指さすと、もう一回ひっくり返ったのか、閉店中になっている。

 私たちはしばらく見つめ合った。

 店主が板を開店中にした後、店に入った。

 私はそれをひっくり返して、家に帰った。


 どういう訳か、私の夢日記が、学生会館で販売されている。そうして売り上げが良いらしく、アパートの郵便受けに金の入った茶封筒があった。

 私はそれを見て、喜んでいいのか、曖昧な気持ちになった。


「君は僕のどこが好き?」

「声が綺麗なところ」

「なるほど、じゃあ僕が声を失ったら別れるんだね?」

「ええ、もちろんよ」

 男は口に指を突っ込んで、にやにや笑っている。

 女はそれを必死になって止める。

「辞めて、……私からあなたの声を奪わないで」

 女の悲痛な叫び声が公園内を反響する。

 遊具で遊んでいた子どもたちが驚いて、彼らをじっと見つめている。

 私は滑り台の上で、そのシュールな光景を、声を圧し潰して笑っている。


 行きつけの喫茶店に入ることができなくなったが、帰り道なのでいつも前を通る。その日、ぶらぶらと歩いていると、喫茶店の中の店主と目が合った。男は私の顔を舐めるように見て、にたにたしている。腹が立ったので、彼の目が逸れたうちに、開店中の板をひっくり返すと、しかし開店中のままであった。驚いて店内を見ると、男は片方の手で私を指さし、もう片方の手で腹を抱えていた。私は悔し涙を零しながら帰路についた。


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