最袖話
春菜さんと別れ、私は遺跡へと足を運んでいた。
入り口では瑠璃が平時の能面で出迎えてくれた。
「ここまで来るのにどれだけ時間をかければ気が済むのでしょうか。全く頭はいいクセに愚鈍ですね、あなたは」
人が気にしていることを平気で言う絡繰りなのであった。しかしこの程度の毒で私が倒れるはずもない。
「こんな場所で人を待たせるなど、殺人行為もいい所です」
そこまで言うか。しかしここは私に非があるので素直に謝る。この遺跡には多種多様な花が咲き誇っており、その中には人の毒になるものから絡繰りの毒になるものまで、危険な花も一面に咲いているのだ。瑠璃の憤慨も尤もである。小言で済まされているのが奇跡なのだ。
奇跡か。起こり得ないことがここでは起こっている。なるほど、公式が見つかる訳だ。
「ここです。さっさと確認してください」
遺跡の中層の、一面に赤い花の咲き誇る場所。その真ん中に光るものが見える。
近づいて光るものを手に取ってみる。何だか不思議だ。今まで手に入れた公式とは似ても似つかないが、似ていると言われれば似ている。
正面から見ればそれはとても美しく、優しく映り、引っくり返してみればドロドロしていて正視に絶えぬほど醜い。また、斜めから見れば煩わしくも懐かしい気持ちになる。
それは見る角度に依って如何様にも姿を変える、何とも珍妙なものであった。間違いない。これがAの公式だ。世界の転覆に一歩、いや、百歩も近づいたと言っていい。世界の望む悪が芽を出す日も近い。
公式を慎重にビーカーに入れ、瑠璃に渡す。
「研究所に送れば良いのですね?」
慎重になと念を押す。
「判っていますよ。いちいち指図をされずとも心得ています。お疲れでしょうから、今日はもうお帰りください」
瑠璃は煩わしそうに私を遠ざける。全く可愛いヤツだ。師匠が私のことを可愛いと言う心理が少し判った気がする。
それはそうと公式の周りに咲き誇っているこの赤い花は何だろう。研究をするからには公式が生じた環境も調査しておかなければならない。というのは建前で、単純に私が気になるというだけの話だ。
空を見上げるように咲く透明感のない花は美しいような毒々しいような、これまた奇妙な風体をしている。
帰る前に瑠璃に訊いておこう。
公式を研究所へ送る準備をしている瑠璃に声をかける。
「なんですか? さっさとお帰りください。仕事の邪魔です」
ううむ。これはかなりご立腹のようだ。
瑠璃を宥めながら花の名前を訊く。
「ああ、アレですか。少しお待ちください」
瑠璃は言って体の機能を作動させる。トースターが調理の終了を告げたときの金属音が鳴る。これは私の趣味だ。存外に面白かったものだから悪ノリをしてしまったのだ。
「どうぞ」
瑠璃は口の中から分厚い図鑑を取り出し、私に差し出した。『遺跡の花図鑑』とある。自分で調べろということか。
ページをペラペラと捲っていくと、三◯一ページにその花の名が記載されていた。
なるほど、これは面白い。私と同じ名前の花ではないか。全く愉快なことも起こるものだ。
自分から出向いて本当に良かった。私はクスリと笑って花の遺跡を後にした。




