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5話

「ねぇ、かおちゃん」

「何」

「……あんな趣味だったの?」

「殴られたいのか、そうかそうか。ほら、頭出せ」

「嘘、ちょっとやだ、嘘だって! いやー、手離してっ!」


 握り締める朝日奈の手首を投げ捨てるように離した俺は、同時に悪態も吐き捨てて早足に進む。

 ああ、らしくもないなと思っていたよ。やけに素直に黙り込んでいたなと思っていたよ。きっとその時、こいつの脳内ではあらぬ妄想が繰り広げられていたのだろう。ちっ、やっぱり連れて行くんじゃなかった。


「半分死んでるかおちゃんはすり抜けられないんだから、あんまり強く握らないでよぉ……」


 朝日奈は手首を振りながらぼやいていたが、俺は無言で歩みを速める。死者は扉など物体だけでなく、人間までもまるで弊害なくすり抜けられるらしい。全く超能力者みたいな存在だ。とても死んでいるとは思えない。

 まあそれも、半死状態の俺には通用しないらしいが。これもくだらない半死半生の能力。


「なぁ、朝日奈。高月のやつ、今どうしてるか知ってるか?」

「高月君?」

「今夜、ちょっと会いに行こうかなと思って」

「今日は誰かに会いに行ってばかりだね」

「状況が状況だからな」


 辺りに学生の姿が増え始めた。午前最後の講義が終わったようだ。そろそろある程度の言動は慎まないと。


「高月君か……しばらく会ってないしなぁ」

 朝日奈はうーんと人差し指を顎に当てて考える。

「いや、別に知らなかったらいいんだけど」

「そうだなぁ……火川君辺りなら、もしかして何か知ってるかも。彼ならつい最近見たよ。女子大の前でうろうろしてた」

「何してんだよ、あいつ……」


 幽霊なのに捕まったらどうすんだよ。身分証明をしたら、役所かどっかから死亡証明書か何か出てくるんじゃねぇのか。まあ例によって霊により、手錠も牢屋も障害にすらならないが。というより、もとより姿は見えないか。

 そんなのは今はどうだっていい。


「だいたい夜中は河川敷にいるよ。火川君、この辺りなかなか離れないからほんとよく見かけるんだ。今日も多分、河川敷にいるんじゃない? 捕まってなければ」

「縁起でもないことを言うな」


死んだ者に縁起、だなんてなかなか痛烈なブラックジョークだと思う。


「授業さぼるの?」

「さぼらねぇよ。事の深刻さもまだよく理解してねーし、何より今日の講義はあいつと一緒なんだ」

「ああ……なるほど。じゃああたし、先に帰ってるね」

「俺の部屋に帰るんじゃねぇぞ」

「えー」

「高月か火川に会ったら言っててくれ。俺が探してるって」

「仕方ないなぁ……」


 と言いながらも朝日奈が講義に同席しないのは、やはり『あいつ』が次の講義に居るからであって。先月の事件であいつと朝日奈は俺を経由して知り合ったのだが、どうやら朝日奈があいつを苦手としているらしい。

 俺からすれば腐れ縁のような存在の人物だから、今更何も違和感は感じないが、朝日奈だって死んでるけど人間だ。苦手な人物がいても何ら不思議ではない。


「じゃあね」

「家出る前に部屋写メったから、何かが少し動いているだけでもちゃーんとわかるからな」

「すごい念の入れようじゃん!」


 ――と言うわけで。

 何だか午前中がいつも以上に長く感じてしまったが、迎えた午後。

 講義のある大教室に向かいながら、今回の話の整理を脳内で始めていた。

 土御門にはあいつが言っていたことをそのまま話しただけのようなもので、実際自分での考察をろくに試みていなかったのだ。土御門に話してからの方が何か情報が得られるかもしれなかったので、その後に思案しようと、そんな風に思っていたのだが、案の定たいした情報はなく。


「吸血鬼のよう……か」


 首筋なんて咬んだりして、一体何をしていたのだろうか。とは言いつつ、俺にはおおよその予測はついている。同じ箇所に傷を負っているのだから。似たような現場を、俺は一度だけ見たことがあるのだから。

 死者の持つ、非日常的で、非現実的で、非道な力――それはあまりに残忍で凄惨で、情など微塵たりともそこにはない、そんな力。

 吸血鬼のように人間を咬み、血も体液も記憶も能力も全て――『吸い取る』。そうして外見はその人間の姿となり、全てを受け継いだ死者はその人間として余生を生きる――。まさにその現場。あいつが遭遇したのは、まるでドッペルゲンガーが本物の人間を殺しに来たかのような、そんな場面だったに違いない。

 土御門も同じ見解だっただろう。だから俺は彼女に頼ったのだ。事態の真偽の調査も含め、もしそうならば、俺一人ではどうしようもない問題なのだから。


「もう巻き込まれんじゃねーぞ……汐子」


 雨木汐子(あまぎしおこ)

 俺が散々あいつ呼ばわりしている、腐れ縁とも呼べる幼い頃からの馴染みだ。汐子とは、高校は別々になったのだが大学になって再会、そして先月の事件の発端人物となって今に至る。


 とは言っても、彼女が言い出した不可解なことが始まりだと言うだけで、俺はただ、汐子が何やら「最近、私をよく見るの」とか言うものだから、知り合いの死者達と共に簡単な調査をしていただけだった。結局汐子が言っていた「よく見る私」は、俺と同じで偶然にも同じ形になった死者だったというオチだ。そう、死者を見たということはつまり、俺の身近にいた「見える」人間のもう一人は汐子である。結局俺は汐子に似た死者にあまり変えたくないであろうその姿を変えてもらうよう頼み込み、その途中で俺の形をした者と出会い、その俺の形をした者がまた積極的に輪廻の流れに戻りたがっていて、いつの間にか物語の本筋が俺と俺の形をした者との対立になっていて……思い出したくもないが、対立の結果はもちろん、この俺の現状通りである。


俺のまだ純粋な血を、汚れのない体液を、大切な記憶を、人並みの運動能力を、俺を構成する全ての要素を吸血鬼のように吸い出そうとして、俺の形をした者は見事失敗した。どうしてかはわからないが、失敗した結果再び死んでしまった俺の形をした者は、失敗の際に俺の血と記憶を少しだけ吸い出して、消えてしまった。土御門曰く、皮肉にも輪廻の流れには戻れたらしい。


俺の記憶一部喪失、行為に伴う半分ほどの死は、一緒に調査した朝日奈や高月、土御門ぐらいしか知らない。汐子にはずっと、何事もなかったかのように接している。時には少し胸が苦しくなることがあるが、無用な心配はかけたくなかった。

 そして、今回の件はそんな死者に最も近しい出来事だ。それを汐子は目撃してしまったのだから、俺も今回の件に首を突っ込んでいるというボロが出ないよう慎重に接せねばならない。


「……いた」


 そうこうしているうちに到着した大教室で、俺は教室の端に一人で座っている女の子を見つけ、その前の座席にどかりと腰を下ろした。


「何だ、バ薫か」

「一文字多い」

「バカ男?」

「減らす文字が激しく違う」


 とんだ挨拶だ。


「何の用?」

「与太話を少し」

「……昨日の話?」


 何でわかるんだ、など至極愚問。表情で言いたいことがわかることは、汐子とならば日常茶飯事である。

 俺は最近汐子が遭遇した現場についてさらに言及した。昨日は互いに別々の講義の時間になり、簡単な概要しか聞かなかったのだ。


 今日、そんな朧気な情報を一番に土御門に伝えたのは、彼女にはより早く情報を与えておくべきだろうと感じたから。昨日に訪れたのだがその時は不在だったのだ。彼女なら何か早い段階で手を打ってくれるかもしれないとの思惑があるのだが、果たして今、すでに動き始めているのだろうか。


「あれ以外何を話せば良いの? て言うか何で薫がそんな話聞き出したいの?」

「何でも良い。少しでも情報が欲しいんだ。時間を置いて思い出したこと、今思えばおかしなこと、何でも良い」

「二つ目の質問に答えてないよ」

「お前が変なことに巻き込まれていないか心配なんだ」

「……まさか『死神』に相談するためとか?」

「バカやろ。そんな噂……死神なんて、いるわけないだろ」


 そう、死神なんていない。あの場所に居るのはどういう因果か肉体を得た死者であり、死者の魂を葬り送る死神なんかとはまるで違う。

 あいつらはただ迷っていて、彷徨っている魂なのだから。

 再び生まれ変わるために、人間を則る以外の方法を模索しているだけなのだから。


 ――にしても汐子のやつ、やけに鋭いな。『死神』と称する変人に相談したばかりの俺に向かって、その言葉は正直驚嘆ものだ。

 汐子は大仰に肩を竦める。


「だよね。あんな噂、真に受ける変人なんていないよね。『死神』なんて中学生がつけたようなだっさいネーミングだし」


 言葉も出ない。彼女の言葉は無遠慮で驚くほど辛辣だった。


「だいたい何? もし実在したとしても、何が楽しくて見ず知らずで正体不明の誰かに自分の悩みを打ち明けなきゃならないの? しかも絶対に解決するだなんて無責任な看板掲げて……真に受けても実際に頼みに行く人の気が知れないよ」

「……何でそんなに怒ってんの?」


 その鋭い発言は飛び火して俺の胸に容赦なく突き刺さる。正直傷ついた。

 こいつなら土御門と渡り合えるかもしれない。いや、会わせるわけにはいかないんだけど。


「深刻な悩みは、人に軽々しく言えないからこそ深刻だって言うのに」


 そんな調子良くまくし立てていた汐子の語調が、一瞬低くなったような――気がした。

 悩みって、衝撃的現場を目撃したことだろうか。いや、でも俺に言ってきたし。うーん、女の子は多感だからな……よくわからない。


「で、何の用だっけ」

「お前の不思議現場目撃事件についてだ」

「ああ、それか。でももう話すことないって。首筋咬んでる人がいて、咬まれてる人も同じ人に見えて。それで終わり」

「終わりってお前、そのまま見て見ぬふりで立ち去ったって言うのか?」


 汐子は静かに首を横に振った。そのあまりに当然といった様子に少し背筋が寒くなる。

 俺なら、普通なら、ごく平凡な人間なら、ここでこうして迷いなく首を振れるものか。しかも、ああこいつどうしようもないな、みたいな呆れた表情で。


「そんな薄情な」

「……いや、それが情の薄い行動じゃねぇと思うけど」


 むしろそういった場面に遭遇した時に、最も安全で一般的な行動だと思うのだが。

 それを薄情と言ってのける汐子には一点、俺が恐れ畏れさえする一風変わった危険性の高い性質がある。もしかしたらそれは、朝日奈が汐子を苦手とするポイントなのかもしれないが。


「ちゃんと近付いたよ。空気的に危うかったから、意味わかんないけどとりあえず止めようかなって」


 極端に欠けた恐怖心。危機察知能力の欠如と言ってもいい。

 とにかく汐子は昔っから無茶苦茶で滅茶苦茶ではちゃめちゃだった。あまりに形容が曖昧すぎるかもしれないが、これ以上にぴったり当てはまる形容は他にないだろう。

 何でそんな本能的にある意味危険な行動をするのかって、俺は畏怖すら抱きつつ何度も尋ねたことがある。その度汐子は、


「性善説って知ってる?」


 か、


「そんな簡単に人は死んだりしないから」


 なんて屁理屈を返してくる。そう思えば汐子の言動はあくまで『美しい常識』に忠実で誠実だ。ただその言動があまりに現実的を帯びていないために貼られる、無茶苦茶なレッテル。


 さすがに支離滅裂ではない。その辺りがあくまで『常識』たる所以。引くところは引くし、命に関わるようなことは異常なまでに引き下がる。だが日常に命に関わることなど何と少ないことか。

 状況がいまいち謎な喧嘩らしき何かを止めようと思い実行に移すいかにも『常識的』な行動程度では、どう転んでも命に関わるとは言い難い。

 死ななければ良い。なんて思想はもはや極度で病的な楽観とでも言えそうだ。


「で……どうなったんだよ」


 見たところ汐子に外傷はないので、暴力は振るわれていないようだが……。

 それでも汐子は、あくまで至極当然であるかのように。異常な発言であることを感じさせない口振りで、さらりと。


「止めたよ。喧嘩はやめましょうって言って」

「言っただけで?」

「うん、確か」

「確か?」

「あんまり覚えてないの。ほら、私って突発性が習慣化してるから。三日前の朝起きてから朝食食べるまでの行動なんて覚えてないでしょ? それと同じ。とにかく気付いたらおかしな人は立ち去っちゃって、今度こそそれでおしまい」

「……ほんと滅茶苦茶だな、お前」


 何かに取り憑かれているのではないかと不安になる。もっとも、換言すれば度の過ぎたお節介とも言えなくはないが。

 何にせよ、新たな情報だ。が、これは土御門に伝えるべきかどうか……もうあの部屋に行くのは御免だが、しかしそれほどたいした情報にも思えない。

 俺の中で重要なのは非現実的な喧嘩そのものではなく、それを目撃した汐子の今後なのだから。


「でもさー、薫」


 事の重大さをまだ把握できていないとは言え、警戒に警戒を重ねている俺の心境とは全く反対の、力無く何気無い口調で、当の汐子は。


「私から物珍しそうに聞き出そうとしてるけど、別に私一人だけじゃないし。似たような現場を目撃した人」

「……何だと?」


 一般人の視点で、一般的な思想で、さも日常を謳歌している――俺とは正反対の世界を生きている身として。


「知らないの? ほんと世間の動きに鈍いんだから」

 昨日の特番見た? とでも言うような調子で、彼女は俺に巷の噂を教えてくれた。

「昨日のニュース見た? そんな場面に遭遇した人が最近多いって、巷で大騒ぎだよ」

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