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最襲話

 花の遺跡へは電車を使うのが早いだろう。しかし私は電車というものが苦手だ。乗り馴れていないというのもあるのだが、そもそも私は乗り物酔いをするのだ。乗り物に乗った翌日などは酷い二日酔いに悩まされ、何も手につかなくなってしまう。ここまで酷いともはや笑うしかない。故に私は笑う。

 笑いながら電車を待っている。見る人に依っては私が狂人のように映るかもしれない。狂った人間は珍しいものではないから誰も気にも留めないだろうが、しかし他人の目にそう映ってしまう私は確かに狂人なのかもしれない。狂人とはなるものではない。認識されるものなのだ。

 狂いながら笑っていると電車が来た。どうやら今日は猿電車の日であったらしい。不吉だ。

 不吉というのは質が悪い。吉でも凶でもないのだから。そうかと言ってその狭間にある訳でもない。正体の掴めぬものというのはどうにも気持ちが悪い。


 まあ、そんなことを考えても仕方がない。この電車を逃すわけにはいかないのだ。

 私は電車へ乗り込む。

 車内は空いていた。と言うかがらがらだ。人っ子一人居ない。しかし、仕方ないと言えば仕方ない。なんせ猿電車なのだから。好き好んで乗車する者が居るとは思えない。一番端のシートに腰を下ろすと、少しでも酔わないように体の力を抜いた。

 それにしても猿電車内というのは空気が悪い。これではあちらに着く頃には疲弊し切ってしまう。


「お顔の色が悪いようですね」


 突然声をかけられた。聞き取りやすい低音で、しかし囁くような爽やかな声だ。耳がくすぐったい。

 顔を上げると黒い学生服に身を包んだ少女が私を覗き込んでいた。見知らぬ少女に心配されるほどに私の顔色は悪かったのだろうか。窓に自分の顔を映してみると、なるほど私の顔は表面に膜の張ったココアのように灰色だった。


 私は自分が乗り物酔いをすることを少女に伝えた。すると彼女は、これをどうぞと言ってポーチから酔い止めの薬を私に差し出した。

 酔い止めと言えば研究者の私でも手に入れることの困難な薬だ。何処で手に入れたのだろうか。疑問は尽きないが、それよりも赤の他人である私に貴重な薬を譲渡するという行為、それはえら呼吸するカエルの如く大胆なことだ。尋常ではない。

 私は少女にその心を聞いた。

「私はあなたが乗り物酔いをすることを知っていました。あなたがこの電車に乗ることも。だから事前に彼の有名な家奈美かなみ侯爵に譲ってもらったのです。あの方は人助けとあれば無償で力を貸してくださいます。ヒーローですからね」

 家奈美侯爵は標くんの父親だ。世界的に活躍しているヒーローであるから、酔い止めを所持していてもおかしくはないし、彼の性格ならばどんなに貴重なものでも二つ返事で譲渡してしまうだろう。

 しかし私の得心いかないのは、この雅な少女が何故私の行動を見通しているのかということだ。私が花の遺跡へ向かっているという情報は今の所露草しか知らないはずだ。もしかしたら瑠璃にも報告が行っているかもしれないが、それでもこの少女に情報が伝わっているということはないだろう。

「私が何故あなたの行動を把握しているのか疑問に思っていますね? 私は鋼の街で予言者をやっております、漆原件うるしばらくだんと申します。あなたが今日、ここで酔う未来を観たので参上致しました」

 なるほど予言者か。世界に一人として存在しない特権階級の人間だ。しかし、存在しない存在が何故私のような木っ端研究員を訪ねてきたのだろうか。木っ端と言えど、私は存在するのだからそれはおかしな話である。

 ともあれ、私の為に持ってきてくれた薬ならば服用しておこう。それが薬の為でもある。

 オブラートに包まれた酔い止めを口の中に入れると、たちまち酔いが引いていく。落ち着いた所で私は件さんに礼を言った。

「構いません。これも仕事です」

 随分とドライな人だ。仕事熱心なのはいいのだが、こうして礼を突き返されてしまうと何だか寂しい気持ちになる。

 淡白な件さんは私の隣に腰掛けた。ねずみ色の髪の毛から甘い香りがする。素敵な少女だ。このまま成長しなければいいのに、とさえ思う。

 私は、綺麗な髪だねと思わず彼女を褒めていた。

「ありがとうございます。そう言われるのは初めてですから嬉しいです」

 今度こそ私の気持ちは届いた。どうやら仕事外では心を開いてくれるらしい。

「周りからはあまり歓迎されないのです。髪の色も匂いも。家奈美侯爵も顔をしかめていました」

 髪の色と匂いは彼女にとってはコンプレックスであるようだ。私は世情に疎いからうかつなことを言ってしまうことがある。まさか彼女の髪が世間的には善しとされないものであるとは知らなかった。しかし確かに甘い匂いと灰色というのは如何にもココアのようで、それは一般的には忌避されるものだ。

 私のゲテモノ好きは人を傷つけてしまったようだった。

「けど嬉しいです。私の髪を好きだと言ってくれる人がいるなんて思ってもみませんでした」

 件さんは顔を静かに綻ばせた。薄く笑う彼女はとても可憐で、世間から忌避されているというのが嘘のようだ。しかし嘘と言えば、思ってもみなかったというのは嘘だろう。何故なら彼女は予言者なのだから。私がその髪を褒めるだろうということくらい、見通していたはずだ。

 私はそのことを彼女に告げた。

「いいえ、私が観ることの出来るのは未来の可能性の一つなのです。偶然目の奥に見えてしまうことがあるというだけです。私が観たのはあなたが電車で体調を崩している一場面のみ。そこから先は観ていません。ですから予期せぬあなたの言葉は私にとってとても喜ばしいものなのです」

 やはり彼女は綺麗だ。ココア色の髪と整い過ぎた微笑はこの世の何よりも尊いものであるに違いない。

 しかし、彼女はどうやら苦労人でもあるようだった。予言者といえば、この世の全ての過去、現在、未来を正確に見通し、狂乱の果てに死んでいくというのが常だったはずだ。

 件さんは確定せぬ曖昧な未来しか見通せないのだから狂うことも出来ないし、ともすれば彼女の言動は妄想と取られてしまってもおかしくはないのだ。妄想はロジカルであるから、彼女は探偵には向いていても予言者には向いていない。向いていないとは言え、予言者は世襲制であるから、探偵に転職することも叶わない。退っ引きならないとはこのことだ。堪え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことがどれほど彼女をすり減らしているのか、それを思うだけで心が軋み上がる。苦労というのは人を歪めるのだ。すればしただけ笑顔が消える。

 件さんはそれでも笑っているのだから強靭な心を持っているのだろう。歴代の狂人達とは大違いである。大違いであるからこそ、彼女は苦しまなくてはならないのだろうが。

 難儀なものだねと言って私は彼女から目線を外した。窓の外にネズミ鳥が電車と並走してるのが見えた。


「そうですね。難儀です。私が観るのは可能性の一つですから、予言が外れることもある。そうすると世間の方々は私のことを嘘つきだと批判します。しかし重要な予言が当たると、たちまち掌を返し、私を崇めます」

 世間とはそういうものだろう。誰が世間を取り仕切っているのかは判らないが、それは命のようによく喋り、善意も悪意も、偽善意も偽悪意もその身に宿しているのだ。研究者という立場の私も強くそれを感じることが出来る。感じるからこそ私は人との交流に怯えるし、件さんの気持ちも判る。

「世界が生きている以上それも仕方のないことなのですが、誰か一人でも自分を慕ってくれる人間が欲しいと思うものです」

 前言を撤回しなければ。

 私にこの娘の気持ちは判らない。何故なら、私には私を慕ってくれる友人が居るからだ。うかつに同情することは出来ない。

「そういえばあなたはどうしてこの電車に乗ったのですか? 今時わざわざ猿電車に乗車する人なんてそうそういるものではありませんよ?」

 私は自分が研究員であり、今から公式を調べる為に遺跡へ向かうのだと説明した。

「なるほど。あなたは研究者なのですね。道理で聡明な顔つきをされているわけです」

 私はそんなに賢い人間では無いが、感じ方は人それぞれだから否定はしないでおこう。

「この電車で行ける遺跡と言えば花の遺跡ですね。ということはあなたは太陽の街で降りるのですか?」

 私は肯定した。

「残念ですが私の予言に依れば、ここから四つ目の駅で革命家達がテロを起こすためにこの電車に乗り込んできます。彼らは人の命を奪うことに容赦をしません。三つ目の駅で降りましょう」

 四つ目の駅と言えば太陽の街の一つ前の駅だ。ということは二駅分歩くことになるのか。

 しかし私もこんな所で命を落としている時間はない。二駅程度ならば歩いても差し支えはないのだから、素直に従うのがいいだろう。彼女が観ることの出来るのは可能性の一つでしかないが、予言者である以上、その言葉は嘘でもなければ妄言でもない。真実なのだ。




 電車はカタンコトンと私たちの体を揺らす。私の髪と件さんの髪が触れ合う。外に出て数時間でよい出会いに恵まれた。全く私は幸運だ。もともと私は人間関係には恵まれている方なのだ。

 ただ問題があるとすれば、私の友人達は皆、直ぐに自死を選ぶような突拍子もない人間であるということだ。

 件さんはどうだろう。彼女は予言者だ。それを考えれば狂死するはずだが、彼女は歴代の予言者達とは少し違う。違うのならば狂死もしないはずである。

 狂死は自死と変わらぬ。どうか彼女が狂い死なぬよう願おう。友人の自殺というのは辛いものなのだ。

 しばらく何も話さずにぼうっとしていると、電車のアナウンスが目的である曇りの街への到着を告げた。

「さあ降りましょう。革命家達は次の駅で乗り込んできます」

 私は件さんに手を引かれながら猿電車を降りた。

 曇りの街は曇っていた。

 私は改めて件さんにお礼を言った。こうして万全の体調で居られるのも彼女のお陰なのだ。

「あなたは人情味のある女性のようですね。もしかしたら私にも友情を感じていらっしゃるかもしれませんが、それはお辞めになった方がよいと思います。何故なら私は今日死ぬからです。猿電車の扉を潜る時に未来が観えました。私の命はどうやら終わるようなのです。ですから私はあなたの友人にはなれません。私は死なねばなりません」

 予言というのは残酷なものだ。予言の対象が自分に向いた時、それは使命に変わる。使命というのは果たさなければならぬものだ。私だって公式探しを使命として動いている。同じように件さんも使命を果たさねばならないと思っているのだろう。つまり死なねばならないと思っている。それを私ごときが止める権利などない。

 しかし私は止めた。死なないでくれと。そんな酷い話はないと。

 彼女は私の頬を両手で包み込むと、聡明な顔が優しい顔になりましたと言った。言って線路に身を投げた。

 件さんが身を投げるのを待っていたかのように、電車がホームに到着し、彼女の体をバラバラにした。


 彼女を轢いたのはどうやら牛電車らしかった。奇遇なことだった。猿電車の次には必ず犬電車が来るものだから。

 そう考えれば彼女が死ぬのは当然のことである気がしてくる。しかし、私は認めることが出来ない。


 原形をとどめない件さんの遺体は、水撒き員がいくら水をかけても元には戻らなかった。私は悲しくなって泣いた。


 ココアの甘い匂いがホームに充満している。


 それは私の好きな匂いだった。

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