1話
――なんて朝っぱらから随分と暗鬱な立ち上がりだったが、所詮俺はどこにでも転がっていそうな一介の大学生に過ぎない。下宿先の学生アパートから講義時刻に合わせて家を出て、残る時間はバイトに充て、変哲はないだろうが充足した生活を送っている。
そんな日々もまだ三ヶ月で、始まったばかり。夏の到来がいよいよ本番となってきた頃。
いくらどんな壮絶な過去を経験したからと言って、何も過去に生きているわけではない。こんな異端な俺だって、異常な過去があったって、異様な知り合いがいたって、少なくとも今は、無事に日常を謳歌できている。つもりでいる。
別段社交的でも積極的でもないが、大学生になってからも友人ができた。連絡を交わすような友人は数少ないが、顔を合わせれば「よっ」と気軽に挨拶できる程度の知り合いならば並にいる。
ただ、先述通り俺には少しばかり――いや、相当おかしな、異様な知り合いもいる。それが何より、俺の希求する日常に泥のような濁った水を差していた。
「寝坊だ寝坊だ」
顔を洗って朝食の食パンを焼いているところへ、背後から弾んだ女の子の声。俺は辟易の思いを素直に語調に乗せて、返事をする。
「今日の講義は午後からだ。つーかお前、勝手に入って来るなって何度言ったらわかるんだよ。邪魔だから出てけ」
「かおちゃんってばひどーい」
再び誤解を招きに招く絶好で最悪のシチュエーションかもしれないが、何も未成年の分際で俺のような冷徹で冷酷な人間が誰かと同棲をしているはずがないと、まず明言しておこう。無論、彼女も兄弟姉妹もいない。威張って言えることではないだろうが。
冷酷――そう、俺は冷たく酷いのだ。無断で侵入してきたのがいくら同世代の女の子だとは言え、歓迎するなど言語道断。駄弁る必要も与太話を繰り広げる必要も、皆無だ。
「何度も言ってるだろ」
俺は彼女の華奢な肩を背中側から持ち、ぐいぐいと押して強制的に歩を進めさせる。
「その呼び方も……」
学生アパートの一室などそれほど広いものではない。直に玄関口に着くと、そのまま手に力を込め――。
「よせってな!」
ドンッ、と少々乱暴に、しっかりと施錠されているドアに向かって彼女を無理矢理押し込んだ。
完全に力任せだった。たいした運動もしていないが、さすがに女の子に劣るような筋力は持ち合わせていない。当然、俺は女の子を扉に叩きつけるような構図にはなるのだが――。
彼女はそのまま、俺の力に逆らうことなく扉をすり抜ける。まるでそこに何もないかのように、容易く、と言うよりも、自然に。
「次無断で入ってきやがったら塩撒くぞ!」
「あはは、可愛いね。そんな迷信、信じてるんだ」
ひょいと顔だけを扉から突き出し嫌味な笑みでからかうそんなシュールな光景も、今となっては業腹ものに過ぎない。まったくもって朝から不愉快だ。
さすがに彼女はそれ以上俺にちょっかいを出すことはなかった。引き際のタイミングが絶妙な辺り、何だか弄ばれているようで余計に腹が立つ。
「あ……」
唯一の廊下を通りキッチンへと戻ると、何やら焦げ臭い匂い。そういえば食パンを焼きっぱなしだった。
これほど面白みの薄いオチも珍しいだろうか。
ほんのり焦げた苦味を噛み締め、食パンを五分とかからず淡々と平らげた。




