食中毒の神様
これは、旅先での出来事。夢か現か……
2014年エッセイ村、投稿作品です
その日、夕方になって俺は、その街に到着した。
もう既に、冬はこの街のすぐ近くまでやって来ているようだった。そんなに遅い時間でもないのに日はとっぷりと暮れている。駅の建物から出た時に見た自分の吐く息の、鮮やかな白さに、少し驚く。
明日は、朝から客先との打ち合わせ。そのために、祝日であるにもかかわらず、JRの特急列車に乗って、前日入りしたのだ。
自分は、技術者のハシクレとはいえ、所詮はサラリーマン。
やや黒がかった紺のスーツに渋めの赤いネクタイを締め、そして、着替えの入った少し重いビジネスバッグを肩から下げて、本日宿泊予定のホテルへと歩き出した。
「そうか、夕飯、食べなきゃな」
旅の相棒のいない俺は、少し大きめの声で独り言を呟いた。今日のホテルは、夕飯はセットになっていなかったのだ。
俺は、お世辞にも良く回転するとは言えない頭脳をフル回転させ、今夜のメニューについて思いを巡らした。
(そうだ! 海鮮丼にしよう)
今度は言葉が漏れないように気を付けながら、メニューを脳内決定する。
何せこの街は、美味しい海産物で有名な街。大きな観光客用の海産物の市場が駅のすぐ近くにあって、そのすぐ傍にはレストランというか食堂と呼ぶべき店が多く立ち並び、それなりに安価に新鮮な魚介類が楽しめるのだ。
早速、足を市場の方向に向ける。食堂街の入口付近では、この省エネのご時世だというのに、煌々と明かりが付いている。アルミ製の引き戸を開け、中へ。
(まじかよ……)
衝撃の事実。
多分、明日が平日となっている祝日の夕方で、客もほとんどいないので店を閉めてしまったのだろう。こんなにたくさん店があるのに、一軒も暖簾が掛かっている店がなかった。
(ちぇ、しょうがないな。他をあたるか)
再び食堂街入口のドアを引き、外に出る。冷たい風に前髪が揺れた。
(あ、あそこに開いてる店があるぞ)
道路を挟んだ右斜め向かいに、ちょっとおしゃれな海鮮居酒屋が――
今日の晩飯はそこでいいや と、一歩、足を進めたときだった。
「お店、どこもやってなかったでしょ」
俺の左側の、距離約1.5m。
暗がりの中、調理場の板前が着る白い服を身に着けたヒゲの濃いおじさんが一人、こちらを向いて、ぼぉっと景色の中から浮き上がるような感じで、立っていた。この食堂街の関係者なのか?
「え、ええ。全滅でした」
いきなり声を掛けられて少々驚いたが、素直に答える。気さくに、別な言い方では、馴れ馴れしく他人に声を掛けてくるのも、この街の特徴の一つなのだ。
「ちょっとこの道を行った先に、オレの親戚がやってる定食屋があるんだけど、そこに行ってみないかい? 海鮮丼とかもあるからさ」
おじさんは、その太くて無骨な右の人差し指の先を、暗がりの向こうへと突き出した。
(このおっさん、なんで、俺の食いたいものまで解かる?)
不思議な感覚――。
ちょっと迷ったが、これも何かの縁、
「じゃ、ちょっと行ってみます」
と答え、店の名前を教えてもらい、指が差した方向に向けて、歩みを進めた。
その店は、おじさんの情報のとおり、五十メートルほど真っ直ぐ行ったところに、極めてひっそり建っていた。なかなかの歴史的建造物だ。入り口前に、なんだかんだとメニューの書かれた紙が貼られていたが、食うものは決まっている。
そのとき、俺はちらっと元来た方向を眺めてみた。しかし、あの親切(?)なおじさんは、その視界から既に消えていた。
「いらっしゃい」
意外にも(そんなに意外でもないか……)、その店の主人は、なかなか高齢のおばちゃんだった。
だれも客のいない店内。カウンターで、コップビールを傾けながら、近くに設置された小さめのテレビを覗き込んでいたのを止め、こちらを向いたのだ。
「何にします?」
おばちゃんが、ぬるめの水の入ったコップを、俺の前に差し出した。
「海鮮丼」
俺は、即座に答えた。良く見れば、海鮮丼、この店のメニューの中で、一番高いじゃん。あのおじさんにしてやられたような気がしてきたが、まあいいか、と思い直す。
調理場で一人、何故か不慣れな手つきで悪戦苦闘する、おばちゃん。何となくおばちゃんを励ましたくなって、声を掛けてみた。
「さっき、おたくの親戚というおじさんに会って、ここを薦められたんだよ」
「ふうん……そうかね」
あっさり、冷たい響きで言い放った、おばちゃん。何かしらの感動的な言葉を期待していた俺は、少しがっかりだ。
おばちゃんは、そんな奴は思い当たらないな、的に首を傾けただけだった。
(まじかよ、思い当たらないのかよ――。じゃあ、あのオヤジは一体、何だったんだ)
そんな感情が巻き起こったが、特に何かをおばちゃんに云う雰囲気でもなかったので、テレビを見て時間を過ごした。
結構な時間、待たされた後、ついに、目の前に海鮮丼が並ぶ。
マグロ、イカ、エビ、シャケ、ホタテにこの白身魚はブリかな? 特にイカは透きとおって美味しそうだ。
ぱくり。
やっとのことであり付けたそれは、まあまあ、美味しかった。味噌汁はちょっと塩辛かったが――。
なかなかのボリュームの海鮮丼を食べ終わり、それなりのお金を払って、店を出る。
結局、俺が居る間、俺以外にこの店に客が来ることはなかった。
そこから、歩いて約八分。宿泊先のホテルへとたどり着いた。
◇◆◇
次の日、俺は所定の仕事をこなし、再びJRに乗って、我が街に無事帰還。
夕飯時間になり、テレビのニュースを見る。それは、地方番組での、『食中毒』のニュースだった。キャスターが告げたその事件が起きた街の名は、なんと、先程まで自分がいた、あの街の名前だった。
「この店で食事した客たちが腹痛を訴え、検査したところ、この店で提供された『カキ』が原因と判りました」
ニュースキャスターの言葉に合わせ、映像が出る。何となく見ていたが、その店の面構えには、何となく見覚えがあった。
「あ、これは、昨日一度行きかけた、海鮮居酒屋じゃないか!」
思わず、食事中の家族の前で叫んでしまった、俺。
――背筋が凍る。
俺は無類の『カキ』好きだから、そこで『カキ』を食べていた可能性は、高いのだ。
ふと、気が付く。
あのとき、俺はあの食堂街の前で、あの『おじさん』から声を掛けられなかったならば、もしかしたら食中毒になり、そして、大事なお客さんとの打ち合わせに行けなくなっていたのかも知れない! 助かった! もしかして彼は――
「食中毒の神様!」
テーブルをドン、と拳で叩き、俺はそう叫んだ。
幸運なことに、茶碗や皿は、一つもひっくり返らなかった。
家族の冷ややかな視線が、自分に突き刺さっているのを、ヒシヒシと感じる。でも、そんな瑣末なことは、気にしない。
(ありがとう、食中毒の神様。おかげで助かりました)
手をすりすりと合わせながら、これからは神仏にできる限り手を合わせようと誓う、俺なのだった。
<終わり>