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3話

 今日は午後からの講義だというのに、朝食兼昼食にならない程度の時間に起きたのは、ちゃんとした理由があった。早起きは苦手ではないが、わざわざ早起きするほど健康的な下宿生活を送っているわけでは決してない。

 なぜこうして長々と例の霊の人物――土御門由未と初めての出会いについて想起していたかと言うと他でもない。

 今から、午前中のうちにその子に会いに行くのだ。あの部屋は初対面のあの日以降入っていない。通常なら凡人の俺が来ることのない旧館三号棟に入り、先月の出来事なのに遠い昔であるかのような懐かしい埃っぽい匂いが鼻腔を突くと、どうしても思い起こされてしまうのだ。

 あの混沌とした会話が。鬱屈な思いが。彼女に『遭いに行った』その時の状況が。


「……何でついて来るんだよ」

「ダメな理由でもあるの?」

「気が散る」

「何の気?」

「運気」

「あたしは疫病神か」

「似たようなもんだろ」


 通学中、俺の後ろをそれこそ背後霊のように――いや、これはまさに背後の霊だが――くっついてくる一人の女。


「どこ行くの?」

「大嫌いな奴の本拠地」


 振り向くことなく俺は淡白に答える。一人で行くつもりだったのだが、そこは幽霊たる者、知らぬ間にいつの間にか誰かの傍に居るらしい。

 こいつは先ほど俺の部屋に不法侵入していた女。厳密には高校の同級生。まあ彼女が生前の話、だが。


「大嫌いな奴ってだーれ?」


 今度は答えることなく、俺は無言で歩を進める。女――朝日奈(あさひな)は俺が返事をせずとも、相も変わらず後を追ってくる。


「ねーねー、ねぇってば。もうっ……ってあれ、あたしもしかして嫌われてる?」

「ようやく自覚したか」

「じゃあもしかして、本拠地ってあたしのお墓に――」

「ちげえよ」


 大嫌いってほどじゃないんだから。とは口に出さない。また調子に乗りやがるだろうし。

 ていうか旧館三号棟に墓があるか。

 この朝日奈とは同級生だったと言え、当時はろくに会話も交わしたことがなかった。こんな一方的に馴れ馴れしく話されているが、俺達がまともな会話をし始めたのは大学に入ってから、つまり三ヶ月ほど前からである。たまたま進学した大学と学部が同じで、知り合いが他にいない中自然とそうなっただけだ。


 ――と自分の記憶を辿っているが、梅雨時の事件によってその記憶自体も曖昧なものになってしまったのだから、少々彼女との関係には漏れがあるかもしれない。失った半分の記憶に、朝日奈との思い出があったかもしれない。

 現に、俺は彼女の下の名前を覚えていないのだ。訊いても答えてくれないし、少し調べればわかるかもしれないが、別段これといった不自由もない。それに、彼女もあまり調べてほしくなさそうなきらいがあった。大方失った記憶の中にでも含まれていたのだろう。こればかりは仕方なく、どうしようもない。

 俺の続く言葉を待っているのか、じっと、根気良く背中を見つめ続けている朝日奈。その様子が振り向かずともわかるのは、その表情まで安易に想像がつくほどの視線をひしひしと感じているからであって。

 そこで、おもむろに立ち止まってみた。背後の霊も動きを止める。


「……一緒に来てもいいが」


 こんな台詞、背中越しで十分だと言わんばかりの、素っ気も愛想もない語調で。


「邪魔すんじゃねーぞ」


 別について来られても俺が直接的に困るわけじゃない。ただ土御門とは誰であれあまり関わって欲しくないし、彼女にこれから話す内容もそんな心持ちの良いお題でもない。

 と、そうこうしているうちにも旧館三号棟、最上階の最奥室の前に到着した。その扉を開ける前から室内の異様で異質な空気が僅かに感じられる。

 こりゃあやはり、悩み事は何でも解決してくれると言う『死神』の噂を知らない限り、また平々凡々に大学生活を満喫している者には、まるで縁のなさそうな場所だ。建物然り、雰囲気然り。


「あまり口を挟まないことを勧める」

「どうして?」

「余計な話はこちらがぶった切らないといつまでも終わらないからだ」


 朝日奈はイマイチ意味がわからなさそうではあったが、俺はそれ以上何も言わずに扉へと手をかける。

 足も心もまるで進まなかったが、頼れるのは皮肉なことに土御門由未だけなのだ。

 意を決して、いざ。

 どうか昼休みまでに話が決着することを祈って――。


「そろそろ来ると思っていたよ。久しぶりだね、君がこの部屋を訪問するのは。さあ、私が相談相手になってやろう」


 まるで俺の事情全てを見透かしたように、少女は、土御門由未は――古びた窓枠に腰掛けていた。入り口の正面にある唯一の窓は、なぜか窓ガラスがなくなっており、そこに女子中学生が座っている状態だ。

 光もろくに入り込まない薄暗い室内で、取って貼り付けたような不気味な笑みに、僅かな風にそよぐ無造作だが艶やかな黒髪、それに……薄汚いが、中学生の制服?


「君の要望通り、制服姿になってみたよ。うん、少し汚れているがそれもまた味の一つだ。うん? どうした水瀬薫? その声が出ない様子の裏に蠢く感情は余り余った歓喜か? 感涙か? ああ、そうか、萌えているのか」


 相も変わらず、と言うのだろうか。とにかく性懲りもなく、懲りもせず、土御門由未は俺の性癖に明後日の方向から言及してきた。

 彼女の話にはなるたけ突っ込まないようにしている。彼女が何を知っていようと、なぜ知っていようと、それをどう言おうと、俺が口出ししたところで彼女の既存の知識は減らないし、無論無駄口も減らない。口出しするだけそれこそ無駄なのだ。むしろ長ったらしい話が付け加えられるから、無駄だ無意味だというどころか、損をすると言っても過ぎた言葉ではない。

 というわけで、今回も答えず応えず。俺は唐突に本題を切り出す。


「今回の悩みは俺のじゃない」

「ほう?」

「大体悩みですらない。俺の幼馴染の話についてなんだが」

「珍しいな。君が誰かの力になろうだなんて」

「そんなことは思ってねーよ。ただちょっと気になったから」

「珍しいな。君が自分のこと以外に興味を持つなんて」


 ああ確かに俺は冷酷さ。冷たく酷い人間だよ。でも一応は人間だ。れっきとして、生きている。半分ほどだけど。

 朝日奈の前で下手なことを言われると、朝日奈の中の俺の人物像が崩壊しかねない。すでに際どい単語が飛び交っている以上、無闇に話を逸らすのは自傷行為に近しい。


「興味を持たざるを得ないんだよ。その幼馴染みが、おかしな場面を目撃したらしいんだから」


 土御門の眉が吊り上がった。

 もっとも、おかしな経歴と性質を持つ俺がおかしな場面と言っているのだ。それは得てして、おかしな話であろう。


「どうおかしかったのかな」

「人が人に咬みついている場面に遭遇したそうだ」

「まるで吸血鬼のように」

「ああ。『咬みついていた』らしい」

「それはもしかすると」

「先月の俺と――同じ状況だ」

「ということは、咬みついていた人間も咬みつかれていた人間も」

「そっくりさん、だったとさ」


 俺の言うこと全てを先回りされたような気がしないでもなかったが、土御門の好奇心を掻き乱すには十分すぎる話題だっただろう。

 事実、土御門は座っていた窓枠から飛び降り、部屋に唯一の古びた椅子にどかりと座り、やはり唯一の机に足を乗せ、その時に制服のスカートから下着は見えなかったが、いや別に残念に思っているわけではないが、もっとも欲情対象ですらないのだが、とにかく、小難しい顔で何やら思案を始めた。

 彼女は無表情を崩すこと自体が少なく、精々眉と口元ぐらいしか吊り上がったりしないものだが、どうやらその様子を見る限り思ったよりも深刻らしい。

 しばらく待ってみてもまるで彫刻のように微動だにしない。何を考えているのだろう。てっきりまた全てを見透かしたような回答が即刻返ってくると思っていたのだが、まさか某新喜劇みたくこのまま寝ているなんてボケをかます人間……もとい幽霊でもない。


「ねぇ、咬みつきって、まさか……」


 業を煮やしたのか、痺れを切らしたのか、今まで嫌に素直で静かだった朝日奈が、俺に近寄って耳打ちしてきた。

 まあ今なら土御門の座る椅子をひっくり返しても彼女は動きそうにないので、少々の雑談なら構わないだろう。


「ああ、お前や土御門と同じ、死者の連中だ」

「あの方法――先月のかおちゃんの、あの方法を知ってるのはあたしと、高月君ぐらいしか……」

「だから、おかしなことって言ってんだろ」


 もっともあの方法とやらは、もう一人、土御門由未が知っているがな。第一彼女から教わった方法だ。

『咬みついて人間を乗っ取る』あの方法は。

 過去――先月に、俺は。

 ――ああ、思い出したくなんてないのに。思い出されるべき記憶では、掘り起こすべき思い出ではないのに。

 あまりに過去に言及すると、突然、前触れなく、ただひたすら唐突に。

 ほんの一ヶ月前のことなのに。まるで遠い昔のように。幼少時代を思い出すかのように。

 途切れ途切れで、曖昧で、不確かで。

 忘れることなど生涯不可能だろう、最悪で、最低で、黒く、暗い記憶が。

 文字通り、人間を半分捨てて零したあの日が、否応なく脳裏に――。

 蘇る。


       *


 頬を伝うのは、雨か涙かわからなかった。

 涙を流しているのか、雨粒が流れているのか、わからなかった。

 酷い雨、ではない。梅雨特有の、洗濯物を干せば逆に衣服に含まれる水分量が増すのではないかと思うほど湿った、鬱陶しくて長ったらしい雨だった。おかげでこの大きめの公園ですら、人気が一切感じられない。

 そんな中、俺と俺は。いや、厳密に言うと、俺と俺の(なり)をした者は。


「運が悪かった」


 俺は言った。俺の形をした者に向かって。


「出逢いはいつも運と縁だ。良いも悪いもねえよ」


 俺の形をした者が答える。どうしてこいつはこんな時でさえ、途方もなく馬鹿で、愚かしいほど正直なんだ。

 俺の形はしているが、中身はまるっきり違う。俺はこんな愚直ではない。こんな感情的な人間でもない。こんな情に熱く厚い男でもない。俺はこんな――清爽で純然な笑顔など浮かべない。


「ま、そんな泣きそうな顔すんなよ。なぁ、水瀬……後悔は先に立ってるか?」

「先に立つそれは後悔と言わない」

「先に立たせなくていいのか?」

「そういうのは後になって悔やむ奴に言うんだな」


 先立たせる思いなどあるものか。あるとすれば、臨む覚悟と望む想いぐらいである。

 これは偶然なのだろうか。偶然という言葉で片付けられるような確率なのだろうか。

 必然、とは言わない。そう、やっぱり、言うなれば、強いるとすれば、それは必然的でも偶然的でもなく、きっと、それは運命的だったのだろう。

 突飛も突拍子もなく、複雑怪奇な、俺と俺の形をした者との、交錯した運命。

 いや――それだけじゃない。俺達の他にも、朝日奈や、土御門とか言う変人、それに『あいつ』――とてつもなくたくさんの人の運命が重なり交わり、ぶつかり離れ、そうして成立しているのが、今この瞬間なのだ。

 その運命線上での、たまたま同じ姿形をした者同士の邂逅というのは、やはり運命的でしかなくて。


「俺は死ぬ。お前はこの世界から消える。利害損得の一致だ。後悔など、本来無縁の言葉だ」

「強がっているようにしか見えないなぁ。それも、とても強引に。無理矢理、な」


 奥歯を強く噛み締める。強がりは、俺の得意技だ。


「……最後まで、お前は俺の姿なんだな」

「今さら変えられねーよ。死者ってのは、意外と初めて変形した姿には執着するもんだぜ。ほら、あの土御門ってチビも然りだ。まあ水瀬、生きてるお前にゃわからないだろうが」


 ――死者。死んだ者。

 死後の世界があるかないかなどという、生きている限り証明の不可能な論題は様々憶測が飛び交っている。俺は信じているいない以前に、興味がなかった。

 しかし、土御門に初めて相談をしたあの日以降、俺は見た。

 死者の世界を。死者が『どんな姿の人間にも変形できるところ』を。


「始めよう。もういいだろ」

「別れは惜しまねーか」

「惜しむほど親密な仲じゃないだろ。お前は俺を殺そうとしてるんだから」


 どうやら死後、稀にその魂が再び身体を得て、現世に再度降り立つらしい。好きな身体に変形できる力を要して。

 ドッペルゲンガーの怪談の元を辿ると、死者の魂が身体を得たこのケースの結果だと言う。人は似た顔のそっくりさんが世界に三人いるという云われもここに起因しているのかもしれない。あんまり詳しいことは知らないが。土御門の余計な話を興味津々で聞けるほど、俺は聞き上手でもなかった。

 そうして再度降り立ち死者達は何がしたいのかと言うと特に使命的なものは一切なく、別に死者達の意思で現代に戻ってきているわけではないようで、それは一種の呪いにかけられたような状態らしい。

 土御門由未曰く、輪廻転生の輪の流れに乗っかるはずの死者の魂が、何らかの原因で流れから脱線してしまい、一時的に停止していると。要するに、魂が死後も現実に留まることで生まれ変わりができないらしい。

 そして、その呪いから解き放たれる方法は今のところ一つ。生まれ変わるために、呪縛を解き放つその方法とは――。


「そうか。じゃあさっさと済ますぜ。そんじゃ、水瀬。達者で」

「ああ、最悪の手段を――地獄を、始めよう」


 突然、雨足が強まってきた。まるでお天道様が俺達の会話を聞いていたかのように。それこそまさに、雰囲気を用意してくれたかのように。

 輪廻転生の流れに戻る方法、それは『人間の体を乗っ取り、その乗っ取った人生を自分のものとして中途からやり直すこと』。そうして別の人間の人生を全うし、再度訪れる死後で再び魂を本来の流れに乗せるのだ。


 ああ――雨が冷たい。


 元来冷たい人間である俺を、さらに冷まし、冷やし、冷たくし、そうして固まる。俺は俺のままで、何一つ変わることなく。

途方もない確率で同じ姿を別人に見たとは言え、それは俺ではなく。そしてその奇跡のような存在に、今から葬られるのだ。

 一向に強まり続ける雨音がまるで葬送の唄であるかのように――少々雑で、あまりに乱暴だが、力強い歌声のようで。

 やがて、その唄は俺の絶叫によってかき消された。

 断末魔も悲鳴を上げ血相を変えて逃げ出すような、凄惨な、悽愴な――叫び声だった。

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