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最秀話

 意識が戻る。一瞬、何故自分が意識を失っていたのだか理解できなかったが、直ぐに勇なき殺人鬼に依って殺害されたのだと思い出した。

 意識が戻ったからには生き返らなくてはならない。何処かに水はないだろうかと考えて辺りを見渡すと、どうやらこの場所が先ほどの路地ではないことに気が付く。見た所図書館のようだ。私が寝かされていたのは備え付けられているソファーだった。誰かが私をここまで運んでくれたのだろうか。

 そんなお人好しが居るとは驚きだ。少なくとも図書館の関係者が人助けをするなど前代未聞、未曾有の出来事ではないだろうか。私は目立つのが好きではないから大きなことには出来るだけ首を突っ込みたくない。

 とは言え、助けてもらったことは事実だ。感謝は尽きない。しかも傷口が塞がっている所を見ると、私の蘇生はもう済んでいるらしい。ここまで優遇されていると何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。勘を引きまとめてしまう。

「目が覚めたのね」

 声がした。振り返ると、レンズの入っていないハーフフレームの眼鏡をかけた女性が茶菓子の乗った盆を持って立っていた。

 私は、あなたが助けてくれたのかいと問い質した。真実は明らかにせねばならぬものだ。

「そうよ。路地で殺されている人なんて珍しいから、つい助けちゃった。不都合だったかしら?」

 いいや助かったよと私は礼を述べる。

「私はここで司書をやってる長岡邑ながおかゆう。あなたは?」

 随分と流暢な自己紹介だ。こういった状況に慣れているのだろうか。

 私が名乗ると彼女は氷のような顔を溶かして笑った。

「よろしくね。あなたは何をしている人なの? 殺される立場の人間なんてこの街には居ないのだけれど……もしかして瓦礫の街の人?」

 どう答えたものだろう。図書館司書を相手に研究者ですと素直に答えるのは得策ではない。長岡さんを見くびる訳ではないが、彼女が商売敵を前に冷静でいられる人間であるかはまだ判らないのだ。

 私が倦ねていると、長岡さんが切り出した。

「そんなに緊張しなくていいのよ。ほら、お茶でも飲んで落ち着いて」

 緊張しているように見えたのだろうか。まあ私は空前絶後の人見知りであるから確かに緊張はしていたが、それ以上に自分の身分を明かすべきかどうかに執心をしていた。

 しかし、考えてみればそういう心持ちも緊張に原因を置くものなのかもしれない。

 私は人見知りをするのだ。


 勧められた緑茶に口を付け、私は決心した。立場や状況などこの際どうでもいい。この眼鏡の女性に助けられたという事実は揺るぎようのない真実のだから。彼女は恩人だ。恩人に嘘を吐くというのはどうも不義理が過ぎる。ならば正直に伝えてしまうのが精神衛生的にも健全であろう。私に心はあるだろうか。

 私は少々吃りながらも自らの身分を明かした。

「まあ、あなた研究者なのね。なら図書館司書の私とは犬猿の仲ということになるわね。犬と猿よ。喧嘩ばかりの仲よ。でもそういう関係って善いわよね。誰も喧嘩なんてしてくれないもの。私だってたまには人を殴ってみたいと思うわ」

 長岡さんは淡々と語るが、私は殴るのも殴られるのも遠慮したいと思う。まあ真面目に受け取る必要はない。これは恐らく彼女なりの冗句なのだろうから。語るとは騙ることに通じるのだ。

「冗談よ。私は体が弱いから喧嘩なんて出来ないわ。あなたはどう? 喧嘩をしたいと思うことはある?」

 私は、無いよと答える。

「そう。まああまり積極的にしたいと思う人はいないわよね」

 長岡さんは少し残念そうに口を尖らせながら緑茶に口を付ける。冗談ではなかったのだろうか。

「そうだわ。そんなことより、何であんな人気の無い路地に居たのかしら? この街には殺される身分の人が居ないとは言え、殺人鬼は多いから、余所の街から来た人が路地に入ると問答無用で殺されてしまうわ。あなたが瓦礫の街の人間だとしてもそれくらいは判るわよね?」

 私は、自分が道に迷ってしまったのだということを長岡さんに伝える。

「そうなの。曇りの街は初めてなのね。それなら路地に入ってしまったのも仕方がないわね。犯人の顔は見たの?」

 顔は見ていないが、誰が犯人かは判っている。一昔前に私の前に現れた殺人鬼である。彼は退っ引きならない事情があって殺人鬼を辞めることが出来ず、かと言って人に嫌われたくないと言う理由から殺人行為を行うことも出来ないというなんとも厄介な男なのだった。

 私は彼を悩みから解放すべく、幾ら殺されても恨まないという約束をしたのだ。以来、自意識過剰な殺人鬼は度々私を殺しにくるようになった。勿論塔子さんには小っ酷く叱られてしまった。標くんは呆れていたし、絡繰り女中達は折檻のつもりか、三日三晩カレーを作っていた。そしてこの件で一番取り乱したのは標くんの弟である冬人ふゆとくんだった。彼は熱血の気があるから身近な人間の不幸や不遇にとても敏感なのだ。


「それはまた面倒ね。あなたはその殺人鬼が好きなの?」

 まさか。私に恋などしている暇はない。したくない訳ではない。私には恋よりも優先すべきことがある。公式を探さなくてはならない。探して見つけて、世界を転覆させなければならない。

「あなたは真面目ね。融通が利かないと言うか。ダメよ。ロマンに身を置くことは大切なことだわ。研究者のあなたにそんなことを言っても一笑されてしまうかも知れないけれど」

 私は別に恋愛やロマンを軽視している訳ではない。脳みそを切除していない科学者達からは嘲笑わらわれてしまうのだが、私は恋愛小説も少女漫画もそれなりに読む。

 私はその旨を長岡さんに打ち明ける。

「そう。じゃあ自分のやるべきことを終えたら、あなたは恋をするのね。好きな人は居る?」


 長岡さんは眼鏡の奥の瞳をぎらりと光らせて言う。何だか私は自白を強要されているような気分になった。

 そして誘われるように、恋心を抱いているような相手は居ないと白状した。それどころか自身の精神的に劣等なことを話して聞かせていた。

 長岡さんは、だからあなたは殺人鬼と約束をしたのねと納得したように首肯する。

「私はね、あと三年で死ぬわ。でもあなたの話を聞いたら私の人生にも少しは意味があったのだと思えたわ。少し死ぬのが怖くなくなった」

 自分の死期など予言者でもない限り知ることは出来ない。長岡さんは図書館司書なのだ。恐らくこれは予言ではなく予測だろう。不吉な予測もあったものだ。

「確かに予言ではないわね。けど、予測でもないわよ。これは確信。私は三年後に死ぬの」

 確信か。それならば私から言及することなど何もあるまい。予言であろうと予測であろうと、そんなことは長岡さんに言わせれば意味の無いことなのだろうから。


「そういえばあなたは何をしにこの街へ来たの?」

 言われて気付いた。

 そうだ。私は太陽の街まで行かなければならないのだった。失念していた。こんな大切なことを忘れていたなんて、いよいよ師匠のお説教を喰らってしまいかねない。とは言えこの状況は僥倖だ。図書館司書にも関わらず、研究者にも懐の深い長岡さんならば太陽の街への行き方を教えてくれるだろう。


「太陽の街……困ったわね。電車は止まってしまっているし、この街と太陽の街を繋ぐ雨の街は今封鎖されているのよ。街の人達が慌てているのを見たでしょう? 噴水に金魚が侵入したらしいの。水が燃えてしまって、子供が大水火傷を負って死んだらしいわ。そういうことだから、この街に新しい水が入ってくるまで雨の街は閉鎖されることになったの。入ることは許可されているけれど、出て行くことは出来ないわ」

 何ということだ。これではどんな手段を使った所で太陽の街には辿り着けないではないか。

「仕様がないわね……」

 長岡さんは最終手段とばかりに何処かに電話をかける。何やら不穏だが、彼女が私の為に手を尽くしてくれているということはとても嬉しい。

 受話器を耳にあて、事情を話している長岡さんは、電話の向こうの反応に少し驚いた顔をしていた。そして受話器を置き、私に向き直る。

「今軍人の方に協力して貰えないか頼んでみたの。無理だと思ったのだけれど、あなたの名前を出したら二つ返事で快諾してくれたわ。きっと知り合いなのね」

 軍人。私の知り合いの軍人と言えば師匠しか居ない。あの人は神出鬼没だ。神のようであり、鬼のようであり、しかし人なのだ。


 私は長岡さんにお礼を言うと腰を浮かせる。

「ちょっと待って。これ、地図よ。迷わないように、ね」

 何から何まで至れり尽くせりだ。これでは申し訳なくなってしまう。何かお礼をしたい所だが、生憎今の私は何も持っていない。歯が痒い。

 私は何かお礼がしたいからまた会ってくれないかと頼み込んだ。

「気にしなくていいのに。そうね……判ったわ。暫くしたらあなたの所を訪ねるから、私を看取って頂戴」

 また人の死に立ち会わなくてはならないのかと辟易したが、それが彼女の望みなのだし、死ぬ時に誰にも看取ってもらえないというのは寂しいものだろう。同情は無用だ。件さんの件でナーヴァスになっているから閉口してしまうのだ。

 私は彼女の望みを引き受けた。

「ありがとう。じゃあ、行ってらっしゃい」


 長岡さんに背を向けると私は図書館の扉を開く。後ろで長岡さんが、見つかるといいわねと言う声が聞こえた。

 何が見つかるといいと言うのだろうか。

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