最醜話
曇りの街をとぼとぼと歩く私は、道行く人間にどう映っているのだろうか。幽霊のように見えているだろうか。そうだとすれば好ましい状況とは言えない。通報されては都合が悪いのだ。しかしそうは思っても一向に気分の晴れる様子はなく、私は半ば涙目になりながら太陽の街を目指していた。
件さんにはこれから仲良くやっていこうと思っていた矢先に死なれてしまった。しかも彼女は生き返らなかった。何故かは明白だった。彼女は歴代の予言者達とは違う性質を持っていたから。だから生き返らなかったし、無惨な最期を迎えることになった。
もっと言えば、生き返らないという点に於いて、彼女は常人ともかけ離れた存在であった。
存在しない存在。彼女こそ、真に予言者であったと言えるだろう。
浮かない顔で商店街を抜けると噴水広場に出た。少し休もうとベンチに座ると、近くで子供のものと思しき笑い声が聞こえてきた。
笑い声の方に視線を移すと、どうやら道化がその一芸で子供達を喜ばせているらしいのが見えた。燕尾服の似合う道化は自分の体の骨を折るという根性のある芸を見せている。
きっと子供の感性に合わせた芸なのだろう。私は面白いとは思わないが、子供達からは喝采が送られている。人の笑いのツボを抑えたその才能には脱帽せざるを得ない。
道化が演目の終了を告げると、子供達はそれぞれの感想を言い合いながら解散していく。
道化は荷物を鞄に仕舞うと、私の視線に気が付いてこちらにやってきた。
「やあやあお嬢さん。浮かない顔をしていらっしゃる。魔法少女の身の上話でも聴かされたのかい?」
陽気な声色から漏れた言葉は不謹慎極まりないものだった。現在の魔法少女という職の境遇を考えれば褒められた発言ではない。
これでは道化失格だ。道化は自分の不幸で笑いを取るものだ。他人の不幸を見せびらかすのは道理に反している。
私は、君は自分の骨を折って笑いをとりたまえ。それが道化としての役割というものだろう、と彼を叱責した。
「なるほどそれは正論だ。では、世界中の魔法少女に謝ろう」
どうやら彼は素直な人間らしい。とは言え、道化なのだから腹の中では何を考えているのか判らない。もしかしたら恨み言を胃酸と混ぜ合わせているかもしれない。腹の虫が鳴く気配はないが、ちょっとした訓練さえすれば腹の虫など簡単に抑え付けることが出来る。
「お嬢さんはきっと良家の人間だね。とても身なりが整っていらっしゃる」
どういう冗談なのだろう。良家の人間は憂いの表情を見せたりはしないのだから私が良家の令嬢に見えるというのはおかしな話だ。
私は大げさに彼の言葉を否定した。
「そうなのかい? でも確かにお嬢さんからは良家特有のいけ好かない臭いがしないね。それにあいつらは何時もヘラヘラしてやがる連中だ。お嬢さんみたいに儚い顔をしたりはしないよね」
道化は飽くまで陽気だが、言葉はなかなかに辛辣だ。しかしそれは私の考えたことを彼が口にしただけのことで、ならば私も同じ穴の狢なのだろう。世間の箸にもかからぬ小悪党である。全く、私という人間は救いようがない。
「おや、また表情が曇ったねえ。判った、今度こそ判ったぞ。お嬢さんは洗濯機に裏切られたのだろう。間違いないよ」
冗談で言ったつもりなのだろうが、それは言い得て妙であった。良家の人間への罪悪感はともかく、件さんの自殺を止められなかったことの罪悪感は洗濯機に裏切られたときの罪悪感と二律背反ながらも鏡写しのように同一なのだ。
私は、まあそんな所だよと彼の冗句を肯定した。
「それは面白い。それは豊かなことだ。筆舌に尽くし難い罪悪だ。筆舌に尽くせないと言うのなら、それは筆舌に尽くす必要がないということだよね。だから語らずとも感じ取れるよ。手に取れるよ」
道化はケラケラと笑いながら噴水の中に首を突っ込んだ。
そんなに楽しいことではないのだが、彼は道化なのだから仕方のないことだろう。他人の不幸を笑う人間は嫌いだが、彼が笑っているのは私の罪悪なのだから何も問題はない。問題はないのだがしかし、何か釈然としない。
私は、罪悪の何が楽しいものかと思わず突っぱねた。
「何を言うんだい。罪悪程楽しいものはこの世に一つとないよ。罪悪を楽しむ。それこそ人の摂理であり人の節理だよ。人は罪を償う為に生きているのさ。そこらの人生を謳歌している連中を見てごらんよ。彼らは涙が出る程罪だらけな人間で、上手く贖罪を消化している。そしてそれを楽しんでいるんだ。だから生きるのが上手い。お嬢さんも何を悩んでいるのか知らないけれど、そんなものはゲーム感覚で片付けてしまった方が有意義だと思うよ」
道化は踊るように言い挙げる。
彼の言うことには着いて行けない。しかし確かに何の悩みも持たずに生きている人間など何処にも居ない。辺りを見回してみても、道行く人々は何処かギクシャクとしていて、後ろめたい雰囲気を出している。
しかし、それでも皆笑っている。そういう事実を認識すれば、この道化の言うことにも一理くらいはあるのかもしれないと思える。
私が彼の言うことを否定したくなるのは、ただ単に私の周りに不器用な人間しか居らず、罪悪感とは思い悩むものだという価値観が構築されてしまっているというだけのことなのだろう。
思えば私の友人は変わり者ばかりだ。傷心からくる自然発火で焼身自殺する者、にこりとも笑わぬ者、絡繰り、盲目の医者。私自身も人のことを変態呼ばわり出来る立場にはないくらいに変わり者である。それは自覚している。そう考えればなるほど、私の考えこそマイノリティなのであって、道化の言う価値観こそが一般的なのだろう。
そこで一つ、ふと思いつく。自殺する者や笑わぬ者の中で、私は一体全体何者なのだろうかと言うことだ。
私は道化に、君の目に私はどう映ると訊いた。
「お嬢さんは愚かだね。誰かの目に映る自分なんて何の意味も持っていない傀儡のようなものなのだから、気にするだけ損だよ」
何処までも道化だ。彼は全く適当に喋っているのだろう。今の言葉で理解出来た。彼の言っていることはあまりに適当で、万物を殺すかのように残酷だ。この手合いは存在するだけで人を死に追いやるだろう。存在感があり過ぎて笑うしかない。
私は笑った。
道化は私を笑わせたことに満足したのか、胸ポケットから懐中時計を取り出し、サテ、と折り合いを付けたように言った。
「僕はそろそろ失礼するよ」
恭しく、嫌味にお辞儀をすると、道化は噴水広場の喫煙所のすぐ横にある断頭台に首を突っ込んだ。そしてちらりとこちらを一瞥すると、ではお嬢さんまた何処かでと言って指をパチンと鳴らした。
刃が落ちて道化の首をはねる。首は宙へと舞い上がり、そのまま曇り空の中へ消えて行った。
体はどうするのだろうと心配になったが、先ほど彼が噴水に首を突っ込んでいたのを思い出した。それならば何も心配はない。首の根っこからまた新しい体が生えてくることだろう。
私は奇妙な心持ちのまま、噴水広場を後にした。